
「俺はみんながそんな奴らだとは思わなかった。」 〜先生が泣いた日〜
中学生のころ
授業をしていた先生が激怒し、
教室を出て行ってしまう——
そんな出来事が、ときどきあった。
理由ははっきりしないが、
生徒たちが無反応だったり、
ざわついていたり、
宿題がまったく出ていなかったり、
授業の理解が乏しかったり——
いろいろ積み重なっていたのだろう。
とくに「無反応」の空気は、
教師にとっては深く刺さるに違いない。
学級委員が職員室に謝りに行って、
先生を「連れ戻す」というのが、当時の定番だった。
申し訳なさもあったが、
ただ、それだけではない気がしていた。
先生も人間だ。
大人だ。
いろんな事情を抱えていたのだろう。
今になって(遅い!)そう思う。
体調不良
更年期
家庭の不和
金銭問題
親の介護
実存的問い
職員間のトラブル
いじめ対応
モンスターペアレント……
どれひとつ取っても、人を疲弊させる。
思春期のわたしたちには、
先生が怒る理由がわからないことも多かった。
「そこまで怒る?」「理不尽じゃ?」
そんな気持ちも正直あったと思う。
でも、先生が突然、教室からいなくなるというのは、
子どもにとって世界の秩序が不安定化する。
だからよく覚えているのだろう。
大人が怒る、泣く——
その姿は、子どもにとって衝撃的だ。
“教育的なワザ”だったのか?
いま思えば、そんな高度な話ではなく、
ただ、限界が漏れ出しただけだったのではないか。
しかも、そういう先生が一人ではなかった。
二人、三人と居た。
ある日のこと
中年の男性教師が泣きながら叫んだ。
「みんなには俺の気持ちがわからないんだろう!
俺はみんながそんな奴らだとは思わなかった!」
理由はいまだにわからない。
ただ、その涙は深く記憶している。
自分の授業への自信が崩れたのか
届かない虚しさなのか
拒絶されたような気持ちなのか
誰にも理解されない孤独なのか
あるいは——
学校という“場所”そのものが、
教員の心を追い詰めやすい構造をしていたのかもしれない。
先生だって人間だ。
24時間365日、聖人君子でいられるわけがない。
ときには弱さも、涙も、
こぼれ出てしまうことがある。
時にはそういう人間的な面をさらけ出してもいいような気もする。
いや、それが必要な場面というのも、もしかしたらあるのかもしれない。
そのタイミングは重要であるが。
思春期の周辺では、
子どもも、大人も、大変だ。