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介護業界!?あるある 自分編その74

第七十四話「利用者さんの歯磨き、拒否からの攻防戦になりがち」

〜口腔ケアをめぐる、終わりなき知恵比べ〜

はじめに

食後の口腔ケアの時間。

介護現場では、静かな攻防戦が始まる。

「Aさん、歯磨きしましょうか」

「もう磨いた」

磨いていない。

さっきまで一緒にいたから、確実に磨いていない。

「いつ磨きました?」

「さっきや」

「さっきは、ご飯食べてましたよ」

「その前や」

「その前は、テレビ見てましたよ」

「……とにかく磨いたんや」

磨いていないのに「磨いた」と言い張る利用者さん。

なんとか磨いてもらいたい職員。

口腔ケアをめぐる知恵比べが、今日も繰り広げられる。

これが介護現場の、日常の攻防戦あるあるだ。

「もう磨いた」の壁

歯磨き拒否の定番フレーズ、第一位。

「もう磨いた」

これが、なかなか手強い。

本人の中では、磨いたことになっている。

昨日磨いた記憶かもしれない。朝磨いた記憶かもしれない。

でも本人にとっては「磨いた」のだ。

「Aさん、じゃあもう一回磨きましょうか。すっきりしますよ」

「二回も磨いたら、歯が減るわ」

「減りません」

「わしの歯は、大事にせなあかんのや」

「大事にするために、磨くんです」

「磨いたて言うとるやろ」

議論は平行線。

正面突破は、難しい。

作戦変更が必要だ。

「Aさん、お茶飲みました?」

「飲んだで」

「じゃあ、お口さっぱりさせましょか。お茶の後は、口の中ネバネバしますから」

「ネバネバ……確かにするな」

「でしょう?さっぱりしましょ」

「……ほな、ちょっとだけな」

「磨く」ではなく「さっぱりさせる」。

言葉を変えるだけで、扉が開くことがある。

「入れ歯やから磨かんでええ」問題

歯磨き拒否のフレーズ、第二位。

「わしは入れ歯やから、磨かんでええ」

これも定番だ。

「Bさん、入れ歯も磨くんですよ」

「入れ歯は歯やないやろ」

「歯の代わりです。汚れもつきます」

「プラスチックに虫歯はできんやろ」

「虫歯はできませんけど、菌はつきます」

「菌?」

「入れ歯を磨かないと、菌が繁殖して、肺炎の原因になることもあるんです」

「肺炎!?」

「そうなんです。だから入れ歯も、毎日ピカピカにしましょう」

「……ほな、頼むわ」

正しい知識の説明が、効くこともある。

「入れ歯も磨く」は、意外と知られていない。

「入れ歯外して、何十年ぶりに聞いたわ、そんな話」

「大事なことなんですよ」

「あんた、物知りやなぁ」

「仕事ですから」

知識で攻める作戦、成功である。

歌いながらだと成功率が上がる謎

口腔ケアの攻防戦には、不思議な必勝法がある。

歌だ。

なぜか、歌いながらだと、歯磨きの成功率が上がる。

「Cさん、歯磨きしましょ〜♪」

「いやや」

「はを〜みがきま〜しょ〜♪シュッシュッシュ〜♪」

「……なんや、その歌」

「歯磨きの歌です♪ご一緒に〜♪」

「シュッシュッシュ〜♪」

つられて歌い出すCさん。

「その調子です!お口開けて〜♪」

「あ〜ん♪」

開いた。

歌のリズムに乗せると、なぜか口が開く。

「磨きま〜すよ〜♪ゴシゴシゴシ〜♪」

「ゴシゴシゴシ〜♪」

歌いながら、磨かれてくれるCさん。

「はい、おしまい!お上手でした!」

「なんや、終わったんか」

「終わりました〜♪」

「歌っとったら、あっという間やな」

これが、歌の力だ。

理屈ではない。

リズムと楽しさが、拒否の壁を溶かす。

「なんで歌やと磨けるんですかね」

「わからん。でも磨けるならええやん」

「それもそうですね」

介護現場の七不思議の一つである。

利用者さんごとの攻略法

歯磨き攻防戦を重ねるうちに、利用者さんごとの攻略法がわかってくる。

Aさんは、「さっぱり」という言葉に弱い。

「さっぱりしましょ」で、成功率八割。

Bさんは、理屈派。

「菌が」「肺炎が」という説明で、納得してくれる。

Cさんは、歌。

童謡でも演歌でも、歌えば口が開く。

Dさんは、競争心をくすぐる作戦。

「Dさん、隣のEさん、もう磨き終わりましたよ」

「なに!?わしも磨く!」

「さすがです!」

Eさんは、褒め殺し作戦。

「Eさんの歯、きれいですね〜。磨いたらもっとピカピカになりますよ」

「ほうか?ほな磨こか」

Fさんは、鏡作戦。

鏡を見せながら磨くと、自分でも磨きたくなるらしい。

「わしがやる」

「どうぞどうぞ」

一人ひとりの攻略法をまとめれば、「口腔ケア攻略大全」ができそうだ。

「この情報、申し送りで共有しましょう」

「Cさんは歌、と」

攻略法は、チームの財産である。

なぜ口腔ケアが大切なのか

そもそも、なぜここまでして歯磨きをするのか。

口腔ケアは、命に関わるからだ。

口の中の菌が増えると、誤嚥性肺炎のリスクが上がる。

高齢者にとって、肺炎は命取りになりかねない。

だから、毎食後の口腔ケアが大切なのだ。

「たかが歯磨き、されど歯磨き」

「口の中をきれいにすることが、命を守ることになるんや」

先輩職員の言葉が、胸に残っている。

だから、拒否されても、あの手この手で磨いてもらう。

しつこいと思われても、健康のためだ。

「Aさん、また来ましたよ、歯磨きの時間です」

「あんたもしつこいなぁ」

「しつこさが取り柄なんで」

「ふん。ほな、ちょっとだけやで」

「ありがとうございます!」

このしつこさは、愛なのだ。

磨き終わった後の「さっぱりした」

攻防戦の末に、歯磨きが完了したとき。

利用者さんから、あの一言が出る。

「ああ、さっぱりした」

「でしょう?」

「口の中が、すーすーするわ」

「気持ちいいですよね」

「せやな。磨いてよかったわ」

さっきまで拒否していたのに。

「最初から素直に磨けばいいのに」とは、言わない。

「よかったです。また食後にしましょうね」

「おう」

そして次の食後。

「Aさん、歯磨きしましょうか」

「もう磨いた」

振り出しに戻る。

でも、それでいい。

毎回の攻防戦も、毎回の「さっぱりした」も、日常の一部だ。

「今日はどの作戦でいこかな」

攻略法を考えるのも、少し楽しくなってきた自分がいる。

おわりに

利用者さんの歯磨き、拒否からの攻防戦になりがち。

これは介護現場の、知恵比べのあるあるだ。

「もう磨いた」(磨いてない)。

「入れ歯やから磨かんでええ」(入れ歯も磨きます)。

定番の拒否フレーズに、あの手この手で応戦する職員。

言葉を変える。知識で説明する。競争心をくすぐる。褒める。

そして最強の必勝法、歌。

「シュッシュッシュ〜♪」のリズムが、なぜか口を開かせる。

その謎は解明されていないが、磨ければオッケーだ。

口腔ケアは、命を守るケア。

だから今日も、しつこく、優しく、楽しく、攻防戦に挑む。

「ああ、さっぱりした」

その一言が、攻防戦の勝利宣言だ。

今日もどこかの施設で、歯磨きの歌が響いている。

「はを〜みがきま〜しょ〜♪」

その歌声は、健康を守る愛の歌である。

#創作大賞2026 #エッセイ部門

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