
【自己紹介】負けず嫌いではなかったはずの私が、母になったら
はじめに
私は2児の母、そしてアラサーの一級建築士である。長男は3歳、長女は3ヶ月になったところだ。
かれこれ、母歴3年、たかが3年、されど3年。
今は母専業であるが、正確に言うと2度目の育休中である。
理系大学院修了後、24歳で社会人に。経験値と体力が勝負の建築系技術者が集まる会社に就職した。入社1年目に結婚し、4年目で第1子を妊娠した。
復職する頃には、フルタイム歴4年、休職歴計3年、時短歴1年の、「9年目浦島太郎中堅アラサー」である。
私は10歳から塾に通い始め、中学受験でトップクラスの中高一貫女子校に合格した。在塾中は、持ち前の真面目・完璧主義な私は、勉強しなさいなどと言われることもなく、学年でも好成績を維持し、様々な試験で学年最高点を幾度となく叩き出してきた。
別に、自分は競争心もなければ、特別負けず嫌いでもないと思う。友達より低い点数を取って何クソと燃え上がったりしないし、厳しく指導されたら怒られた衝撃で泣きながらそのままやる気をなくすタイプだ。
なんてったって、幼少期から組織の中でのお利口さん・優等生・しっかり者の役を休みなく担ってきたのである。競わなくたってリーダー役を任されたし、面倒見も良い私を大人が叱る理由なんぞなかった。
後に社会人になった私は、そんな自分の気質に首を絞められ、息絶え絶えとなるのである。
合格校に入学してからは、自分よりはるかに賢い才女に囲まれ、日々たまげた。石を投げれば可愛くて、運動もできて、歌もうまくて、勉強もできるスーパーガールに当たる。
井の中の蛙とはまさにこのことであった。しかしながら、心燃えぬ蛙は大海の波に揺られ、平均層の成績でも、世間一般では有名難関とされる大学の理系学部に滑り込み現役合格を果たすことができた。(心が燃えなすぎて塾の数学のクラスを高3の秋に退会し、スタッフをビビらせたことは、金銭面的にもコスパ向上に寄与した)
トップ校という大海が、数学の苦手な蛙でも理系学部に運びつれてくれたのである。
(高1の文理選択の際、数学科の担任に「この感じだと文系志望なんだよね?頑張ってね!」と励まされた。ハハッと笑って返したが、高3のTK大模試で300点満点の数学で39点だったことを周りに言って歩いてヘラヘラしてドン引きさせていたので、まぁそんなもんである。)
アラサーになった今、大海で波を起こしてくれたスーパーガール達は、輝くエリートウーマンになった。彼女らと友達であることは私にとって宝であり、誇りである。約30年の人生で親に最も感謝していることのひとつが、中学受験をさせてくれたことは間違いない。
だが、そこで、ふと、私を見る。
母となることを望み、実現させる選択をしたのは紛れもなく私自身であるはずなのに、母としての私は、今までの私を決して肯定してくれるモノではない。
私は何になりたくてここまで頑張ってきたのだろう。目指した先にいたのは、今の私だろうか?
心を燃やして来なかったにしても、私は私を必死に生きてきたと思う。
競争心もなく、負けず嫌いでもなかったはずの私が、ここにきて初めて「母となった私自身」を見つめることで、その真偽に疑問を覚えている。
母という職業に成績はない。評価軸もなければ、能力評価もされず、見合った報酬もない。
会社では、評価されるはずもない就業状況を心の傷としている完璧主義者の私なはずなのに、家庭では誰かに評価をされたくて、それに見合った見返りが欲しくてたまらないのである。
入社4年目までに積み上げたキャリアなんぞは蹴飛ばせば散り散りになる。そのカケラを一体誰が拾ってくれるだろうか。優等生出身の私は手にカケラを握り、時短勤務というハンディキャップの中で積み上げたキャリアの丘の上でどんな景色を見ることができるのか。
宝となりし才女友人を横目に、私は今日も子らを育んでいる。