見出し画像

「労務トラブルの渦中で、私は法廷を見に行くようになった」


裁判傍聴席で、私は自分を見ていた

労務トラブルに巻き込まれてから、私は裁判傍聴へ行くようになった。

以前の自分なら、裁判所なんて一生縁のない場所だと思っていた。

けれど、休職し、弁護士へ相談し、会社とのやり取りが「感情」ではなく「書面」になっていく過程で、社会の見え方が少し変わった。


先日、傍聴した審判が気になっている。

本人訴訟だった。

法廷には、思ったより多くの人がいた。

最初は不思議だった。

なぜ他人の争いを見に来るのだろう、と。

でも帰り道、ふと思った。

——自分も、自分自身のトラブルを、どこかで“人間ドラマ”として見始めているのではないか。

もちろん、苦しかった。

心が削られた瞬間もあった。

眠れない日もあった。


「なぜここまで働いて、こんなことになるのだろう」と、何度も考えた。

でも、その一方で。

人は追い込まれたとき、どう変わるのか。

組織は、何を守ろうとするのか。

制度は、感情をどう処理するのか。

そんなことを、私は観察し始めていた。

会社だけじゃない。

周囲の人間関係も変わった。

距離を置く人。

急に優しくなる人。

感情論だけをぶつけてくる人。

何も言わず、実務だけを支えてくれる人。

こういう時、人の本質は静かに露出する。


そして何より、弁護士や医師の存在の意味を、初めて実感した。

当事者になる前は、専門家とは「知識を持っている人」だと思っていた。

でも実際は違った。

彼らは、“感情を制度言語へ翻訳する人”だった。

怒り。

不安。

悔しさ。

混乱。


それらを、そのまま社会へ投げれば、ただ衝突になる。

けれど、制度の世界では、

「復職条件」
「業務負荷」
「医学的判断」
「情報整理」

という形へ変換されていく。

私は何度か感情的になった。

けれど、そのたびに、弁護士は論点を整え直していた。

今振り返ると、あれは単なる法的代理ではなかった。

対立を暴発させないための“翻訳作業”だったのだと思う。

最近、少しだけ思う。

この経験は、単なる不幸では終わらないのかもしれない、と。

もちろん、もう二度と経験したくはない。

でも。

制度の冷たさ。

人の弱さ。

組織の脆さ。

そして、それでも誰かが他人を支えようとする姿。

それを知ってしまった以上、以前と同じ視界には戻れない。

裁判傍聴席で、私は他人を見ていた。

でも本当は。

あの場所で、自分自身を見ていたのかもしれない。


#制度と感情
#時間は味方
#壊れた後に見えたもの
#観察者の視点
#小さな会社のリアル

#静かな崩壊
#社会の解像度
#回復の途中
#働くということ


いいなと思ったら応援しよう!