流れ星の願い事は、いつも決まっていた
「一年間あの人についてもらったけど、笑いかけてもらったことなんて一度もなかった」、
私が新人だった頃、そう言われていた先輩がいた。
新人には必ずペアで指導係がついていた。その指導係が笑いかける子と冷たくする子、明らかに対応が違っておりもれなく私も後者であった。褒められる子がいる一方で、目も合わせてもらえず鼻で「ははん」と返事をされていた私。
噂では
「私はその子の個性に応じて指導方法を変えている」と言ったらしい。さすが指導者研修に行った人は違う、立派だ。私の個性ってなんだ?
思い当たることがあるとすれば、厳しくされていた子たちは皆共通して「愛想がよく手際が良い」=「へらへらしており適当」だった。その先輩はあまりにも頑固で真面目なので、どれだけ時間が押そうが夕方の5時過ぎに「患者さんのケア、今からやろう」と言い出す始末。先輩が言うことは絶対だ、お湯の準備だ!日勤も終わろうかというのに。夕食前に怖い顔の看護師に全身着替えさせられる患者の身にもなって欲しい。
あまりにも理不尽すぎて、同じく厳しく指導されていた後輩と一緒に毎年初詣で「先輩が今年こそ異動しますように」と祈っていた。夜空を見るとその願いをいつも思い出す。数年経ってようやく私たちの願いが天に聞き入れられ、先輩は異動、昇進し「主任」になった。
病棟が変わってからも、遠くからでもその先輩を見かけるとまず頭を下げ挨拶する。自分が師長になってからも、それは変わらない。看護の組織は縦社会。それから十年以上、同じ部署になることはなかった。
私が退職する月、帰りのエレベーターでたまたま一緒になった。「お世話になりました」、あの祈りの日々すら懐かしく、退職に至るまでの経緯全てをぶちまけたくなった。今の組織の現状をこの人になら分かってもらえるだろう、あの当時の人たちなんてもう数えるほどしか残っていないから。危うく胸の内をさらけ出しそうになった。先輩、聞いてもらっていいですか?と泣きながら。
もちろん、そうしなかった。
なぜなら彼女は笑わない主任として変わらずいつまでもそこにいるだろうから。そしてどこがどうなったとしても、当てもなく退職する師長の気持ちなんて主任の立場で理解してもらえっこない。そう「師長の私」がストップをかけた。
何かが変わっていただろうか。もしも夜の薄暗い病院のエレベーターの雰囲気でそうなっていたら。「大変でしたね」そんな一言で済ませて欲しくない。「懐かしいね、またいつか一緒に働きたいね」社交辞令が聞きたい訳じゃないんだ。
人生で分かり合えない、近づかないほうがいい側の彼女とのことが「全ていい思い出」、数十年勤めたアルバムの最後の1ページになるところだった。危うく感傷に飲み込まれるところだった。
私は、最後まで「師長」として退職した。
