
褥瘡ができてしまったときの罪悪感について 〜不可避褥瘡(UPI)という視点と褥瘡の緩和ケア〜
「502号の〇〇さん、左のかかとに褥瘡ができちゃいました……」
「ええーっ!」
「やっぱりねぇ……状態、落ちてるもんね……」
ナースステーションに、落胆の空気が広がる。
近年の医療現場では、褥瘡について以前にも増して敏感になっていると感じる。ほかにも、転倒、誤嚥、感染症。
もちろんどれも患者さんを守るために大切な視点であり、決して軽視してよいものではない。
褥瘡とは、いわゆる「床ずれ」のことである。
長時間同じ姿勢でいることなどにより、皮膚やその下の組織に血流障害が起こり、傷や潰瘍ができてしまう状態をいう。
高齢者や、長く寝たきりの状態にある人では、自分で寝返りが打てない方も多い。医療や介護の現場で日常的に向き合う問題である。
褥瘡ができた瞬間、現場にはどこか「しまった」という空気が流れる。
まるで、わたしたちが何かに負けたかのように。
しかし本当に、それだけなのだろうか。
褥瘡ケアには、三つの段階があるように思う。
一つ目は、予防の段階。
褥瘡ができないことを目指す段階である。
もちろんできないに越したことはない。
二つ目は、治癒を目指す段階。
褥瘡ができてしまったとき、除圧、栄養管理、局所処置、感染管理などを行い、治していく段階である。
いろいろな体圧分散マットレスをはじめ、軟膏やドレッシング材も今は種類が豊富だ。褥瘡ケアに関して専門的知識を持つ認定看護師もいる。
ここまでは、多くの医療者が共有している。
テキストやガイドラインで強調されているのもここまでの範囲が多い。
けれど、臨床の現場には、もう一つの段階があるのではないか。
三つ目は、看取り期の、「治らない褥瘡」の段階である。
全身状態が低下し、食事が取れなくなる。循環も悪くなり身体を動かす力も失われていく。
どれほど丁寧にケアをしても、褥瘡ができることがある。
悪化していくことがある。
そのとき、私たちは何を目標にすればいいのだろう。
近年、「不可避褥瘡(Unavoidable Pressure Injury:UPI)」という考え方が提起されているらしい。
適切な予防策を講じていても、患者の全身状態、とくに終末期における循環不全や低栄養、活動性の低下などにより、褥瘡の発生や悪化が避けられない場合があるという概念である。
海外のガイドラインやレビューでは、終末期の創傷ケアは「治癒」を第一目標とするのではなく、疼痛、滲出液、臭気、出血などのコントロールを通じて患者の快適さを保つことが重視されている。
また国内でも、終末期の褥瘡に対しては、治癒そのものよりも、痛みや不快感を軽減し、生活の質を維持することを目標とすべきという意見がある。
もちろん、この考え方は免罪符ではない。
当然、予防は尽くされるべきであるし、治療も、可能な範囲で丁寧に行われるべきである。
そのうえで、それでもなお生じてしまう褥瘡がある。
看取り期の褥瘡ケアでは、目標が変わるのかもしれない。
創を完全に治すことではなく、
痛みを減らすこと。
においを和らげること。
滲出液による不快感を少なくすること。
処置の負担を減らすこと。
頻回の体位交換が苦痛になっていないかを見直すこと。
そして何より本人が残された時間を、できるだけ穏やかに守ること。
これは、褥瘡ケアをあきらめることではない。
むしろ、治るのが難しいときに、
何を大切にするのか、優先順位を問い直す営みでもある。
この褥瘡の治癒を目指すのか、それとも苦痛緩和を主軸にするか。
メインとなっている疾病や老衰と同じ考えと言えるだろう。
褥瘡ケアには、予防がある。
治癒がある。
そしてもう一つ、緩和的なケアがある。
治らない褥瘡の前で、医療は無力に見えることがある。
けれど、その場所で、まだできることがある。
褥瘡を治すことだけではなく、治らない褥瘡のそばで、
その人の苦痛を少しでも減らそうとすること。
それもまた、褥瘡ケアなのではなかろうか。