
心がほどける、ささやかな時間
― 日常にひらく、3つの風景 ―
日常の隙間に、
ふと現れる時間がある。
何もしなくても、
心はそっとほどけて、
ゆるやかに整っていく。
私をそっと支える、三つの風景。
目を閉じても、
思い出すだけで、
心が静かに呼吸を取り戻す——
そんな時間。
青から緑へ
電車の窓は、額縁。
光を受けた海が、
きらきらと揺れている。
ただ、それだけで
一枚の絵になる。
初夏の風が、頬をかすめる。
車内の気配は、遠くに溶けて、
視線だけが、外へとほどけていく。
走る音が、静かなリズムになる。
その揺れが、呼吸をゆっくりにする。
青が流れる。
光がにじむ。
やがて、やわらかな緑へ。
海の静けさから、
若葉の息吹へ——
なにかが変わる音はしないのに、
世界は、静かに移ろっている。
揺れる光。
葉のざわめき。
そのあいだに、
心が、そこにそっと置かれていく。
昨日も、今日も、未来も、
いまは遠くていい。
考えすぎていた頭が、
少しだけ静かになる。
ただ、風と光に、身をゆだねる。
ひとつ、呼吸をする。
電車は進む。
心も、少しだけ動く。
海から緑へ——
日常のなかにひらいた、
小さな、やわらかな奇跡。
ページをめくる風
川沿いの道。
やわらかな光のなかを、
風が、ゆっくりと通り過ぎていく。
その流れに、
足をゆるめる。
ベンチに腰を下ろす。
本をひらく。
ページをめくる音が、
静かにほどける。
遠くで、水の流れる音。
そのあいだに、
鳥のさえずり。
ときどき、
誰かの気配が、
やわらかく通り過ぎていく。
言葉を追いながら、
ふと、顔を上げる。
川の上を、
一羽の鳥が、
風に乗るように
ゆっくりと横切っていく。
そのあとを、
目だけが、しばらく追いかける。
やがて見えなくなり、
視線は、またページへ。
物語と、この場所のあいだを、
静かに行き来する。
急ぐ理由は、どこにもない。
時間だけが、やわらかく流れていく。
ページをめくる手も、
少し、ほどけている。
読み終えて、
本を閉じる。
なにもしないまま、
しばらく、そこにいる。
風が、頬をなぞる。
途中のまま、ここに置いていける。
立ち上がる。
また、歩き出す。
やわらかな午後のなかで、
少しずつ、整っていく。
そう思えただけで、よかった。
傘の中の、雨音
雨が降る。
光がにじみ、
町の輪郭が
やわらかくほどけていく。
水たまりに、雨が落ち、
音とともに、絵を描く。
一瞬だけの輪。
すぐに溶けて消えるけれど、
確かにあったその跡が、
景色に小さなきらめきを残す。
道沿いのアジサイも、
雨に濡れて色を増す。
やわらかく、
静かに揺れる花々に目をやる。
傘をひらく。
音がやさしくにじむ。
ひとりの空間ができる。
雨が、ひとりの世界をつくってくれる。
冷たい雫が、そっと触れる。
雨の匂いが混ざる。
ふと周りを見れば、
傘の下に、それぞれの時間がある。
静かに行き交い、
誰もが、自分の場所にいる。
同じでなくても、
いいのかもしれない。
音に包まれ、
考えがゆっくりほどけていく。
今日の私も、まだ途中。
うまく整えられない日もあるけれど、
それでも——
この時間の中で、
少しずつ整っていく。
——そんな気がした。
雨音が遠のく。
濡れた道に光が映り、
町が少しだけ輝く。
整った空気の中で、
また歩き出す。
やわらかな雨とアジサイの景色を胸に、
少しずつ、心も整っていく。