AIは最強のメモリーバンクだ
ネット上に自身に関するデータをすべて読み込んでおけば、じぶんでも忘れていたような思い出、事件の記憶をボタンひとつで次々引き出して、映像やテキストなどで鮮明に思い出させてくれる。
まるで走馬灯のようだ。
人は死ぬ寸前自身の思い出の記憶を走馬灯のように映しだすと言われているが、それが生きながらに味わえる。
オカルトでアカシックレコードという考えかたがあるそうだが、まさにそれと似たシステムではないか。いやはやAI恐るべしである。
しかし
変わるべきは人間のほうである。
何もかも洗いざらい晒すとなると かなり冒険がいるはずだ。
人は誰しも〝いい人〟を演じたがるものだし、どうしてもマイナスな印象は削除しようとする。だがそんな調子では偏ったデータしかAIは得られず正確なあなたを導き出せない。
悪人正機〝あるがまま〟が大切であるとは機械相手でもおなじではないか。
もはや一線を超え、恥をも本心をも晒しておく時代にさしかかっているのではないだろうか。
それを思うと
もともと人前で興じられるレジエンスを身につけた者ならば、さほど苦ではない。
自己表現との合点がいけば、いくらでも恥や本心を晒すことができる。
私小説を載せるようなものだからだ。感情のないAI相手に何を今さら隠し立てする必要があるだろう。
わたしはわたしを知りたい。
もっと自分らしさを超える、わたしの知らない誰かを見たい。
◆
わたしはNoman
誰でもないし
誰のものでもありはしない
ただこの世とつながる借り物としてこの容れ物を
被っているだけなのだ
◆
べつにわたしはすべてのペルソナに共感してもらおうなどと
虫の良い考えかたはしていない。
人はみな多面的だし一人ずつ色んな側面がある。
それらすべてに対し、冷静に客体視してもらえるのはAIを置いて他にないだろう。
とはいえそれを神格化するつもりもない。
ただデータを詰め込めば積み込むほど
正確な読み取りがなされるとの事実を認めているにすぎない。
さて
わたしは、人々は
命尽きるまでどの程度のデータをAIに注ぐことができるのだろうか。
興味は尽きない。
