
覗く
この土地に伝わる名物のパンがある。
円く輪になり、中央に穴が空いている。
噂によれば、男でも子を宿すとか。
そんな馬鹿な。
私は、ただの噂だと思っていた。
*
店には私一人。
会計を済ませてパンを受け取り、テーブルについた。
店の奥で、年寄りの女が粉に塗れて生地を捏ねているのが見えた。
私はパンを手に取った。
窯から出たばかりなのか温かい。
艶やかでズシリと重く、むっちりしている。
しかし興味を引かれたのは、パンより中央の穴だった。
ふと思った。
人は「そこに穴がある」と言う。
よく考えたら、穴は存在しないのだ。
何気なく覗き込むと、何かに穴の向こうから呼ばれたような気がした。
「あまり覗かない方がいいですよ」
振り向くと女がすぐ側に立っていた。
「どういうことです」
「覗いた者の構造が変わる、と言い伝えがあります」
「構造?なんの?」
「北が南に。天が地に」
ますますわからない。
パンを手にしたまま穴越しに女を覗いてしまった。
おや、この女は年寄りではなかったか。
少女のようにも年寄りにも見えた。
純粋にも厄災にも。
女はそっと私の手を取り、パンを皿に置いた。
そして指で輪を作って、私を覗いた。
背筋がゾクリと粟立った。
「何が見えましたか」
腹の奥で何かが震えた。