見出し画像

大人になった私のデフォルトは、果たして楽しいのか。

大人になり大事なものが大きくなると、自分のことは後回しで、誰かのために生きてしまうことがある気がする。

協調性という言葉に支配されて、誰かが求めてることに応えること、誰かの役に立つこと、先読みをし誰かに貢献できること。
何か出来事があった時、何よりも先にその思考が走る。
常に相手の役に立って喜んでもらえることがよいことで、それでその場が円満ならばそれが良い。それがいつしか大人になった自分のデフォルトになっていた。

だけど、実家で見つけた子供の頃の写真、学生時代の卒業アルバム、友達とノリで撮ったおちゃらけたスナップ写真、就職試験で自己PRを考えるためにメモした自己分析。そこには、自分が全力で楽しみ自分のことを考え、自由に当たり前のようにその時を楽しんでいる自分のエネルギーみたいなものを感じた。

そして、思い出した。
昔は、一人でドラマを見たり、セルフでネイルアートをしたり、新しいメイクセットやコフレを買うために定時に上がったり、空腹そっちのけで戦利品を開封していた。すべて自分の楽しいワクワクのため。ただそれだけだった。

年齢を重ねるにつれ、責任がおもくなるにつれ、少しずつ少しずつその楽しいワクワクを忘れていっていることに気がついた。

大人になった自分のデフォルトは果たして楽しいのか。

時代も変わり、環境も変わり、今は今で今を楽しんでいるのだと思う。だから、そこは良し悪しではない。だけど、自分の心からの希望には応えていないのかもしれない。

これに気づいたことも、実家で子供の頃の写真を見たことも、偶然のような必然だとしたら、ちょっとあの頃の自分を思い出し、今自分が何やってみたい?を探したくなった。

_____________
Nami(ナミ)


いいなと思ったら応援しよう!