
窮屈な土
久々に雨が降り、晴れじゃなくてよかったと思った。太陽の光は今の私には眩しすぎて嫌いになりそうだからだ。嫌いになりそうだなんて、初めてかもしれない。
今週ずっとうまく眠れていない。
どんなに身体が動かなくなるほど疲れても、頭の中が散らかりっぱなしで片付かない。頭の中が散らかったら、どう片付けたらいいのだろう?
少し先の心配ごとや疲れそうな予定が入っている時、私はだいたいこうなる。
心配ごとの9割は実際に起こらないという。夜眠れさえすればせめてごみをゴミ箱に捨てて軽くできそうなものだが、そのゴミ掃除ができないままだ。
私はXで散見する誰かが誰かを批判する投稿にうんざりしてやめ、Threadsという別の土地へ移住を試みたものの、結局何ら変わらなかった。
誰かは誰かを妬み、嫌味を言い、それに同意するもの同士が結託してソファで脚を組んで座って談笑している。
画面をスクロールし続ける限り、それは目に入ってくる。それが嫌ならば見なければいい、という話になる。
先日ある小学校の先生の投稿が目に入った。
クラスに、他の生徒に手を出したり癇癪をおこす"問題児"と呼ばれる子がいた。先生はその子に寄り添い続けた。
ある時、「いま本当はどんな気持ち?」と聞いたところ、その子の口から「悔しい。悲しい。ママが弟ばっかりかまって僕のことを見てくれないから。」と泣き出したそうだ。
子供の怒りの裏側には、言葉ではうまく表せない別の感情がある、という内容の投稿だったが
私はそれを読んで、大人も同じだと思った。
他人に対して噛み付くのは、自分が満たされていないからだ。自分でいていいよと認めてもらえていない悔しさや悲しさの矛先が他人に向く。
他人に向かず、自分自身に向く人もいる。自分を責めて、自分は足りない、自分はダメだと自分叩きしてしまう。
私はどちらもよくないと思っている。少し前まで私は自分をあざができるまで叩いていたタイプだったが、他人を叩かなければいいわけではないのだ。自分がどれだけ傷がついているか、鏡の前で見る必要があるからだ。
自分叩きをやめるまで相当長い時間がかかった。
あぁ自分は今疲れて限界なんだな
と気付くだけで、私は少しずつ自分叩きをしなくなった。
日本の義務教育は他人との競争心を育む場所だ。
学校というそれはそれは狭い世界で、そこが自分の世界の全てだと思い込んで過ごした10代に刷り込まれた呪いは重い。勉強ができなければ落第生で、学力でランキングされる。
今なら10代の私へ言ってあげたい。
学校が全ての世界ではないこと。
他人と学力を比較することがバカげていること。先生がいつも正しいとは限らないこと。
自分が嫌だと思うことや違和感を大切にしてほしいこと。
世界はあなたが見ている以上にずっと広いこと。
あなたはいるだけで価値があること。
他人と比べられることが当たり前に育ってきたら、そうでないことの方に気付くことはとても難しい。
でも、比べるのをやめた時、その長年培ってきた土壌をいよいよ去り、自分が本当に咲かせたい花や木を育て始めるタイミングになるだろう。
そして、自分自身で選んだ本当に望む花や木は、ちょっとやそっとの雨風や虫に負けない強さを持つ。
私はまだ、雨風や虫を鬱陶しく思い胸を痛めることが多々ある。でも雨風や虫に、こっちにこないでと言うことはできないし、完全に排除もできないことも知っている。
そういう時は、少し遠くの景色をぼーっと眺めることにしている。小説を読んだり、映画を観たり。自分にとって良質な栄養を摂る。自分にだけ注ぐ。
ゆっくりと。自分が満たされるまで。
一昨日、映画を観て泣いた。家族が寝静まっていたので、声を殺して泣いた。
気付いたら、冷えていた手足があたたかくなっていた。
季節は、紫陽花の花をすこしずつ咲かせ始めている。