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「自由」になるために、週3日会社員をやめなかった話


    「自由な働き方」

    「好きなことを仕事にする働き方」


    という言葉を、よく見るようになった。


    会社を辞めて起業し、好きな時間に起きて、好きな場所で働くこと。

    誰にも指示されず、自分の名前で仕事をすること。


    SNSをひらけば、そういう生き方が「まぶしいもの」として流れてくる。



    たしかに、それはひとつの自由。

    会社という枠の外に出て、自分の判断で仕事を選び、自分の名前で生きていくことは、とても大きな「解放」になる。



    でも私は、個人事業主として自由で在るために「週3日の会社員」をやめなかった。

    この事実だけを見ると

    「え、それって自由の反対いってない?」

    と、少し矛盾しているように聞こえるかもしれない。

    もっと自分の活動に時間を注ぎたいなら、会社員という働き方を手放せばいい。

    そう考えるほうが、たぶん普通にわかりやすい。

    それに、「起業」「独立」といった類に寄せられる価値観には

    「何かを成し遂げたいのなら、全振りしなくてはいけない」

    という考え方のほうが強いのではないだろうか。




    けれど私にとっての自由は、いつからか「何にも縛られないこと」ではなくなっていた。


    では何か?

    それは、焦りに支配されずにいられることだった。


    もっと言うと、自分にとっての「大好きな仕事」を、売上のためだけに雑に扱わずにいられることだった。


    まだ輪郭のやわらかい「生まれたての赤ちゃん」のようなほわほわで純粋な感覚のものを、無理やり商品にしなくて済むことだった。



    だから私は、個人事業主として香りや装身具の作家活動をしながら、週3日の会社員を続けている。

    それは、自分の仕事を守るために選んできた、私なりの「自由の形」だった。



    昔は会社をやめることが、自由だと思っていた


    それでも、少し前の私は「会社員をやめることが、自由に近づくこと」だと勘違いしていた。

    朝決まった時間に起きて、決まった場所に行き、決まった仕事をする。

    どれだけ自分の感覚が「それ必要か?」と違和感を感じていても、上司から与えられたミッションに向き合い「ちゃんと」社会人として振る舞う。


    そういう日々の中にいると、「ここから抜けたら自由になれるのではないか」と思う瞬間が、確かに生まれたりする。



    一方で、香りや装身具を制作したり、文章を書いたり。

    そういう活動は、どれも私にとって自分の感性と深くつながっているものであり、それに触れている時間はとても心地よいものだった。

    だからこそ、会社員という枠から離れて自分の活動だけで生きていけたら、どれほど自由だろう・・・と思っていた時期も、正直(かなり)ある。


    実際、個人の活動が少しずつ育っていくと、気持ちは揺れるものだ。

    「もう少し時間があれば、もっとできるのに」って感じてしまうから。


    当たり前の話だけども、会社員の役割を全うする日があることで、制作に使える時間はもちろん、言葉を紡ぐための心が静かな時間作りも、どうしたって限られる。

    自分の活動にもっと全振りできたら、もっと早く形になるのではないか。

    もっと大きく育てられるのではないか。


    そんなふうに思う日も、もちろんある。



    けれど実際に自分の活動を続けていく中で、私は少しずつ気づく。

    自由というのは、時間が全部「自分のもの」になることだけではないのかもしれない。


    むしろ、全部を自分で背負った瞬間に「失われる自由」もあるのではないか、と。




    生活のすべてを「好きなこと」に背負わせない


    週3日会社員を続けている理由を、いちばん現実的な言葉で言えば「生活のすべてを個人事業(=好きなこと)に背負わせないため」だ。


    個人で仕事をしていると、売上はそのまま生活に直結する。

    自分の仕事で対価をいただくことは、責任でもあり、喜びでもある。


    けれど、生活費のすべてを個人の活動だけで賄うとなると、そこにかかる「見えない重圧」とやらはまったく変わってくる。


    今月いくら売れたか。来月の売上はどうなりそうか。
    この商品はどれくらい反応があるか。このサービスは必要とされるか。
    申し込みは入るのかどうか。

    そういうことを考えるのは、自営業をしている人間として当然のことだ。

    私も数字を見ないわけではないし、仕事として成り立たせる以上、収益が発生しなければ継続もできないからこそ、当然ながらいつも向き合っている。

    つまり、バリバリに現実世界を見ている。

    ただ、自分の活動にすべての収入を背負わせるとなれば、私は今よりずっと「いいアウトプット」はできないと思う。

    そして焦りは、思っている以上に自分が大切にしたかった「感性の輪郭」を変えてしまう。



    例えば、本当はもう少し素材やデザインを見直したい装身具を、売上を立てたい一心で「今月出せるもの」として出してしまうかもしれない。


    こんな感じで「ものすごく大きな裏切り」ではないにしろ、小さな妥協としてどんどん起こっていく気がする。

    そういう小さな違和感を、ひとつずつ見なかったことにしていくうちに、自分の仕事が自分のものではなくなっていく気がする。


    私はそれが怖かった。


    何故かというと、繰り返すけれど、個人の活動は私にとって「ただの収入源」ではないからだ。

    「自分の内側にある感性を、自由に表現できるもの」でありたい。

    香りをつくることも、装身具をつくることも、文章を書くことも。

    そこに流れているものが、自分の内側から離れてしまったら、たとえ売上が立ったとしても、私はだんだん苦しくなるのが目に見えている。

    だから、生活のすべてをそこに背負わせないという「自由」をやっている。


    誰かからすると、甘っちょろいことやってるなぁ。て感じかもしれない。


    でも、これは誰になんと言われようと「綺麗事」ではなく、守るための設計だ。



    そしてこれは、私にとってかなり大きな自由を与えてくれている。

    と実際思う。

    まあ、世間でいう「自由」というと、もっと派手で爽快でキラキラしていて、分かりやすいものを想像しがちな気がする。


    例えば、
    平日の昼間にカフェで仕事をすること。旅をしながら働くこと。

    ノマドワーカーなんて言葉も流行っていたな。

    そういう自由も、当たり前に素敵。


    けれど実際の私は、それよりももっと地味な自由を必要としていたらしい。


    そのために、会社員として働く3日間が、私の中では大切な土台になっているとしみじみ感じている。


    それでも、迷わないわけではない


    もちろん、きれいごとだけではない。

    週3日会社員を続けることには、もどかしさもある。

    先にも触れたが、個人の活動に使える時間がどうしたって限られるからだ。


    会社員の日は、朝起きて決まった時間で仕事をして、体力も集中力も減っている。

    頭のどこかでは、制作したいものや書きたいこと、整えたいことが浮かんでいても、現実の身体はひとつしかない。

    キャパオーバーを感じてしまう日々も、よくある。


    だからこそ、独立している人がまぶしく見える瞬間もいっぱいある。

    自分の活動だけに時間を注いで、どんどん形にしていく人を見ると「私はまだどこか中途半端なのではないか」と思う瞬間も、ある。


    はたまた、

    全振りしていないから、見える景色も中途半端なのではないか。

    そんな声が、自分の中にふっと立ち上がることもある。



    でもその一方で。

    全部をbetすることで、私は自分の活動を今のように「やりたいからやっている」状態でいられただろうか?とも、ふと疑問に思う。

    正直、わからない。


    でも、わからないからこそ、私は「今の自分の最適解」を選んできた。



    放っておけば頑張りすぎる自分。
    (意外と言われるけれど)元々体育会系な環境で育っているからこそ、結果を出すことに意義を感じやすい自分。笑


    そういう自分がいることを知っているからこそ、一見相反しているようだけど「会社員」という枠を作ることで、守られる感性があったのだ。





    改めて思う。

    私にとっての自由は、何にも縛られないことではなかった。

    私にとっての大切な活動を、自分で「雑」に扱わずにいられること。

    売るためだけに、自分の言葉や表現や商品を曲げなくていいこと。


    そういう選択をできる「心の余白があること」こそ、私にとっての自由だった。

    それはものすごく地味だし、他人からはとても分かりにくいものだけど、私にとっては大事な自由だ。




    人は何かを選ぶとき、つい「派手で大胆な物語」を目指してしまう。

    会社をやめる。独立する。全部を賭ける。大きく変える。

    そういう選択は、たしかにわかりやすく強く見えるし、物語にもなりやすい。

    でも、果たしてそれが「わたし」のやりたいことなのだろうか?


    私は、週3日会社員を続ける自分を「どこか中途半端な人間だ」と思っていた部分もあったのが本音だけど、今は違う。

    それは、自分の活動を嫌いにならないための選択だった。

    自分の感性を、焦りの中で潰してしまわないための選択。

    仕事を、ただの売り上げという数字にしないための選択。

    遠回りに見える道が、自分をいちばん自由にしてくれることもあるのだ。


    つまり言いたいのは、会社をやめることだけが自由ではない。

    ましてや「フリーランス」などといった働き方の名前が、自分を自由にしてくれるわけでもない。


    いろんな働き方の選択の中で、自分が何を大切にしているのか。


    たぶん、そこに自由の輪郭がある。




    私は今日も、週3日会社員として働きながら、ほかの日に自分の好きな仕事をしている。

    今の私には、この速度だから心地よく感じられるものがある。

    それが今の私にとっては、静かでたしかな「自由」なのだと、つくづく思う。




    ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


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    fey




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