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働く女性の人生は、まだこんなもんじゃない。

    私は、組織の中で約30年働いてきました。

    人脈もコネもないところから事業を育て、日本初の事業に挑戦し、売上20億規模の会社づくりを経験しました。家族経営の二代目として経営に携わり、いまは独立して自分の人生を生き始めました。

    その一方で、男社会の中で悔しい思いをしたこともあります。法改正によって築き上げたものを手放したこともありました。結婚へのプレッシャーや、約6年間の不妊治療を経験し、40歳と45歳という高齢出産を経験。働き方そのものを見つめ直したこともありました。

    こうして振り返ってみると、私の人生は、決して一直線ではありませんでした。

    むしろ、「なんでこんなことが起きるんだろう」と立ち止まり、そのたびに選び直しながら進んできた人生だったように思います。

    そして第2子がお腹にいるころから心理学、脳科学、量子力学、マーケティングを学びはじめ、私はひとつの答えに辿り着きました。

    それは、

    人生は、思い通りにはならない。
    でも、どう生きるかは選ぶことができる。

    ということです。

    このnoteは、私が働く女性として生きる中で、何度も立ち止まり、そのたびに気づき、選び直してきた記録です。

    構成は、次の4つの「気づき」から成り立っています。

    第1部:「こうあるべき」に縛られていたことに気づく」
    第2部:人生は思い通りにならないと気づく
    第3部:幸せは、なるものではなく「在る」ものに気づくと知る
    第4部:人生は、何度でも選び直せると気づく


    第1部「こうあるべき」に縛られていたことに気づく


    私の社会人デビューは、父が経営する会社に務め始めたことからです。当時は、父と母、そして私の3人でした。

    博多という地で、人脈なし、コネなし、無名の会社でした。

    そこから、事業スタート!するわけですが。
    当時、あまりの電話が鳴らない事態に「電話がつながっているのか?」と通信回線を疑い、道向かいにある公衆ボックスから電話をかけるように父からいわれ、私は、公衆ボックスから電話をかけます。
    (当時は、携帯ありませんでした)

    はい、もちろん、繋がりました(笑)

    そんな、周りのせいにしたいほど(笑)、父は事業に自信を持っていたんだと思います。私と母は、事務まわりをやっていましたが、社会人の「礼儀・礼節・マナー」は、母から習いました。

    ・お客様が来たら立ってご挨拶する。
    ・お茶出しは、入口から奥に座っている人から出す。
    ・朝は、灰皿を洗って、ドリップ後のコーヒーかすを綺麗なものにする。
    ・朝は、出社したら社長(父)にコーヒーを出す。
    ・まだ、お世話になっていない初めての方にも「お世話になっております」という。

    などなど。社会はじめまして!の私にとっては、全てが学びで、いろんな大人がいるんだなと感じたものです。

    そして私の人生振り返りますと、お客様として接していたのは、100%、不動産業界。

    そうです、

    ザ・男性社会

    でした。

    そして私の父は、バリバリの男尊女卑をする、昭和のバリバリの亭主関白でしたから、常日頃から

    「営業(男)が花形。事務や経理の人たちの給与も営業のおかげで払えるんだ」

    「お茶くみとコピー取りをするのは女性だ」

    と。

    なんか違和感。いや、思いっきり違和感。
    そうです私は、男尊女卑が大嫌いでした。きっと社会人デビューしたころから、いや、もしかしたら、物心ついたころから、アンフェアが嫌いなのです。

    営業の方がいないと売上が上がらないから、までは理解できるんですが、かといって、事務方がいなければ、その分、誰かの時間も労力も割かれたり、契約書の管理、サービス開始まで、開始後のフロー説明、お客様からの問い合わせ対応など、事務方がいないと場合によってはクレームとなり、解約になる可能性だってあります。

    不動産業界は、横のつながりが強いですから一度、悪い噂がたってしまうと影響がでてしまいます。

    何度も父に反論をし、営業のみじゃダメで、事務方あって初めてサービス品質が高まっていくのだと伝え続けたものです。

    それから事業は、徐々に軌道にのり、福岡本社から東京支社、大阪支社、名古屋支社、長野支社へと拡大していきます。お取引先のお客様=不動産会社様も、全国47都道府県にまで広がりました。父の夢であった全国制覇を果たしたのです。

    社員が増えれば増えるほど、会社規模が大きくなればなるほど「社長の娘」という目に見えない肩書が私に鉄の鎧を着せていきました。

    眉間のシワがとれず、なんともいえない、責任感・重圧・父の顔に泥を塗れないというプレッシャーを感じずにはいれませんでした。

    そうです。
    この時から私は、社長の娘として、こうあるべき、という、自分の中での思い込みが作動していたのです。

    社長の娘だからこそ、背負っていた“見えない前提”です

    ▼社長の娘である見えない前提「十カ条」
    一.誰よりも働かなければならない
    二.社長権限代理して責任ある決断をしなければならない
    三.弱音を吐いてはいけない
    四.常に立派でなければならない
    五.女性だから、といってナメられてはいけない
    六.夜の接待は出席するのはあたりまえ
    七.社長の顔に泥を塗ってはいけない
    八.弱音を吐いてはいけない
    九.プライベートよりも会社を優先しなければならない
    十.父を失望させてはいけない

    言語化すると、このような、当時の私には、気づいていない、前提です。

    これらは誰かに言われたわけではありません。
    父に教えられたわけでもありません。

    でも、私はいつの間にか、
    「社長の娘とは、こうあるべきだ」という鎧を自分で着込んでいたのです。

    そして、その鎧を着たまま走り続けました。

    気づけば私は、20代で10名の部下をもつ部長になっていました。
    気づけば私は、組織の方針を決める重要な会議に女性1人でした。
    気づけば私は、女性だって仕事ができるんだというのを理解してもらわなければと、男性よりも働き続けました。

    でも、私の中には、ずっと拭えない違和感がありました。

    会社のため。
    社員のため。
    父のため。

    ずっと「期待」に応えることに必死で、気づけば『私はどうしたいのか』という問いを持つことなく生きていたのです。

    そして、会社が大きくなるにつれて私は、部長職から取締役へと立場を変えていきました。

    だけど今なら思うのです。
    私は決して「社長の娘だから」部長や取締役になったわけではない、と言える自分を誇りに思っているんです。

    なぜなら、私は、良い大学には行っていないため学歴にひけめを感じていました。
    そのため、その立場にふさわしくあろうと、
    誰よりも、何十倍も学びました。
    誰よりも、何十倍もあきらめず。
    誰よりも、どん底から這い上がるため何十倍も「知恵」を出し続けました。
    誰よりも、行動してきたからこそ、その責任を任されていたのだと。
    自信をもって言えます。

    当時の社員の皆さんがそうじゃないと言っているのではありません。皆さんの協力あってこそ、だと深く感謝しています。

    ただ、あの頃の私は、その頑張りすら「社長の娘なんだから、やって当たり前」だと思っていました。

    ある日気づいたんです。
    可愛い洋服やバックを持って出社する、年の近い女性社員さんを見て。

    「可愛いな~」「いま流行りのだ、いいな~」と。

    オフィスのガラスにうつる自分を見て「私は、毎日スーツにビジネスバックだ」と気づいたのです。

    私は、自分がなりたくてなったのか?
    私は、自分がやりたくて働いているのか?
    と。はじめて立ち止まって気づいたのです。

    そんな私が25歳を過ぎたころ、自分の会社を興してみたい、と思ったのです。ただ、父の会社は、急成長期。絶好調の時期でした。いま、私が辞めたら…残された社員さんに迷惑をかけてしまう、来年にしよう。

    そして、また起業したい!と思っては、いや今は忙しいし、と後まわし…

    これがしたい!が芽生えても、なりたい姿が明確じゃなかったから、このループが何度も訪れます。(ホメオスタシスですね)

    そして、もぉぉぉ―――限界!私の人生、自由に生きたい!と強く感じたとき、新しい選択にでます。

    そうだ!私が居なくても支障がないように、私の頭にあるジャッジや、フローをマニュアルを残そう!と思ったのです。(新規・更新・変更・削除のカテゴリーに分けたマニュアル作成)

    これがのちに、私がいなくても、管理職がいなくても、まわる「仕組み化」となります。これで、どれだけ業務が増えても大丈夫な状態にしました。

    よし、そろそろ辞めようかな、と思った頃、ひとり暮らしも始め、車も買い、結婚に向けて準備しようかな~と順調だった30歳。

    保険業法改正が施行され、私たちの事業体が「少額短期保険」というミニ保険会社にならなくてはいけなくなります。結果、事業譲渡をし、保険業界トップクラスの東京海上グループ傘下にはいったのです。

    そこから、
    33歳で横浜異動となり、人生ではじめて、父が経営者ではない、他人様が経営者の会社に勤めることになります。
    しかも、東京海上グループという「金看板」です(ま、まぶしい)
    東京海上グループと付いた途端!今までお取引ができなかった金融系・航空会社などが、手のひらを返したように「契約してください!!」という光景をみて、社会って…と感じたものです。

    それから私は、上場企業のグループ傘下の会社で働くわけですが、博多から数名メンバーが横浜本社に異動となり、絶対に博多メンバーが馬鹿にされないよう、私はここでも博多メンバーの代表として鉄の鎧をプラチナの鎧にするわけです。

    通勤の地下鉄で日経新聞を縦に折って必死に読み続け、時事ネタも話せるように情報インストール、男性だけの会議に参加をし、「fix(フィックス)」という言葉の意味がわからず、隠れてメモをし、調べたり(笑)絶対に負けるもんか!博多もんばバカにするなよ!が強くなっていたことを感じていました。

    もしかしたら、いま女性取締役や女性管理職として働いている方の中にも、似たような見えない鎧を着ている人がいるかもしれません。

    「管理職だから」
    「母だから」
    「長女だから」
    「女性だから」
    「期待されているから」

    そうやって、自分でも気づかないうちに、“こうあるべき”という前提で、自分を縛ってしまうことがあります。

    でもその鎧は、誰かに着せられたもののようで、実は自分で脱ぐこともできるんです。

    私は当時は、そのことに気づいていませんでした。けれど、部長になり、取締役になり、無名の会社から東京海上グループという大きな看板の中へ入ったことで、少しずつ見えてきたものがあります。

    それは、

    肩書きや看板は、まわりの人の態度を変える。
    けれど、自分の価値まで変えるものではない。

    ということでした。鉄の鎧は、いつでも自分で脱いで大丈夫なんです。
    あなたという価値は変わりません。

    そしてこのあと私は、人生が思い通りにならないという、さらに大きな出来事と向き合うことになります。


    第2部 人生は思い通りにならないと気づく


    私は33歳で横浜へ単身で向かいます。
    女性33歳、独身。

    社長の娘としての「こうあるべき」から少し解放されたと思ったら、今度は女性としての「こうあるべき」が待っていました。

    実は、私。
    20代、激務だったにも関わらず、ありがたいことに彼氏はずっといたんです。けれど30歳のとき、仕事はさらに忙しさを増し、お付き合いを続けられる状況ではなくなりお別れすることになったのです。

    当時は、「いつかプライベートも落ち着いたら考えればいい」と思っていました。

    でも、人生はそんなに単純ではありませんでした。

    女性33歳、独身、横浜ひとり暮らし。
    ずっと博多で育ってきた私にとって、横浜は、キラキラしてまぶしい街でした。人!人!人!で、人酔いしながら、通勤していましたね。

    そして来るべき時がきました。

    両親から

    「結婚はどうするんだ?」

    と言う言葉。妹の結婚が決まっていたので、妹も申し訳なく思ったのか、200名近い男性を紹介してくれて(笑)

    私は、なんとなくですが、根拠のない自信で、

    「私は、結婚できなんじゃない、しないんだ」

    と思っていたんです(生意気でしょ)

    そしてこう思っていました
    「この空の下で、私の旦那さんは、今頃なにしているのかな」
    「仕事かな?誰と話しているのかな」
    「どんな会話しているのかな」
    と。まだ見ぬ旦那様のことを想像していたんです。

    そして、ある日。
    新宿にある結婚相談所のパンフレットが両親から届き、登録しに行けと言われます。「はいはい」と無視し続けたら、ついに、博多から母が、わざわざ来て、新宿の高層ビルに連れていかれ、登録させられたのです。

    当時の私は
    「結婚相談所に登録するような男性は男性じゃない!」なんて強気な私ですから、結婚相談所の人も困り果て、結局、一番安いコースに入り月に3名、履歴書のようなものが送られてくるのです。
    写真付きで、家族構成、経歴、資格、年収・・・。

    6ヵ月で3名会いました。
    会いましたが・・・前提が「結婚相談所に登録するような男性は男性じゃない!」これですから、理想の男性が巡ってくるはずないですよね。

    そして7ヵ月目に、いまの主人と突然、出会うのです。

    私は、待ち合わせの場所(パスタ屋さん)の外の窓ガラスから主人を見た瞬間!ビビビビッときて、

    「あ、この人と結婚する!」

    と思ったのです。お話する前にです。

    私、35歳の年でした。
    そこから、私は結婚までトントンと運ぶと思ったら!なんと、お付き合いをして1年くらい経ったころ、父親から電話があり「念のため結婚を考えているか聞いてみろ」といわれ、結婚するに決まってるじゃん!と強気の私は、試しに聞いてみると、主人から

    「結婚は、今は、考えいない」

    と言われるのです。

    な、な、なんですとーーー!?
    あまりのショックに、さすがの私も心がパリーンっと割れました。

    でも、割れたのは一瞬で、修復が早く、不思議なことに、私はそこで諦めようとは思わなかったのです。

    「彼は、時間がない時間がないと常に言っている」
    「これは・・・返事を待っていたら、時間だけが過ぎるな」

    そう思った私は、自分で動くことを選びました。

    時は、2010年7月の第1週の土日(どっちか)。
    品川で、主人の会社の後輩たちと食事会へ一緒に参加をし、
    後輩くんたちから

    「もう年齢も年齢なんだから、早く結婚したほうがいいですよ」
    「赤ちゃんのこともあるし」
    「ほかに誰がいるんですか」
    というナイスアプローチをうけ、いまだ!と私は、行動にでます。

    7月の次の土日で、彼を博多の両親へ会わせて、了解を得る
    7月の三連休で、博多から両親を呼び、両家顔合わせをし
    7月末には、入籍をさせたのです。(あ、もとい。喜んで入籍したのです)

    あらためて書くと、私、すごいことしてますね。(笑)

    今振り返ると、私は昔からそうだったのかもしれません。

    事業も。
    人間関係も。
    人生も。

    待っているだけでは、何も変わらない。

    人生は、思い通りにはならなんだもん。


    思い通りにならない中で、「私はどうしたいのか」を問い続ければ、選び続けることはできる。

    正解を探すのではなく、
    自分が選んだ道を、自分で正解にすればよいのです。

    でも、本当に人生が思い通りにならないと知るのは、
    この少し後のことでした。

    無事に結婚ができたら、次はこう言われるのです。
    「子ども早くつくらないとね・・・」

    はい、女性ならではのプレッシャーのステージです。


    そこから、私たちはすぐに不妊治療の病院に行くことになります。今すぐ赤ちゃんを授かりたいと願いながらも現実は、叶わない日々。

    なかなか授からない自分を責め、追い詰め、毎月薬漬け。妊娠に良いというサプリも飲みルイボスティーも飲み、身体を温め、授かり神社にお参りに行き、できることは全てしました。

    時間は待ってくれません。

    37歳・・・
    38歳・・・
    39歳・・・

    結果、不妊治療へ4年通い、40歳で自然妊娠で出産。
    そして2人目不妊治療2年通い、45歳で出産します。

    高齢出産ならぬ、超高齢出産です。

    ママたちならわかってくださると思いますが、授乳の肩こり。40歳過ぎると、どれほどか…想像を絶する肩こりです。
    北斗の拳のキャラ並みの肩の張りでしたね
    肩だけじゃないです。腰も、ひざも痛いし、なにより回復するのが時間がかかる!老体にムチを打つとは、このことだと思いました。

    2人とも、帝旺出産で、生後1ヶ月目は、記憶にありません。
    1人目は女の子で、とっても育てやすかったのですが、
    2人目は男の子で、低体重だったのでNICUに6日間入り、ただでさえ高齢出産の不安+低体重=息子を見ては、「ごめんね~」と泣く日々。

    男の子だからか?夜泣きがすごく、本当に、夜中、白目むいてましたね。

    赤ちゃんが夜中、ぎゃんぎゃん泣いてもイビキをかいて寝ている主人をみて、「いや~男性脳ってすごいな~」と感心したものです。あきれを通り越していますね(笑)

    期待をするから怒りが増すんです。期待しなければ、良いんです。その代わり、夜は担当しましたが、朝は担当を代わってもらって、その間に爆睡でした。

    45歳での妊娠がわかったとき。赤ちゃんが欲しいと願っていたにもかかわらず、強烈な不安がありました。健康な赤ちゃんが産めるのか。私の身体は大丈夫か。もしものことがあったらどうしよう。
    そして働き方はどうしよう…

    1人目の子は、保育園に預けて働いていました。毎日、我が子1人が最後まで残っていて、時々、職員室で待っていました。
    主人も転勤族ということもあり、横浜→大阪→川口、そして福岡というエリアで保育園に預け、お友達も安定せず情緒不安定にならないよう、お休みの日は、一緒に過ごす時間を設けて、たっぷり愛情を与えました。

    正直、子育てをしながらの仕事は、女性にとっては、決して楽なものではありません。

    ぎゃんぎゃん泣く我が子を保育園の先生から、引き離され、どれほど心が痛んだことか、預けたあと私も娘以上に、泣いてました(笑)
    「私、なんで働いてるんだろう」って。

    そんな状態からの2人目。
    1人目でもこの状態なのに、2人子どもを育てながら働くって・・・と考え、そしてお腹に赤ちゃんがいるころから、在宅で、パソコンでできる仕事を探し始めます。

    副業と呼ばれるものは全てしました。ほとんど全てです。ネット上で「詐欺らしい」と書かれたものも、自分が良いと思ったら、自分の目で確かめないと気がすまないので、購入したこともあります。詐欺ではありませんでした。

    その中で自分に合っている、為になった、これは多くの人に伝えたい!と思ったのが、心理学、脳科学、量子力学、マーケティングです。

    私の人生。振り返ると、ピンチのときを切り抜けた時こそ!持っていたのが、根拠のない自信。これは、心理学、脳科学、量子力学でいうと「自分のことを信じている」「信じ切って疑わない状態」だったのです。
    目的が明確(鮮明)だったとも言えます。

    人生は「これさえ手に入れば幸せになれる」というものではないですよね。

    結婚したら幸せ。
    子どもを授かったら幸せ。
    仕事で成果を出したら幸せ。

    そんなふうに、私はどこかで「幸せの条件」(正解)を探していたのかもしれません。でも実際は、どのステージに立っても、新しい悩みが生まれ、新しい問いがやってきます。

    そして、たどり着いたのが

    「人間にとって、幸せって、いったい何なんだろう。」

    あんなに願っていた結婚をしても。
    あんなに願っていた妊娠・出産をしても。
    私はまた、不安になり、悩み、迷っていました。

    そして、心理学、脳科学、量子力学に出会い、私は気づいていくのです。

    幸せは、「なるもの」ではなく、
    今あるものに「気づくもの」なのだと。



    第3部 幸せは、なるものではなく「在る」ものに気づくと知る


    実は私・・・四柱推命鑑定士でもあるんです。
    え?なんで占い師に?と思われましたよね(笑)

    きっかけは父の死です。

    父が突然死で亡くなって、しばらくして当時、ガラケーで何気なくみたサイトに「ゲッターズ飯田さん」の占いがあったんです。家族全員分みたときにその年の父の運勢がすごく悪くて、体調管理が必要だということが書いてあり、亡くなった8月が要注意だと。

    「え?」

    と思いました。
    3月の人間ドックで再検査となっていたのですが、父任せにしていたんです。もし、この情報を早くに知っていたら、再検査に行くことを強く言っていたかもしれない、そしたら…父は生きていたかもしれない。

    それから妹の体調不良や仕事でうまくいかないことが続き、もしかしてと思い、私は、必死で四柱推命を学び、鑑定資格を取得しました。それから九星気学、数秘術・パワーストーン、手相を立て続けに資格を取得しました。

    そして妹の運気を視るとまさに低迷期でした。ゲッターズ飯田さんが0学を学ばれたと書籍で読み、0学も学び、四柱推命と合わせてみると、やはり、低迷期。そのことを妹に伝え今は休んだ方がいい、新しいことはしない方がいいと助言をしました。お陰様で今でも元気に事業も拡大しています。

    四柱推命は、占いの中でも帝王学と言われるほど。
    難があるとわかっても、難(凶運)は、避けられません。だから私は、訪れるであろう大難を中難に、中難を小難に小難を無難にするために「備え」として伝えていきたいと思っています。

    占いなんかに私の人生、縛られてたまるもんか

    と思っているクセ強めの占い師です(笑)

    特に恋愛においては、相性が悪いからといって結婚できないわけではありません。相性がどんなに良くても別れる方はいます。

    私が大切にしているのは

    1㎜も後悔のない人生を送っていただきたい

    ということです。

    後悔のない人生なんてありません。はい、ありません。わかります。
    でも、それでも私は、私と縁ある方には、人間という最期を迎えるその日に

    「私の人生、1㎜も後悔のない人生だった、全うした」

    と言ってもらいたいのです。それは私自身もそう思っています。

    社長の娘として社会人デビューしました。
    とても恵まれた環境だったと思います。なぜなら、自分の意見を言いやすかった環境でしたから(社長の娘ですから)
    ただ、この経験があったからこそ、東京海上グループになっても、女性だからといって諦めることは1㎜もなく、自らの意見を堂々と述べてきました。

    女性だから、なに?

    女性ですけど、なにか?

    という精神状態を持つことができたのも、父と母、そして私と縁ある方々のおかげです。

    私は、1㎜も後悔はありません。

    家族経営という「環境」の中であったものの、いまの自分にできることを精一杯し、自分やるべきことに責任をもち、自分で決めてきた。

    私の人生

    完・全・燃・焼


    なんです。常に完全燃焼。プロジェクトだって、イベントだって、なんだって、常に自分の持てる力をすべて出してきた。

    仕事も、恋愛も、妊活も、子育ても、全て。いまの自分にできることを最大限発揮すれば良い、と私は思います。

    そして、いま自分が在るのは、自分ひとりでは成し得ないこと。

    幸せは、成るのではない
    幸せは、既にあなたの中に在るんです。

    そうです、既にあなたは幸せなんです。

    明日を生きたくても、生きられなかった人もいます。
    SNSで誰かの華やかな生活を見ると、心が揺れることがあります。
    高級ホテル、美味しそうな食事、素敵な夫婦関係、憧れるような暮らし。

    私たちはつい、誰かの「ある」と、自分の「ない」を比べてしまいます。

    でも本当は、自分の人生にも、もうすでに「在る」ものがある。

    今日、目が覚めたこと。
    歩けること。
    話せること。
    誰かを想えること。
    悩めるほど、生きていること。

    それは、決して当たり前ではありません。

    幸せは、どこか遠くにあるものではなく、いま自分の中に在るものに気づくこと。

    そう気づいたとき、私はようやく、誰かと比べる人生から、自分の人生を生きるにもどってきた気がしました。

    そしてその気づきは、次の問いにつながっていきます。

    質問:私は、これからの人生をどう生きたい?

    その答えを探す中で、私は心理学、脳科学、量子力学、マーケティングをさらに深く学び、「在り方」という答えに辿り着いていくのです。


    第4部 人生は、何度でも選び直せると気づく


    社会人になって数年が経った頃、私はある有名な言葉に出会いました。

    「魚を与えれば一日食べられる。魚の釣り方を教えれば一生食べられる。」

    という有名な言葉を知りました。

    なぜかはわかりませんが、この言葉を知る前からこの考え方がありました。

    目の前で起きているクレーム・課題を解決するのではなく、真の課題は何なのか?を見抜くことが好きで、表面上に出てきた課題ではなく根深いところに注目する。そんな仕事の仕方をしていました。そのための、私なりの着目点を言語化(マニュアル化)していったんですよね

    「どうすれば、同じことが繰り返されないのか」
    「どうすれば、その人自身が乗り越えられる力がつくのか」

    という視点で考えることが多かったように思います。

    そんなある日、社内に掛けられていたカレンダーの言葉が、私の目に飛び込んできました。

    真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。 いい加減だと言い訳ばかり。

    戦国武将・武田信玄公の言葉です。

    当時の社内は、決して穏やかな状態ではありませんでした。ちょうど大きく拡大している時でしたから、

    会社への不満。
    社長への不満。
    制度への不満。

    直接、父である社長には言えないので、娘である私のところへ様々な声が届きました。時には、呼び出されて厳しい言葉をいただくこともありました。

    「このままじゃ辞めます。」
    「どうにかしてください。」
    「会社がおかしいでしょ。」

    そのたびに私は、「申し訳ありません。」と頭を下げ、社員さんの機嫌をとり、父には言えず「どうしたらいいだろう」と、私が解決策を考え、私が何とかしなければと背負い込んでいました。

    でも、この武田信玄公の言葉を見た瞬間、ハッとしたのです。

    「これだ。」

    そう思いました。

    本当に変えたいと思うなら。
    本当に困っているのなら。
    本当に良くしたいと思うのなら。

    その人自身から知恵が出てくるはずだ。だから私は、少しずつ関わり方を変えてみました。

    「本当に変えたいなら、あなたがやったらいいじゃないですか」
    「本当に嫌なら、〇〇部門長へ直接伝えてください」
    「本当に辞めたいのなら、残念がながら、あなたの人生の選択です」

    そして最後に、こう問いかけるようになりました。

    「じゃあ、あなたなら、どうしたら良いと思いますか?」

    すると不思議なことが起きました。それまで愚痴ばかりだった人が考え始めたのです。

    「僕だったら、こうします」
    「こんな方法はどうでしょう」
    「私、やってみます」

    私よりも年上の方ばかりでしたので、私には到底思いつかない改善アイディアが次々に湧いてでました。

    私はそこで、ようやく気づきました。

    人は、答えを与えられても変わらない。


    本当に変わるのは、
    自分で問い、
    自分で考え、
    自分で決めたときなのだと。

    人生は、一度だって思い通りではありませんでした。

    でも、そのたびに私は問い続けてきました。

    「いまの私にできることは何だろう」
    「すべての事に意味はある、どんな意味があるんだろう」

    そして第二子がお腹にいる頃から、私は心理学、脳科学、量子力学、マーケティングを学び始めます。7000時間を超える学びの中で、私はひとつの答えに辿り着いたのです。

    人生は、思い通りにはならない。
    でも、どんな出来事にも「意味づけ」をし、
    どう生きるかは、自分で選び直すことができる。


    ということです。

    事実は1つ。解釈は人間の数だけあります。
    私は、これを「在り方」と呼んでいます。

    知識を得るだけでは、人生は変わりません。
    わかったつもりでも、人生は変わりません。

    実際に行動し、できるようになり、そして誰かと分かち合ったとき、その学びは本当の意味で自分のものになるのだと思います。

    だから私は、魚そのものを渡す人ではなく、
    魚の釣り方を一緒に考えられる人でありたい。

    誰かの人生の正解を教える人ではなく、その人自身が、自分の人生の答えを見つけられるような問いを届ける人でありたい。そう思っています。

    そして今、改めてこれまでの人生を振り返って、私はこう思うのです。

    社長の娘だった私も。
    男社会で肩肘を張っていた私も。
    結婚できないかもしれないと思った私も。
    不妊治療で涙した私も。
    保育園で「私、なんで働いてるんだろう」と泣いた私も。

    全部あったから、今の私がいます。

    だからもし、今この記事を読んでいるあなたが、

    「もう遅いかもしれない。」
    「このままで終わるのかな。」
    「私には無理かもしれない。」

    そう思っているなら、伝えたいのです。

    人生は、選び直せます。何度でも。

    そして、その選択に遅すぎることはありません。

    私の人生、まだこんなもんじゃない!


    そうでしょ?
    きっと、あなたの人生も。


    おわりに

    私の人生、まだこんなもんじゃない。

    この言葉は、昔から自分に言い聞かせていたわけではありません。

    でも振り返ると、私は人生の節目ごとに、何度も気づき、何度も選び直してきました。だから今、「もう遅いかもしれない」と思っている誰かに伝えたいのです。

    人脈がなくても。
    コネがなくても。
    遠回りをしたとしても。

    人生は、何度でも選びなおすことができるんです。今からでも。

    きっと、あなたの人生も、まだこんなもんじゃない!


    自分で自分を認めてあげてください。
    よく頑張ったよ私。
    あの時、辛かったよね私。
    いや~たいしたもんだよ私。
    って。

    あたりまえに感謝をし、いま在るものに気づくこと。今の自分にできることを最大限に発揮すること。

    まずは、目の前の人を応援する、ありがとうという、愛を伝える。今すぐできることからでいいんです。

    ないものではなく、在るものに目を向け始める。私にもできるかもしれないと思い始める。それこそが、
    私の人生こんなもんじゃない!というスタートラインに立った証拠です!

    #創作大賞2026
    #ビジネス部門

     
     
    -My Being Curriculum(MBC)- 「私の人生、まだこんなもんじゃない」 そう感じた瞬間から人生は動き出す ◼︎ワクワクスイッチの入れ方 ◼︎精神的自立 × 経済的自立 ◼︎心理学・脳科学研究5年|7000時間以上 ◼︎経営30年|組織・人材育成

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