
【ものもち】『保全の知恵』第7話「シンギュラリティを前に」― AI時代、それでも人は人で伸びる ―
オイルショックで造船所が破産した時、ちょうど私は三十歳だった。すでに結婚して、子供もいた。
「地元へ就職の前にパスポートを使いたい」
もう亡くなった親父にそう頭を下げて、初めての海外出張を命じられて作ったパスポートを持って、アメリカへ行った。
正直アメリカへ旅するのは怖かった。だが地元で一生を終える不安と、異国への興味が重なり、無謀にもひとりで飛んだ。
その結果、NYで造船所時代の監督に感化され、父との約束を反故にして神戸へ移った。入った会社は、世界の船会社と取引があり、連日Telexで注文が来るわくるわ!
会社は昭和40年台から米国のオフコンを導入し、Note PCの導入も抜きん出ていた。新幹線の中でも最新の機種を駆使して、夜討ち朝駆けの技術営業に飛びまわった。
その後、管理職になった私は、お節介にもなぜか他部門のことにも口を挟んだ。
「毎日、やれ洗剤だ文房具だと、同じ消耗品の注文が来るんだから、それをまとめてメーカーと交渉すれば――」
なにかの会議で、そうぶち上げた。なぜなら、私が担当のコンテナ金物自体、港へ入る船から修理や代替品の注文を捌く中、それをまとめる部門だったからである。
確かにそれを始めたのは技術系の管理職で、そこへ私は専門職で採用されたのである。
「でも、今のオフコンでは無理です」
と、私は言わずもがなの言葉を発してしまった。案の定、電算機室のトップに罵声を浴びせられてしまった。
ただ、私も向こう見ず、即反駁した。
「では今のシステムで、どうやって一つの品目の納入数を出すんですか?」
「そんなもん、納入データをプリントすれば、幾らでも分かる!」
そう宣う。だがすでに私は、オフコンの欠点を知っていた。自分の扱う製品で、売上の集計は立処だが、数の集計は無理だった。
「そんなもん、営業が数えればいい!」
「えっ、赤鉛筆ナメナメ数えるんですか」
と、無毛な激論が交わされた。
あれから三十年あまり。時代は変わった。
だが忘れてはならないのは、経営者同様、技術屋もまた自分の作ったシステムを悪く言われると、思い込みがあるだけに激怒する。
なにかにつけて、人間は「0と1」では相すまない。それが証拠に、件のトップは、私が会社を辞めてもなお、応援して下さった。
血の通った組織で働けた私は幸せ者である。
AIがどれほど進化しても、人を最後に支えるのは、人との縁であり、現場で交わす言葉である。それだけは、シンギュラリティの時代になっても、消えてほしくない。
(了)/文・小林正典
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