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第3話:貿易から思想へ──日本は「世界との距離」をどう測ってきたのか

    アノニマウス


    ――陰キャ属性のギャルが、歴史から考える日本と外との距離感3


    ■~前回のおさらい~
    貿易は、モノだけを運んだわけではなかった

    前回、貿易の話を書いた。
    日本は「鎖国していた国」と言われがちだけれど、
    実際には、外と取引をし続けていたという話だ。

    では、その取引は、
    日本の中で何を変えたのだろうか。

    モノや技術が入った、というだけではない。
    そこから、日本の考え方そのものが、
    少しずつ形を変えていったのではないかと、
    私は思っている。

    ⸻

    ■外と取引するということは、考え方と向き合うことだった

    貿易というと、
    経済や利益の話として語られることが多い。

    何を輸入したか。
    何を輸出したか。
    どれだけ儲かったか。

    もちろん、それらも重要だ。
    けれど、貿易はそれだけのものではなかった。

    外の国と取引をするということは、
    モノと一緒に、
    世界の考え方が
    日本の中へ入ってくるということでもあった。

    ⸻

    ■中国とつながりながら、同じ枠には入らなかった日本

    たとえば、日本が中国と行っていた貿易を見てみる。

    宋の時代も、明の時代も、
    日本は中国と盛んに取引をしていた。
    けれどその関係は、
    「完全に同じ枠組みに入る」ものではなかった。

    中国側には、
    世界の中心に自分たちがあり、
    周辺国はその秩序に組み込まれる、
    という発想があった。

    一方、日本は、
    モノや技術は受け取りながらも、
    その価値観や序列までは
    受け入れなかった。

    取引はする。
    しかし、立場は対等でいたい。

    その距離感は、
    日宋貿易でも、日明貿易でも、
    一貫していたように見える。

    ⸻

    ■管理された窓口としての朱印船貿易

    やがて時代が下り、
    朱印船貿易が始まると、
    その姿勢はさらに分かりやすくなる。

    誰が、どこへ行き、
    誰と取引するのか。

    それを国が管理することで、
    日本は外とつながった。

    自由に世界へ溶け出すのではなく、
    管理された窓口から関わる。

    そこには、
    「外と関わること」そのものよりも、
    「どう関わるか」を重視する感覚があった。

    ⸻

    ■利益と合理性だけでは動かなかった日本社会

    こうした貿易のあり方は、
    外の商人たちの感覚とは、
    少し違っていた。

    外の商人たちは、
    とても合理的だった。

    利益が出るなら取引する。
    出なければ撤退する。
    条件が合わなければ、
    長年の関係でも切る。

    それは冷たいというより、
    彼らにとっては
    ごく自然な判断だったのだと思う。

    一方、日本社会では、
    人との関係や継続性が
    重く見られていた。

    損か得か、だけでなく、
    その先にある空気や信頼、
    共同体の安定まで含めて、
    取引が成り立っていた。

    ⸻

    ■契約・時間・約束に対する、世界とのズレ

    契約の感覚も違っていた。

    外の世界では、
    書面に書かれた内容がすべてで、
    そこに書かれていないことは
    守る必要がないと考えられていた。

    中世ヨーロッパの商業社会では、
    期限や納期、利息の発生時点が、
    取引の前提として管理されていた。

    一方、日本の交易では、
    季節や天候、
    人の都合が、
    大きな意味を持ち続けていた。

    書かれた約束よりも、
    状況や関係性を見ながら
    調整する。

    その感覚は、
    外の論理とは
    少しずれていたのかもしれない。

    ⸻

    ■時間を「管理」しなかったという選択

    時間の捉え方も、
    ここにつながっている。

    外の商人にとって、
    時間は管理するものだった。

    納期は絶対。
    遅れは信用問題。
    時間は、そのままお金につながる。

    けれど日本では、
    時間は厳密に切り分けるものというより、
    流れの中にあるものとして
    受け止められていた。

    ⸻

    ■貿易は、世界との距離を測る道具だった

    こうした違いは、
    善悪の問題ではない。

    どちらが正しい、
    どちらが進んでいる、
    という話でもない。

    ただ、
    世界の見え方が違っていた
    というだけだ。

    そして日本は、
    それらをすべて拒否したわけでも、
    すべて受け入れたわけでもなかった。

    必要な部分は取り入れ、
    違和感のある部分には
    距離を取った。

    ⸻

    ■日本が確かめ続けた、自分たちの

    輪郭
    ここで、少し視点を変えてみたい。

    日本は、
    貿易を「世界に溶け込むための手段」として
    使っていたのだろうか。

    そうではなく、
    世界とどの距離で付き合うかを測る道具
    として使っていたのではないだろうか。

    日宋の時代も、
    日明の時代も、
    朱印船の時代も、
    日本は一貫して、
    その距離を測り続けていた。

    ⸻

    つまり、貿易は、
    単なる経済活動ではなかった。

    それは、
    日本が自分たちの輪郭を
    確かめ続ける時間でもあった。

    何を受け入れ、
    何を留め、
    何を距離の外に置くのか。

    その判断の積み重ねが、
    やがて
    「思想」と呼ばれるものへ
    つながっていったのではないかと思う。

    ⸻

    ■モノより慎重に扱われた「信じる」という問題

    世界とつながりながら、
    完全には同じ輪に入らない。

    便利さを取り入れながら、
    すべてを合理化しない。

    この少し不思議な距離感は、
    突然生まれたものではない。

    宋や明との取引、
    朱印船による海外交易という、
    とても現実的な場面の中で、
    何度も選ばれ、
    何度も調整されてきた結果なのだと思う。

    ⸻

    そして、
    その「選ぶ」という姿勢が、
    最も強く表れたのが、

    何を信じるか
    という問題だった。

    モノよりも慎重に。
    技術よりも時間をかけて。

    日本は、
    信じるものについては、
    特に距離を測り続けてきた。

    ⸻

    ■貿易から思想へ、その先にあったもの

    貿易から思想へ、その先にあったものがあったのが、宗教だった。

    次回は
    なぜ宗教が求められ、なぜ力を持ち、なぜ危険視されるようになったのかを考えていきたい。

    ↓↓↓次回↓↓↓


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