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斉藤ななこ 2026 04 26 物語 その2


    ■ 砂漠のサイバーパンクウサギ
    Episode 3 ― 音だけを信じて ―

    ある日のウサギは、シティの繁華街を歩いていた。

    レイヤーシティの朝は、明けるというより削られる。
    夜のノイズが完全に消えることはなく、建物の隙間や配管の影に薄く貼りついたまま、ただ明度だけが上がっていく。

    その中を、ウサギはすり抜けるように歩く。

    背中の後ろから声がした。

    「見て、あれウサギ」
    「ふわふわじゃん」
    「かわいいよね」
    女子高生だ。

    ウサギは、聞こえていないふりをした。

    だからヒューマンって、めんどくさい。

    バケットハットの上から、さらにフーディをかぶる。

    過剰な布の重なりが輪郭を曖昧にして、ウサギの存在を街のノイズに溶かす。

    外から見えるのは、袖口から出た手元くらい。

    イヤホンを耳にねじ込む。
    プレイリストを開く。
    ランダム再生。

    流れてきたのは、少し古い声の歌だった。

    リズムが刻まれる。
    右、左、右、左。
    ドアノック。

    ウサギは小さく鼻歌をなぞる。

    普段はテクノかハウスしか聴かない。

    言葉のない音の方が、街のノイズと混ざって都合がいいからだ。

    けれど最近は違う。

    このあいだ、くまがかけていた音の残響。
    あれがどこかに残っている。

    人の声が乗った音楽。

    変な声だと思う。

    でも、その不規則さが、歩くリズムに妙に合う。


    春だった。

    海外ではイースター休暇というものがあるらしい。
    たまごとうさぎ。宗教由来のイベント。


    ウサギは無宗教だ。

    あえて言うなら、信じているのは音だけ。


    街には観光客が溢れている。

    サングラス。サマードレス。
    砂漠のシティで、半袖とサンダル。

    夜がどれだけ冷えるか、知らないのだろう。

    そう思った瞬間、腕を引かれた。

    「ステーション、どこ?」
    振り向くと、サングラスの観光客のおばちゃん集団。

    ウサギは一瞬だけ、自分のデバイスを見る。
    検索すればすぐに出る。
    でも、それをやらない。

    クラブで覚えた、役に立つのかどうか微妙な外国語。
    「まっすぐ。ずっと。駅。 歩いて5分。 目印はドラッグストアと回転寿司。」

    簡単な話。

    おばちゃんたちは、大げさにうなずいて笑う。

    その笑い声は、街のノイズにすぐ溶けた。

    ウサギはまた歩き出す。

    右、左。

    別のステーションへ向かう。

    マンションから徒歩十五分。
    散歩にはちょうどいい距離。

    今朝は匿名掲示板にも伝書バトは来ていなかった。
    仕事の匂いが薄い朝だ。

    こういう日は、ステーションまで歩く。

    サブ入り口。
    黒板とチョーク。
    誰でも書き込める、古いインターフェース。

    レトロブームの影響らしい。
    今ではここもフォトスポット。

    観光客の落書き。
    意味のないメッセージ。
    ハートマークと日付。

    その中に、紛れている。
    仕事。

    ウサギの視線が止まる。
    ペットを病院まで運んでほしい。
    それだけ。

    なのに、報酬がいい。

    明らかに釣り合っていない。
    ウサギはポケットを探る。

    仕事用。ゲーム用。

    そしてもうひとつ。
    操作の簡単な、小さな端末。

    軽い依頼だけを拾うための機械。

    起動。

    黒板の隅に書かれたIDを打ち込む。
    送信。

    ――まだ空いてる?

    間を置かずに返事が来る。

    「まだです」
    「あなたがやってくれるの?」

    早すぎる。
    ウサギはほんの少しだけ眉を寄せる。

    だが、その違和感は長くは続かない。

    ――やるよ。
    送信。

    音は途切れない。
    右、左。

    指定された場所。
    依頼主はすぐに見つかった。

    金の匂いがするヒューマンだった。
    身なり。姿勢。
    言葉にしなくてもわかる。

    差し出されたのは、透明なドーム付きのリュック。
    宇宙船みたいな形。

    中に、小さな影。
    デグーだった。

    ふわふわの毛並み。
    丸い目。

    ウサギはしゃがみこんで覗く。
    「……かわいいじゃん」

    デグーは、こちらを見ている。
    見ているというより、何かを拾っているみたいに。 

    ウサギがリュックを背負う。
    歩き出す。
    シティの中を、軽く。

    観光客が振り返る。
    スマートフォンが向けられる。

    デグーが、ドームを軽く叩いた。

    コツン。
    音に反応している。

    右、左。
    歩幅に合わせて、小さな体が揺れる。
    呼吸ではないリズム。

    音への追従。


    病院はすぐに見つかった。

    看板は古い。
    だが、表面だけが新しい。

    更新された形跡。
    ドアは自動だった。

    けれど、開くまでに一拍のズレがある。

    ウサギは中に入る。
    空気が違う。
    消毒の匂いではない。
    乾いた砂の匂い。


    記憶の奥に引っかかる種類の匂い。

    リュックの中で、デグーが止まる。
    完全に。

    音に反応していたはずの生きものが、
    ここでは反応しない。  


    奥から声。

    「お待ちしていました」

    受付には誰もいない。

    ウサギは一瞬だけ空間を見回す。

    壁。光。奥行き。
    サイズが合っていない。
    小動物の病院にしては、通路が長すぎる。


    「……まあいいか」

    仕事は、運ぶところまで。

    リュックを差し出す。

    その瞬間。
    デグーが動いた。
    コツン。
    一回だけ。
    ゆっくり。
    ウサギの方へ向かって。

    ――ノック。
    右、左。

    今までのリズムと、わずかにズレている。
    返事を待つみたいに。

    リュックはそのまま奥へ運ばれる。

    長い通路の先。
    機械音が、かすかに増える。


    ウサギは何も言わずに背を向けた。


    帰り道。

    メッセージを送る。

    ちゃんと送りました。
    お迎えよろしくお願いします。

    既読はつかない。

    ウォレットを確認する。

    ブロックは増えている。

    「楽な仕事多いよね」
    独り言。

    電車には乗らない。
    歩く。

    音を聴きながら。

    古着屋に入る。
    空気が少し湿っている。

    布の匂い。

    ブートのバンドT。
    古いアニメ。
    ゲーム。

    企業ロゴ。

    その中で、手が止まる。

    風邪薬で有名な製薬会社。
    色褪せたロゴ。

    サイズはちょうどいい。
    レディース。

    値段がつかないカテゴリー。
    残っていた理由。


    「……買いだね」


    帰宅。

    うさぎとくまのマンションは古い外観をしている。

    一歩入ると新しい内装。
    リノベーション。
    エレベーターは過剰に最新。

    「私の払う公益費ここか」
    独り言。

    マンションの前の交差点には、最近できた地下鉄の駅。
    立地は当たり。
    クマは言う
    おまえは石油を掘り当てたみたいだな。
    ほかの住民の家賃は知らない。
    うさぎは前から住んでいるので、かなり安い方だと思う。
    住民はよく分からない。
    事務所にしている人もいるようだ。
    エントランスで会うのは、グラフィックデザイナーやスタイリスト。
    オフィスにしているのだろう。

    四階。

    隣人は不明。

    ウサギのかける音楽に耐えているのか、いないのか、強いのか。
    わからない。

    引っ越し屋のステッカーのドアを開けて、短い廊下を歩く。
    部屋の中ではくまが端末を見ている。
    古い機械。

    「ただいま」
    「おかえり」
    「今日はソロ仕事」

    ウサギは靴を脱ぎながら言う。
    「テグー運んだだけなのにさ、ブロックいいのよ」
    笑う。

    Tシャツを見せる。
    「これ。風邪薬の会社。レア」

    くまの視線が止まる。
    一瞬。
    呼吸がズレる。

    「……どこで見つけた」
    「駅の古着屋」

    くまはロゴを見る。
    記号としてではなく、履歴として。

    「……昔、関わってた」
    それだけ。

    「なんかさ」
    ウサギは続ける。

    「お金持ちっぽいおばさんに頼まれてさ」
    「宇宙船リュックにテグー」
    笑う。

    「でも変なの」
    くまの指が止まる。

    「音に反応するの。歩くリズムとか」
    右、左。
    「テグーって耳いいの?」

    くまが顔を上げる。
    「……どこの病院」
    「駅の近くの古いやつ」


    沈黙。


    「今日はここまでにしよ」
    ウサギは伸びをする。
    「古いのに新しい感じでさ」
    笑う。

    「掲示板書く暇あるなら自分で行けるでしょ」

    音が流れる。
    右、左。

    くまは何も言わない。

    ただ、ロゴと病院を重ねる。

    一致。
    古いのに、最新。


    端末が光る。
    検索。


    アクセス拒否。
    ログ削除。

    音だけが、残る。

    右、左。

    ドアノック。

     
     
    好きなものは地下からメジャーまでエンタメ好き。 エンタメで夢と希望と挫折を味わった人。

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