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【創作大賞】日本で最も過大評価されているのは女子高生かもしれない

日本には「行ってみたら、思っていたのと違った」という観光名所がある。

たとえば、北海道の 札幌市時計台。
写真で見ると趣があり、歴史の重みすら感じさせる建物である。だが実際に足を運ぶと、想像よりもずっと小さく、周囲のビル群に埋もれている。
あっけないほどに「これだけか」と思ってしまう。

高知の はりまや橋 もそうだ。
名前の知名度に対して、実物は驚くほどこぢんまりとしている。
気づけば写真を一枚撮り、数分でその場を後にしている。

長崎の オランダ坂。
異国情緒あふれる名前とは裏腹に、そこにあるのは静かな坂道である。もちろん歴史的価値はある。しかし、観光としての“派手さ”を期待すると、肩透かしを食らう。

これらに共通しているのは、ただ一つ。
イメージが先行しすぎていることである。


では、話を変えよう。

「女子高生」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。

キラキラした無敵感。
プチプラを使いこなした薄メイク。
ローファーに学生鞄、楽しげな放課後。

だが、現実はどうか。

我が家には、女子高生がいる。

部屋に入ると、まず鼻をつくのは運動部の匂いである。
剣道部や柔道部ほどではないが、どこか湿った、あの卓球部の部室のような空気が漂っている。

床には物が散乱し、足の踏み場はない。
片付けという概念は、どこか遠い国の文化のようである。

彼女はいつも誰かと通話している。
もはや会話ではなく、生活音の共有に近い。

気づけばピアスは七つ。
初めて開けた数としては、どう考えても尖りすぎである。
しかも校則違反である。

通学は、ナップザックのようなリュック。
LINEは基本使わない。
友達との連絡手段はInstagramである。アカウントは絶対に教えてもらえない。

これが現実である。


思い返せば、彼女はかつて天使であった。

だがスマートフォンを手にしてから、徐々に変わっていったのか。
それとも、単に年頃なのか。あるいは、時代なのか。

答えはわからない。

ただ一つ確かなのは、本人は楽しそうだということだ。
高校生活は充実しているらしい。
キラキラした無敵感だけはイメージ通りの女子高生といえる。
それならば、それでよい。

…とはいえ。

将来設計くらいは、そろそろ本気で考え始めてもいいのではないか。
母は健闘を祈るばかりである。


そして、私はここで一つの結論に至る。

日本で最も過大評価されているもの。

それは──

女子高生である。

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りっちゃん@ミニ株で夫をセミFIREさせたい チップありがとうございます!感謝します!

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