
今夜、英語を話してみる⑦
水曜日の午後6時過ぎ。
仕事を終えた田那珂は、佐都宇さんと並んで歩きながら、Maple Window Cafeへ向かっていた。
「英会話カフェって、どんな雰囲気なんですか?」
「堅苦しい感じはありませんよ。何か飲みながら、日本の文化や食べ物の話をしているうちに、あっという間に時間が過ぎます。」
「そうなんですね。ところで、おすすめのメニューはありますか?」
「普通のコーヒーや紅茶もありますけど、オーナーのケイトさんがカナダ出身ということもあって、メープルラテやメープルクッキーなんかのメープルシロップを使ったメニューが人気なんですよ。焼き菓子も手作りなんです。」
「おいしそうですね。せっかくなので、頼んでみようかな。」
「もし迷ったら、ケイトさんに今日のおすすめを聞いてみるといいですよ。気さくな方なので、初めてでも話しやすいと思います。」
「英語で注文するんですか?」
「無理に使おうとしなくても大丈夫です。まずは雰囲気を楽しむことが一番ですから。」
「それなら安心しました。でも、せっかくなので少し使ってみたい気もします。」
「英語を勉強されているんですか?」
「海外旅行に行く前に少し勉強したことがあります。でも、旅行中に使う表現を覚えたくらいで、実際に外国の方と会話する機会はあまりなくて…。」
「お店のキャッチフレーズは『Different languages, same smile』ですから。完璧な英語を話すことよりも、楽しく交流することを大事にしているみたいですよ。」
「少し緊張していましたけど、楽しみになってきました。」
「その角を左に曲がるとすぐです。」
田那珂が前方を指さして言うと、佐都宇さんは通りを見回しながらボソッとつぶやいた。
「へぇ、このあたり、あまり歩いたことがなかったけど、おしゃれなお店が多いですね。」
少し歩くと、レンガ造りの建物が見えてきた。
入口には、赤いカエデの葉をあしらった看板が掛かっていて、白い文字で【Maple Window Cafe】と書かれていた。
ガラス窓からは、木のテーブルやイスが並ぶ明るい店内が見えて、お店のドアを開けると、コーヒーのいい香りが漂ってきた。
"Hi! Welcome!"
カウンターにいた女性が、二人に気づくと、明るい笑顔で声をかけた。
"Hello, Kate-san!"
田那珂が声をかけると、ケイトは笑顔で手を振った。
そして、隣にいる佐都宇さんに気づくと、打ち解けた様子で声をかけた。
"Hi, there! Welcome to Maple Window Cafe. Is this your first time here?"
(こんにちは! メープル・ウィンドウ・カフェへようこそ!ご来店は初めてですか?)
佐都宇さんは少し緊張した面持ちで、ゆっくり答えた。
"Yes, I'm Sato. Nice to meet you."
(はい、佐都宇です。よろしくお願いします。)
"Nice to meet you, too! I'm Kate."
(こちらこそ、よろしくお願いします! ケイトです。)
ケイトが親指を上げてにこやかにうなずくと、佐都宇さんの表情から緊張がふっと和らいだ。
「通じました…。」
安心したようにつぶやく佐都宇さんを見て、田那珂は思わず顔をほころばせた。
「佐都宇さん、話せるじゃないですか。」
「いえ、本当に簡単な英語だけですよ。」
佐都宇さんは少し照れくさそうに笑った。
"That's a great start!"
ケイトが歓迎するような笑みを浮かべると、田那珂はタイミングを見計らって口を開いた。
"Today... we came for English Cafe Tonight. But... I have a little request... for you."
(今日は… 英会話カフェに来たんですが、ケイトさんにご相談したいことがあるんです。)
"Oh, what can I do for you?"
(それで、どんなお話ですか?)
"Now Mr. Sato, Ms. Yamamoto… she often comes to this cafe, uh… and me… do a project called 'The Japanese Ingredients & Global Cuisine Link Project' at the company."
(こちらの佐藤さん、このお店によく来ている山本さん… それに私の三人で、会社で「世界の味と日本の食材をつなぐプロジェクト」を進めています。)
ケイトは静かにうなずきながら、田那珂の話を熱心に聞いていた。
"Our project is... uh... about making new menu... by using Japanese ingredients... in foreign cuisine. You already offer menu like… "matcha maple latte" and "matcha Nanaimo bar," right? They use matcha… um… matcha is from Japan… You have… uh… a lot of chances to talk with foreign customers. So… I want to know… how they react to these items. Also… if you have any Japanese ingredients… maybe you want to use in your dishes… please let us know your idea."
(日本の食材を海外の料理に取り入れて、新しいメニューを提案するプロジェクトなんです。ケイトさんのお店では、抹茶メープルラテや抹茶ナナイモバーなど、日本の食材を取り入れたメニューをすでに提供されていますよね。実際に外国のお客さんと接する機会も多いと思いますので、そうしたメニューにどんな反応があるのか、あるいはこんな食材を使ってみたいと感じるアイデアがあれば、ぜひお聞かせいただきたいんです。)
"That sounds really interesting."
(とても面白そうですね。)
ケイトが弾んだ声で言うと、カウンターの上にある黒板に視線を向けた。
そこには、その日の英会話トピックが、大きな文字で書かれていた。
“Tonight’s topic is 'What's New?' I think your project fits that perfectly. I'd love to hear more about it."
(今夜は、最新ニュースがテーマなんです。田那珂さんのプロジェクトはまさにテーマにぴったりですね。ぜひ詳しく聞かせてください。)
ケイトは二人に笑顔を向けた。
"But first, why don't you order your drinks? We can talk while you enjoy them."
(でも、まずは飲み物を注文してください。飲みながらゆっくりお話ししましょう。)
"Thank you."
(ありがとうございます。)
田那珂がお礼を言う横で、佐都宇さんは壁のメニューボードを眺めながら、何を注文しようか考えた。
そのとき、初回ミーティングで山茂戸さんが勧めていた抹茶ナナイモバーが目に留まった。
(気になるから、頼んでみよう!)
"I'd like a matcha Nanaimo bar... and an iced coffee."
(抹茶ナナイモバー… それと、アイスコーヒーもお願いします。)
"You'll love it!"
(きっと気に入りますよ!)
ケイトがにっこりうなずくと、佐都宇さんは、注文が通じたことにホッと胸をなで下ろした。
続いて、田那珂も注文を決めて口を開いた。
"I'll have a coffee and a smoked salmon quiche."
(コーヒーとスモークサーモンのキッシュをお願いします。)
Maple Window Cafeで英語で注文するのも、これで五回目。
以前よりも、ずいぶん自然に言葉が出るようになっていた。
"Perfect! Please have a seat. I'll bring your order soon."
(かしこまりました!席でお待ちください。すぐにお持ちしますね。)
そう言うと、ケイトは店内の奥へ軽く視線を向けた。
"I really like the wooden interior. It feels so warm and relaxing."
(木のぬくもりが感じられるインテリアで、すごく落ちつきますね。)
佐都宇さんが店内を見渡して言った。
"Thank you! I designed it so people could feel a little bit of Canada here in Tokyo."
(ありがとうございます!東京にいながら、少しでもカナダの雰囲気を感じてもらえたらと思ってデザインしたんです。)
ケイトがうれしそうに答えた。
カウンターではコーヒーマシーンが低い駆動音を立てながら抽出を始め、淹れたてのコーヒーの香りが店内に満ちていった。
しばらくして、二人の注文がテーブルに運ばれてきた。
カップからはコーヒーの湯気がゆるやかに立ちのぼり、温められたキッシュからは、焼きたての香りがふんわり広がってきた。
"Here you go!"
(どうぞ!)
ケイトが笑顔でカップとプレートを配り終えて席についたところで、田那珂は改めて姿勢を正した。
そして、カバンの中から資料を取り出すと、ケイトの前に置いた。
"This is... our project outline."
(こちらが今回のプロジェクトの概要です。)

ケイトが資料を読み進めているのを見て、田那珂は説明を続けた。
"Our project is... uh... about making new menu... by combining Japanese vegetables, fruits, seasonings and so on... with foreign cuisine.
(世界の味と日本の食材をつなぐプロジェクトは、日本産の野菜や果物、調味料などの食材を海外の料理と組み合わせて、新しいメニューを作ることを目指しています。)
説明を補うように、田那珂は資料の図表を指差した。

"But... not only making new menu."
(でも… 新しいメニューを作るだけじゃないんです。)
資料からゆっくり顔を上げたケイトが、田那珂を見た。
"Also... we want to know... what foreign people... like... Japanese food culture.
(外国の方が、日本の食文化のどんなところに興味を持つのか、それも知りたいんです。)
田那珂はコーヒーをひと口飲むと、余韻を味わいながらカップをテーブルに置いた。
The other day, I had matcha maple latte… at lunch. Matcha's little bitterness… and maple syrup's sweetness... very good together. I was very surprised… Japanese matcha and Canadian maple syrup… match very well."
(先日、お昼に抹茶メープルラテをいただいたんですが、抹茶のほろ苦さとメープルシロップのやさしい甘さが、すごくバランスがよかったです。日本の抹茶とカナダのメープルシロップが、こんなに合うなんて驚きました。)
"I really like the matcha Nanaimo bar. It's not too sweet, and it match coffee very well!"
(抹茶ナナイモバーもほどよい甘さで、コーヒーによく合います!)
佐都宇さんが小さくうなずきながら、ナナイモバーに再びフォークを入れると、ケイトがうれしそうに "Thank you"と微笑んだ。
"You already have... matcha items at Maple Window Cafe. I think… you use Japanese ingredients... very well. So... we want to know... what Japanese food... do you like? what Japanese ingredients... good with your menu?"
(Maple Window Cafeでは、抹茶メープルラテや抹茶ナナイモバーなど、抹茶を使ったメニューをすでに商品化していて、日本の食材をうまく取り入れています。だからこそ、日本の食材にどんな印象をお持ちか、どんな食材ならMaple Window Cafeのメニューと合わせやすいかなど、ぜひお話をお伺いしたいんです。)
ケイトはうれしそうに笑みを浮かべたあと、少し照れたように肩をすくめた。
"Thank you. I'm really happy to hear that. Actually, I was a little nervous about using matcha at first. But our customers really loved it, and now it's one of our most popular menu items."
(ありがとうございます。そう言っていただけてうれしいです。実は、抹茶との組み合わせには、最初ちょっと勇気が必要でした。でも、お客さまの反応がすごくよくて、今ではうちの人気メニューの一つです。)
そして、テーブルに置かれた抹茶ナナイモバーを見つめながら続けた。
"I think Japanese ingredients have a gentle sweetness and very delicate flavors. I'm also very interested in things like 'anko' and 'yuzu', too. I've been thinking for a long time that I'd love to use them in our menu."
(日本の食材には、やさしい甘さと味の繊細さがありますね。あんこや柚子なんかもすごく気になっていて… うちのメニューにも取り入れてみたいなって、ずっと思ってるんです。)
店内に流れる音楽に耳を傾けながら、ケイトは一瞬何か考えるように視線を遠くへ向けた。
そして、ふっと顔を上げると、田那珂の方を見た。
"By the way... I was wondering, are there any Japanese ingredients that you think would go well with our cafe menu?"
(逆に、田那珂さんがうちのお店に合いそうだなと思う日本の食材ってありますか?)
"Well..."
(えーっと…。)
田那珂は頭の中でいくつかの食材を思い浮かべながら、隣の佐都宇さんの表情を伺った。
"How about kinako?"
(きなこはどうでしょう?)
"Kinako… is soybean powder, right?"
(きなこ……って大豆のパウダーですよね? )
ケイトは少し驚いたように聞き返した。
"Yes... In Japan... we often use it... in Japanese sweets. It has... nice flavor... like nuts. Maybe... match with granola... or smoothies."
(そうです… 日本ではよく和菓子に使われますが、香ばしくて、ナッツに近い風味があります。グラノーラやスムージーに合うかもしれません。)
田那珂が提案すると、ケイトは人差し指をくちびるにあてて、ボソッと言った。
"Do you think it'd go well with poutine?"
(それ、プーティンに合いますかね?)
そして、少しはにかみながら続けた。
"Actually, I'm working on some new menu ideas using Japanese ingredients besides matcha. I am thinking it might be fun to add a little Japanese twist to Canadian poutine..."
(実は今、抹茶以外にも、日本の食材を使った新しいメニューを考えているんです。カナダのプーティンに、日本の味をちょっとプラスできたらおもしろいかなと思ってて…。)
"Uh... sorry... what is poutine?"
(えーっと、すみません… プーティンって何ですか?)
田那珂は「プーティン」という聞き慣れない名前に首をかしげた。
"Poutine is one of Canada's most popular dishes. It's made with French fries, cheese curds, and hot gravy poured over the top. It's really delicious."
(プーティンはカナダでとても人気のある料理なんです。フライドポテトにチーズカードをのせて、その上から熱いグレービーソースをかけます。シンプルですが、本当においしいんですよ。)
田那珂は少し考えてから答えた。
"Umm... to be honest... it's little difficult to imagine.… But... maybe... it match with sweet and salty sauce. For example... maybe... mitarashi-style sauce... with kinako."
(うーん、正直、想像がつかないところもありますけど… 。意外と甘じょっぱいソースに合うかもしれません。たとえば、きなこをふりかけたみたらし風のソースとか…。)
"Wow! That would definitely surprise Canadians!"
(うわ、それは絶対カナダ人がびっくりすると思います!)
ケイトが驚きを隠せない様子で言うと、佐都宇さんもメモを取りながらうなずいた。
Maybe a Japanese-style sweet poutine could be good, too. When sweet and salty are together, I think I wouldn't be able to stop eating it."
(和風スイーツ系のプーティンもありかもしれませんね。甘さと塩味が一緒になると、手が止まらなくなりそうです。)
田那珂は姿勢を正すと、ケイトの目を見ながら少し緊張して言った。
"I'm... very happy... to meet someone like you... interested in Japanese ingredients... and wants to use them. If... if it's okay... would you like... to make this... Japanese-style poutine... together... in our 'The Japanese Ingredients & Global Cuisine Link Project'?"
(ケイトさんのように、日本の食材に興味を持って、前向きに取り入れようとしてくれる方がいるのは、本当にうれしいです。もしよければなんですが… この“和風プーティン”のアイデアを、『世界の味と日本の食材をつなぐ』プロジェクトで一緒に形にしていきませんか?)
ケイトは思いがけない言葉に一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにうれしそうな笑顔を浮かべた。
"Really? I'm so happy to hear that!"
(えっ、本当ですか? そんなふうに言っていただけるなんて、うれしいです!)
田那珂も笑顔で答えた。
"I'm looking forward... to think about... how we can use Japanese ingredients... in Canadian food."
(日本の食材をカナダ料理の中でどう生かせるのか、ケイトさんと一緒に考えていくのが楽しみです。)
"Thank you! I'd love to work with you on this."
(ありがとうございます。ぜひ協力させてください!)
ケイトは満面の笑みを浮かべ、迷いのない口調で答えた。
**********
数日後、佐都宇さんは、社内のカフェスペースでパソコンの画面をじっと見つめていた。
画面には、「English Cafe Tonight」というタイトルが入ったフライヤーが表示されていた。
(もっと気軽に入れる雰囲気が伝わる方がいいかな…。)
そうつぶやきながら、佐都宇さんは写真の配置を少し変え、その横に "You don't have to speak perfect English." という吹き出しを入加えた。
そのとき、缶コーヒーを片手にやって来た田那珂が、窓際の席でパソコンに向かう佐都宇さんの姿を見つけた。
「お疲れさまです。」
田那珂は軽く右手を上げ、笑顔で声をかけた。
「田那珂さん、ちょうどよかったです。」
そう言って、ノートパソコンの向きを少し田那珂の方に回した。
田那珂は缶コーヒーをテーブルに置き、佐都宇さんの隣へ立つと、画面をのぞき込んだ。

「いいですね。Maple Window Cafeらしい温かい雰囲気が伝わります。」
佐都宇さんは少し照れくさそうに笑った。
「この前、初めて英会話カフェに行って思ったんです。英語が上手かどうかより、『話してみよう』という気持ちのほうが大切なんだなって。」
田那珂は静かにうなずいた。
「今度、Maple Window Cafeに持っていって、ケイトさんに見てもらいましょう。」