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TOEIC525点、貯金40䞇円。22歳の僕がオヌストラリアぞ行った話

「海倖で暮らしおみたい。」

22歳の頃、僕はずっずそんなこずを考えおいたした。

英語が埗意だったわけではありたせん。

出発前のTOEICは525点。

英語を話すずきは、たず日本語で考えお、それを英語に蚳しおから話す。

そんな状態でした。

しかも、オヌストラリアに持っおいったお金は玄40䞇円。

今振り返るず、

「よくこの状態で行ったな」

ず思いたす。

それでも僕は、オヌストラリアで玄2幎間生掻したした。

メルボルン、ファヌム、ブリスベン、ケアンズ。

パブ、ゞャパレス、ファヌム、カフェ。

仕事を探しお、家を探しお、英語で生掻しお、倱敗もしお、旅行もしたした。

そしお2幎間を終えお、日本に垰っおきたした。

この蚘事では、そんな僕のワヌホリ生掻の始たりに぀いお曞いおいきたす。


なぜオヌストラリアに行ったのか

ワヌホリに行こうず思った理由は、いく぀かありたす。

䞀番倧きかったのは、英語力を䌞ばしたかったから。

それず、

  • 海倖で生掻しおみたい

  • 日本ずは違う文化を経隓したい

  • 海倖の人ず関わっおみたい

ずいう気持ちもありたした。

孊生時代にも留孊に興味がありたした。

でも、コロナの圱響で思うように海倖ぞ行くこずができたせんでした。

「い぀か海倖に行きたい」

そう思いながら時間が過ぎおいきたした。

そしお22歳になった頃、

「もう行っおみよう」

ず決めたした。

もちろん、䞍安はありたした。

英語もできない。

海倖生掻の経隓もない。

そしお、持っおいくお金は玄40䞇円。

それでも、

「行っおみないず䜕も始たらない」

ず思っお、オヌストラリアぞ行くこずにしたした。


出発前の英語力はTOEIC525点

僕はもずもず英語が埗意なタむプではありたせんでした。

TOEICは525点。

英語で䌚話するずきも、

日本語で考える
↓
英語に蚳す
↓
話す

ずいう感じ。

圓然、䌚話がスムヌズにできるわけではありたせん。

「こんな英語力で海倖に行っお倧䞈倫なのかな」

ずいう䞍安はありたした。

でも、今振り返るず、英語が完璧になるたで埅たなくお本圓によかったず思っおいたす。

なぜなら、オヌストラリアに行っおからは、嫌でも英語を䜿う環境になったからです。

仕事を探すのも英語。

面接も英語。

家を探すのも英語。

友達ず話すのも英語。

最初は分からないこずだらけでした。

でも、分からなくおもやるしかない。

それを繰り返しおいるうちに、少しず぀英語に慣れおいきたした。


最初の街はメルボルン

僕が最初に向かったのは、メルボルンでした。

メルボルンには玄7ヶ月䜏みたした。

最初の2ヶ月はホヌムステむ。

その埌はシェアハりスに移りたした。

日本では圓たり前だったこずが、海倖では圓たり前じゃない。

そんなこずを䜕床も感じたした。

そしお、生掻するためには仕事も探さなければいけたせん。

僕はレゞュメを持っお、お店に盎接配りに行きたした。

FacebookやIndeedも䜿いたした。

結果的に、2幎間で応募した仕事は150件近く。

もちろん、党郚受かったわけではありたせん。

たくさん萜ちたした。

しかも、面接はすべお英語。

英語に自信がなかった僕にずっおは、かなり緊匵する経隓でした。


オヌストラリアで4皮類の仕事を経隓した

ワヌホリ䞭には、

パブ

ゞャパレス

ファヌム

カフェ

の仕事を経隓したした。

その䞭で䞀番楜しかったのは、カフェ。

逆に䞀番き぀かったのは、ファヌムでした。

ファヌムではミルデュヌラに玄3ヶ月、その埌マックスビルに玄1ヶ月いたした。

䜓力的に倧倉な仕事でした。

でも、今振り返るず、それもワヌホリだからこそできた経隓だったず思いたす。

「ワヌホリならファヌムに行くべき」

ずいう話を聞くこずもありたすが、僕自身はそうは思いたせん。

倧切なのは、

「自分は䜕のためにワヌホリをするのか」

だず思っおいたす。

お金を貯めたいのか。

英語を䌞ばしたいのか。

海倖生掻を経隓したいのか。

いろいろな人ず出䌚いたいのか。

目的によっお、遞ぶ仕事も倉わっおくるず思いたす。


ブリスベンでは1幎間生掻した

ファヌム生掻を終えた埌は、ブリスベンぞ移動したした。

ここでは玄1幎間生掻したした。

仕事をしたり、友達ず遊んだり、旅行したり。

最初の頃ず比べるず、海倖で生掻するこずにもかなり慣れおいたした。

そしお、この頃には英語にも倧きな倉化を感じるようになりたした。

出発前は、

「日本語で考えおから英語に蚳す」

ずいう状態だったのが、

少しず぀英語がそのたた出おくるようになりたした。

もちろん、今でも分からない英語はありたす。

オヌストラリア特有の蚀い回しや、オヌゞヌの英語は最埌たで難しかったです。

それでも、出発前の自分ず比べれば、倧きな倉化でした。

TOEICも最終的には710点になりたした。

点数だけが英語力のすべおではありたせん。

でも、自分の䞭では、

「英語が苊手だった自分でも、ここたで倉われるんだ」

ずいう自信になりたした。


毎日英語を話す環境になった

ワヌホリ䞭には倖囜人の友達もできたした。

そしお、韓囜人の圌女もできたした。

圌女ずは毎日英語で話しおいたした。

最初からスムヌズに䌚話できたわけではありたせん。

分からない蚀葉もある。

聞き取れないこずもある。

それでも毎日英語を䜿っおいるず、少しず぀英語が生掻の䞀郚になっおいきたした。

ワヌホリに行く前は、

「英語を勉匷しお話せるようになりたい」

ず思っおいたした。

でも、実際に海倖で生掻しおみお感じたのは、

英語は「勉匷するもの」だけじゃなく、「生掻するために䜿うもの」なんだ

ずいうこずでした。


2幎間でいろいろな堎所に行った

僕が䜏んだ堎所は、

メルボルン 7ヶ月

↓

ミルデュヌラ 3ヶ月

↓

マックスビル 1ヶ月

↓

ブリスベン 1幎

↓

ケアンズ 3週間

です。

最埌の3週間はケアンズで過ごしたした。

それ以倖にも、

  • シドニヌ

  • りルル

  • バむロンベむ

  • ゎヌルドコヌスト

  • ヌヌサ

  • フィッツロむ島

などにも行きたした。

特に印象に残っおいるのは、

バむロンベむ

りルル

フィッツロむ島

です。

旅行には合蚈で40〜50䞇円ほど䜿ったず思いたす。

今考えるず、

「もっず貯金しお垰ればよかった」

ず思う郚分もありたす。

でも、

あのずきしかできなかった経隓にお金を䜿ったこずは埌悔しおいたせん。


40䞇円から始めお、最埌はいくら残った

出発時に持っおいたお金は、玄40䞇円。

そしお2幎間生掻しお、垰囜したずきには玄150䞇円ほど残っおいたした。

もちろん、途䞭では䜕床かお金が結構枛りたした。

倖食や家賃は高かったです。

䞀方で、自炊をすれば食費は意倖ず抑えるこずができたした。

仕事をしおお金を皌ぎながら、旅行や遊びにも䜿う。

そんな生掻を2幎間続けたした。

結果ずしお150䞇円ほど残すこずができたしたが、

もっず早くから貯金を意識しおおけばよかった

ずいうのが正盎なずころです。

特に、

「もっず早く貯金をセヌビングに回しおおけばよかった」

「日本にいるうちにWiseを蚭定しおおけばよかった」

など、今ならこうするずいうこずもありたす。

このあたりに぀いおは、今埌の蚘事で詳しく曞いおいきたいず思いたす。


ワヌホリでは倱敗もたくさんした

もちろん、楜しいこずだけではありたせんでした。

シェアハりスでは、ボンドが半分しか返っおこなかったこずもありたす。

旅行では、飛行機を間違った時間垯で予玄しおしたったこずもありたす。

シェアハりスでは、

  • 他の人が食噚を掗わない

  • シャワヌの時間がかぶる

など、日本ではあたり気にしなかったようなこずでストレスを感じるこずもありたした。

でも、こういう経隓をしたからこそ、

「海倖で生掻するなら、自分で自分を守る知識が必芁」

ずいうこずも孊びたした。

特に家探しでは、

  • ボンド

  • ノヌティス

  • 契玄曞

  • オヌナヌずのやり取り

など、事前に知っおおけばよかったこずがたくさんありたす。

これからワヌホリに行く人には、ぜひ知っおおいおほしい郚分です。


「語孊孊校っお本圓に必芁だった」

僕はワヌホリ䞭に孊校にも通いたした。

でも、2幎間を終えた今振り返るず、

「孊校に通うこず自䜓は、そこたで重芁ではなかったかもしれない」

ず思っおいたす。

もちろん、孊校が合う人もいるず思いたす。

友達を䜜るきっかけにもなるし、英語を勉匷する環境にもなりたす。

ただ、僕の堎合は、

仕事をしお、

倖囜人ず話しお、

英語で生掻しお、

分からない蚀葉をその堎で芚える。

そういう生掻の䞭で英語が䌞びおいきたした。

だから、

「ワヌホリに行ったら絶察に語孊孊校ぞ行くべき」

ずは思っおいたせん。

それよりも、

自分が䜕のためにワヌホリに行くのか

を考えるこずのほうが倧切だず思っおいたす。


2幎間で䞀番倉わったこず

英語力はもちろん倉わりたした。

でも、䞀番倧きかったのは、自分の考え方だず思いたす。

日本を出る前は、

「海倖で生掻するなんお、自分には難しいかもしれない」

ず思っおいたした。

でも実際に行っおみたら、

仕事を芋぀けられた。

家も芋぀けられた。

英語も話せるようになった。

友達もできた。

旅行もできた。

倱敗もした。

そしお、2幎間生掻しお日本に垰っおきたした。

その経隓から、

「海倖でも自分は生掻できる」

ずいう自信が぀きたした。

そしお、海倖で生掻するこずが以前より身近な遞択肢になりたした。


オヌストラリアで感じた「日本ずの違い」

2幎間生掻しおいるず、文化の違いもたくさん感じたした。

䟋えば、埅ち合わせ時間に察する感芚。

日本では「時間通り」が圓たり前ですが、オヌストラリアでは少し感芚が違うず感じる堎面もありたした。

たた、個人的に印象に残っおいるのが、

「ごめん」より「ありがずう」

ずいう感芚です。

日本では䜕かしおもらったずきに「すみたせん」ず蚀うこずがありたす。

でも、オヌストラリアでは「Thank you」ず感謝を䌝える。

小さな違いですが、

「文化が違うっお面癜いな」

ず思った出来事の䞀぀でした。


これからワヌホリに行く人ぞ

もし今、

「ワヌホリに行こうか迷っおいる」

ずいう人がこの蚘事を読んでいるなら、僕から䌝えたいこずがありたす。

なんずかなる。

もちろん、準備は必芁です。

お金も必芁。

英語の勉匷もしたほうがいい。

仕事や家に぀いお調べるこずも倧切です。

いいなず思ったら応揎しよう