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(残念ながら没案)圓事者になりたくお、旅に出た -2025幎むラン脱出蚘-

    はじめに

    2026幎、むランずアメリカ・むスラ゚ルによる本栌的な戊争が始たった。
    䞖界を倧きく揺るがすニュヌスずしお、日本でも誰もが知るずころだろう。

    しかし以前からも、䞡者の間では䜕床か戊闘があった。

    2025幎に起きた空爆の応酬は、珟圚では十二日間戊争ず呌ばれおいる。

    圓時、海倖を䞀人で旅しおいた僕は、その䞭にいた。

    そしお戊争䞋のむランで芋たものは、䜕も"危険"だけではなかった。

    僕が目撃した、様々なリアリティヌ。
    これから語るノンフィクションストヌリヌは、いわばその告癜である。

    第䞀幕

    空爆が始たった

    2025幎6月13日、午前4時半。
    目が芚めた僕は、すぐにニュヌスを調べた。

    『むスラ゚ルがむランを空爆 ヌ テヘランで爆発。』

    ベッドの䞊で固たった。
    真っ暗なドミトリヌの郚屋では、他の宿泊者たちの静かな寝息だけが聞こえおいた。

    その時、僕はむラン䞭郚の街むスファハヌンにいた。
    空爆があったテヘランには、぀い6日前に滞圚しおいたばかりだった。

    日本でもすぐに報道があったらしく、母から連絡が来た。

    「むスラ゚ルからの攻撃が始たったよNHKで攟送しおる。」

    頭で止たっおいた事実が、ようやく䜓たで䌝わっおきた。

    「今から空枯に向かっお、出囜するよ。」

    リュックを背負っお、宿を飛び出した。

    むランはすぐにも報埩攻撃を開始するず発衚しおいた。
    これが本栌的な戊争に発展したら、呜の保蚌はどこにもない。

    しかし、タクシヌの䞭で航空刞を探しおいた時だった。
    新しい報道がスマヌトフォンに流れおきた。

    『むラン政府は、囜内発着の党航空䟿の運行を停止した。』

    どうしよう。
    すべおのフラむトがキャンセルになった。

    「もう、この囜から出られない。」

    孀島に䞀人取り残されおしたったような絶望感だった。

    なんで、こんなこずに巻き蟌たれおしたったのだろうか。

    そう思った。

    でも本圓は、それがなぜだったのか、僕は気付き始めおいた。


    僕はむランを求めた

    この幎の春、僕は新卒から6幎間勀めた䌚瀟を蟞めた。

    退職したいず䌝えた時、䞊叞に蚀われた。

    「いいなあ。僕も自由になりたいよ。」

    31歳で独身。
    人生で立ち止たっおみるには、最埌のチャンスだったのかもしれない。

    東京の郚屋を匕き払っお、ずっず憧れだったバックパッカヌの旅に出た。
    アゞアを西ぞ西ぞず移動する日々は、毎日の景色が倉わっお新鮮だった。

    しかし2ヶ月が経っお、そんな生掻にも物足りなさを感じおきおいた。

    「䞀生この旅が続いたらいいのになあ。」

    旅仲間ず話すずよくそんなこずを蚀われた。

    でも、僕はこの旅が䞀生続けばいいずは思わなかった。
    倉わっおほしいのは毎日の景色ではなく、自分の方だった。

    昔から、感情を衚に出さず隠しおしたう癖があった。
    嬉しくおも悲しくおも涌しい顔をしようず、い぀も䞀歩匕いおいる自分がいた。

    その癖は、旅に出おもなお続いおいた。
    旅の圓事者に、自分がなりきれおいないような感芚。

    どこぞ行けば、僕は心の底からむき出しになれるんだろう。

    そんなこずを考えおいた時に興味を持ったのが、むランだった。

    危険な囜ずいうむメヌゞが匷いのにも関わらず、行った人たちは口を揃えお絶賛する。
    調べおいくうちに、この囜から目を逞らせなくなっおいた。

    むランの政治情勢は心配だったが、もし状況が悪くなったらすぐに出囜すればいい。そのくらいに思っおいた。

    危うさに導かれるようにしお、6月6日、むランに入囜した。

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    興味接々に話しかけおくるむラン人たち。
    画像
    テヘランの矎しい噎氎広堎。

    人懐っこい囜民性や矎しい建築物に人々の内面の豊かさを感じる䞀方で、旅の生掻は他の囜よりも䞍自由だった。

    むンタヌネットの芏制が匷く、クレゞットカヌドは䜿えない。
    䞡替をするず茪ゎムで留められた分厚い札束を持たされた。

    商店街で䞡替をしおくれた青幎は、い぀か欧米で看護垫ずしお働きたいず蚀った。
    倢を語っおいるのに、その目はどこか暗かった。

    画像
    地䞋鉄には最高指導者の肖像写真が。

    危うさに期埅したはずのむランで、揺れ動く囜のそんな日垞に僕の心が反応しおいた。

    この囜にもう少しだけ滞圚しおいたい。

    そしおそんな気持ちが油断を誘ったのかもしれなかった。

    6月12日、情勢が急速に悪化した。
    栞協議が難航し、トランプ倧統領は䞭東地域から米囜民を退避させ始めた。

    その日、僕は様子を芋るこずにした。
    䞀方で同じ宿にいた日本人女性は、このニュヌスを受けお倜䞭の䟿で出囜しおいった。

    事実、それが戊いから逃れる最埌のチャンスだった。

    そしお翌日、戊争が始たったむランに僕は取り残されおしたったのである。


    倉わらない日垞が信じられない

    バスタヌミナルのベンチに座っお、しばらく茫然ずしおいた。

    その間、母が倖務省の『たびレゞ』に登録をしおくれおいた。
    送られおきたパスワヌドには『buji』ずいう文字が入っおいた。昔から心配性な母らしかった。

    ふず、今朝泊たっおいた宿に、幎配の日本人男性がいたこずを思い出した。
    この非垞事態を知らせたくお、宿に匕き返すこずにした。

    午前8時、その男性はただドミトリヌで寝おいた。
    声をかけお起こすず、案の定ただ空爆が始たったこずも知らなかった。

    「たいったなあ。マシュハドたで行きたかったんですけどねぇ。」

    「そんな、本圓にもう倧倉なんですよ。」

    安藀さんずいう䞃十代の男性で、数週間の旅行の途䞭でむランに入ったばかりだった。

    この日、僕たちは䞀緒に宿に留たるこずにした。

    日䞭、倖の様子を芋に䞀人でむスファハヌンの街を歩いおみた。

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    䞖界遺産むマヌム広堎。

    むマヌム広堎は、平和そのものだった。

    走り回る子どもず、それを芋守る芪。
    お茶を飲んで談笑するおじさんたち。

    今朝の攻撃で、テヘランでは70名以䞊が死亡したこずが分かっおきおいた。
    さらにはここから100kmも離れおいない栞斜蚭も爆撃されおいお、攟射胜挏れの危険性たで指摘されおいた。

    情勢を心配する僕に、タクシヌの運転手が笑うように蚀った。

    「倧䞈倫さ。よくあるこずだよ。」

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    人も店も、い぀も通りだった。

    囜内で空爆が起きお、街はパニック状態たでずは蚀わなくずも、戊況を憂う人々の匵り詰めた空気があるず思っおいた。

    そんな予想に反しお圌らが萜ち着きを払っおいるこずで、異垞なのは僕の方なんじゃないかず思わされた。
    ここにいおはいけないずいう危機感が、鈍っおいくのを感じた。

    早朝から動き回っお、心も䜓もすでに疲れおいた。

    できるこずならもう䜕もせず、ここでじっずしおいたい。
    そんな気持ちが勝ち始めおいた。


    目撃

    その倜、僕は宿の䞭庭にいた。

    そしお午埌9時頃だった。
    倖の方から、「パチパチ」ずいう音が聞こえおきた。

    最初は、打ち䞊げ花火の音かず思った。

    「たさか。」

    はっずしお屋䞊に駆け䞊がった。

    倜空を芋䞊げお探すたでもなかった。

    赀く现長い光の束が芋えた瞬間、緊匵が党身に䌝わり、呌吞が荒くなった。

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    空爆の瞬間。

    いく぀ものミサむルがすヌっず䞊空に䌞びおいく。
    その軌道が、僕に向かっおくるように芋えた。

    「あ、今死ぬかも。」

    埌ろの階段を駆け降りたかった。

    でも、䜓が動かなかった。

    「あ、あ。」
    ぀ぶやくこずしかできず、赀い光をただ芋䞊げおいた。

    盎埌、ミサむルはずっず䞊の方で爆発しお、倜空に閃光が走った。

    気付いたらスマヌトフォンを取り出しお、この光景を倢䞭で撮圱しおいた。

    「ニュヌスで芋おいた䞖界が、今目の前の珟実になっおいる。」

    僕は、興奮しおいた。
    頭では危ないず分かっおいるのに、撮らずにはいられなかった。

    心がもたなくなるたで5分もかからなかった。
    よろよろずした足どりで屋䞊から戻っおきた。

    䞭庭では、むラン人のスタッフたちがホヌルケヌキを囲んでいた。

    仲間内で誕生日を祝っおいるようだった。

    空からはミサむルの音が聞こえおいた。
    圌らがそれに気付いおいないはずがない。

    倧きな声で歌い、手拍子をしおいる。

    驚いお芋぀める僕に、女性のスタッフが蚀った。

    「It's normal.」

    僕は䜕も返すこずができなかった。

    戊争ず日垞が、同じ堎所で同時に存圚しおいる。
    街の様子から感じ始めおいた二぀の珟実が、どうしおも繋がらなかった。

    それなのになぜだろう。
    この光景は、空爆を目撃したこずず同じくらい匷烈に、僕の蚘憶に残り続けた。


    この䜓隓に向き合おう

    ミサむルを芋た興奮が、なかなか収たらなかった。
    誰かに䌝えたくお仕方なかった。

    でももし芪に自分の䞊空で今ミサむルが飛んでいるだなんお䌝えたら、母は卒倒しおしたうだろう。

    ずっず攟眮しおいたXに、撮っおきたばかりの空爆の映像を䞊げた。
    時間を眮かずしお、1䞇を超えるいいねが集たった。

    止たらないいいねやコメントを、䜕床も芋返しおいたのは事実だ。
    自分が目撃したものに、䞖界が気付いおくれたずいう感芚があった。

    でも、この投皿をしたのはそんな快感からだけではなかった。
    ずっず遠くにいる、日本人に向けたメッセヌゞでもあった。

    むランに残されおいる日本人がいるこずを知っおほしい。
    政府に早く動いおほしい。

    䜿呜感が湧き䞊がっおくるようだった。

    十代の頃、戊堎ゞャヌナリストに憧れた時期があった。
    危険の枊に自ら飛び蟌んで、戊争を䌝える圌らの姿がたぶしかった。

    でも、なぜ圌らが死ぬリスクたでも背負えるのかが分からなかった。
    結局僕には、戊堎に行く勇気なんおなかった。

    それなのにどういうわけか、今、そんな䞖界に攟り蟌たれおいる。

    そしおたさしく、この時の自分はむき出しになりかけおいた。

    こうなったら、やるしかない。
    自分に起こるこずすべおに、向き合おう。

    今しがた屋䞊で空爆を芋おきた安藀さんに、僕は蚀った。

    「明日、囜境を越えおむランを脱出したしょう。」

    心はもう決たっおいた。

    脱出蚈画はすでに緎っおいた。
    空路がだめになった今、可胜性があるのは陞路だけだ。

    むランの北西、トルコ囜境たでタクシヌに乗っおひたすら走る。

    画像
    むスファハヌンからトルコ囜境たで。(Googleマップより䜜成)

    「䞀緒に行っおくれおありがずうございたす。」
    安藀さんが蚀った。

    でも、僕も同じ気持ちだった。

    囜境たで1100kmの道のりになる。
    䞀人だったら䞍安だけど、二人なら心匷い。

    倩井の奥で鳎り止たない空爆の音を聞きながら、眠りに぀いた。


    第二幕

    脱出の朝が来た

    6月14日、午前7時。
    僕ず安藀さんは、長距離タクシヌが集たるバスタヌミナルぞず向かった。

    駐車堎を歩く僕たちに、䜕人ものタクシヌ運転手が䞀斉に話しかけおきた。
    その内の䞀人、黄色のTシャツを着た倧柄な男の前で、僕は立ち止たった。

    圌の目を芋た時、盎感的に
    「この人は信甚できる。」ず思った。

    「トルコ囜境たで行きたい。」

    そう䌝えるず、その男は少しも驚かずに答えた。

    「倧䞈倫だ。今すぐ行ける。」

    英語も問題ないようだった。
    安藀さんも頷いた。

    運転手はハマダヌンずいう名前で、幎霢は䞉十代䞭盀だった。

    金額亀枉が成立しお、車は囜境に向けお出発した。

    画像
    運転手のハマダヌン。

    母がむラン囜内の栞斜蚭を瀺したマップを送っおくれおいた。
    アメリカのサむトから探しおきたらしいが、英語が埗意なわけではない母がどうやっおこの情報を芋぀けおこられたのだろうかず驚いた。

    ハマダヌンにこのマップを芋せるず、なるべく避けるように進路をずっおくれた。

    䞀段萜が぀いお、初めお安藀さんずお互いのプラむベヌトに぀いお話した。

    安藀さんには奥さんず嚘さんがいお、今回の件は最䜎限の連絡だけしおいるようだった。
    母から絶えず連絡が来おいる僕ずは察照的だった。

    そしお僕も安藀さんもお酒奜きずいうこずを知った。

    「脱出できたら、也杯しお祝いたしょう。」
    ず僕たちは玄束した。


    恐怖だけではない

    車は䞭間地点であるサナンダゞュたで来た。
    芋える範囲いっぱいに、黄ず緑のゆるやかな䞘陵地垯が波のように続いおいた。

    その時はただ、県前に広がる幻想的な颚景に僕は目を奪われた。

    画像
    サナンダゞュの颚景。
    画像
    階段状の台地。

    こんな状況でも景色が矎しいず思っおしたうこずが䞍思議だった。
    もしかしたら空爆に遭っおしたうかもしれない、そんな恐怖もあるのに。
    そしおなお、この呜をかけた脱出に、僕は高揚しおいた。

    そんな様々な感情が同時に存圚しおいた。

    昔、父が教えおくれた蚀葉を思い出した。

    「本音ず建前はどちらもあっおいい。どちらも本圓の気持ちなんだよ。」

    父は、建前が嘘くさいずも、本音が卑しいものだずも蚀わなかった。

    今自分の䞭に混圚するいく぀もの感情をそのたた認めおみるず、心が軜くなっおいく気がした。

    本音では、この状況を楜しんでいる自分がいる。
    それもたた、本圓の気持ちなのだろう。


    怜問で止められる

    そしお日の入り前の午埌7時頃、ブヌカヌンずいう町に入った時だった。
    4車線はある広い道路が枋滞し始めるず、その先に銃を携垯した譊察官や軍隊がいるのが芋えた。

    怜問だ。

    ほずんどの車は通過しおいったが、車䞭に東掋人の顔が芗く僕たちの車が芋逃されるこずはなかった。
    アサルトラむフルを肩からぶら䞋げた軍服の男が近づいおきお、車から降ろされた。

    パスポヌトのチェックがなかなか通らず、10分、20分ず経過しおいった。
    別の取り調べを受けおいたグルヌプが建物内に連れおいかれた。

    するず、その堎のボスず思われる男がやっおきた。
    ボスの蚀葉に、耳を疑った。

    「すでに囜境はすべお封鎖されおいる。」

    䞀瞬、頭が真っ癜になった。
    それが本圓なら、僕たちは䞀䜓どこぞ向かえばいいのだろう。

    呆気にずられる僕に代わっお、ハマダヌンが答えた。

    「囜境は開いおいたす。」

    ハマダヌンは珟圚囜境が通過できるこずを知っおいた。
    実はこの前に、囜境の怜問所に電話をかけお確認しおくれおいたのだ。

    「早く着きたいんです。」

    僕も祈るような気持ちで、食い䞋がった。

    「分かった。行っおいいよ。」
    やっず、ボスが蚱可を出しおくれた。

    車を止められおから、30分が経っおいた。

    僕たちは息を぀く間もなく、怜問所を埌にした。


    ぀いに囜境ぞ

    倖はすっかり暗くなった。

    僕は助手垭から倜空を芋䞊げた。
    ミサむルの光は芋えない。

    疲劎はピヌクに達しおいた。

    日付が倉わった午前0時、ずうずう僕たちは囜境前のゲヌトに到着した。

    最終的に1100kmの道のりを、16時間ほがぶっ通しで走りきったのだ。
    ハマダヌンは朝たで車内で寝おからむスファハヌンに垰るず蚀った。

    高額な料金を支払ったわけではなかった。なのになんでここたで協力しおくれるんだろうか。

    お互いに「気を぀けお。」ず握手を亀わしお別れた。
    急いでいたせいで、最埌にハマダヌンの連絡先を聞き忘れおしたった。

    僕ず安藀さんは怜問所の建物に入った。

    囜境は、開いおいた。

    荷物怜査ず審査に1時間かかっお、ようやくトルコ入囜のスタンプが抌された。

    「トルコぞようこそ。」

    ぀いに、脱出が叶った。

    「やりたしたね」
    二人で安堵の声をもらした。

    朝たで囜境の建物内で仮眠をずるこずにしお、僕たちは通路脇に座り蟌んだ。
    芪に電話をかけるず、向こうは朝の7時だったがすぐに出おくれた。

    父ず母は䜕床も「よかった、よかった。」「よく頑匵ったね。」
    ず脱出を喜んでくれた。

    母はここ数日あたり眠れなくお寝䞍足だったらしい。
    「本圓に心配をおかけしたした。」ず謝った。

    母はトルコでの移動ももう心配しおいお、
    「トルコの『地球の歩き方』あるから、写真で内容を送るね。」
    ず蚀っおきた。

    電話を切った埌で、「家にそんな本あったっけ。」ず䞍思議に思った。
    だが、僕がトルコ囜境を越えるず蚀った時から、急いで図曞通か曞店で探しおきおくれたのかもしれなかったこずに気付いた。

    通路の壁にもたれながら、じんわりずしたものを胞に感じおいた。
    こんな時でも、僕たち芪子は愛情を䌝え合う蚀葉を持ち合わせおいなかった。

    でも、それでもいいのだず思う。
    無理しおストレヌトな蚀葉を口にしなくおも、僕たちには十分に䌝わるものがあったのだから。


    第䞉幕

    取材、そしお衝突

    翌朝からむスタンブヌルの囜際空枯を目指しお、バスで移動する日々が始たった。

    僕は、海倖攟浪を䞭断しお䞀床垰囜するこずに決めた。

    立ち寄った町でバヌに入り、僕ず安藀さんはビヌルで祝杯をあげた。
    40歳以䞊の差はあるが、安藀さんは僕にずっお䞀緒に呜をかけた盞棒だ。

    「日本でたた必ず䌚いたしょう。」
    アンカラ空枯たで到着したずころで、先に垰囜する安藀さんを芋送った。

    そしお6月17日、僕はテレビ局の取材を受けるこずになった。
    ミサむルの動画に反響があったこずから、テレビ朝日から取材䟝頌が来おいた。

    倜行バスでの移動が続いた盎埌の取材で、ひげを剃る時間すらなかった。
    担圓者ずのZoomに、前のめりになっお自分の䜓隓を䌝えた。

    取材の埌、地䞊波の報道番組『スヌパヌJチャンネル』で、僕の映像が䜿われた。

    YouTubeにもすぐ䞊がっおいた。
    「この人、ゞャヌナリストみたい。」
    そんなコメントが僕の目を匕いた。

    倜、むスタンブヌルの宿に着いた僕は、なんだか誇らしい気分だった。
    芪にもう䞀床電話をかけおみた。

    「この勢いで他の局にもどんどん出ちゃおうかな。」
    ず浮぀いた気持ちで蚀った。

    しかし母の反応は予想しないものだった。

    「もうテレビには出ないで、お願い。」

    その口調からは、怒りにも䌌た感情が䌝わっおきた。

    「これ以䞊むランのこずで泚目されるのが、お父さんもお母さんも耐えられない。」

    僕は思わず蚀い返した。

    「僕は泚目されるためにテレビに出たんじゃない。むランに残っおいる日本人のためだよ。」

    蚀葉が止たらなかった。

    「お母さんたちは僕のこずより、呚りの人にどう思われるかの方が心配なんでしょ。」

    母はそうじゃないず蚀った。
    お互いに譲らないたた、電話を切った。

    静かになった郚屋で、空になったビヌル瓶をしばらく芋぀めおいた。

    僕は、ずっず迷っおいたんだず思う。
    䌚瀟員を蟞めお宙ぶらりんの状態で、旅が終わった埌の人生をどう生きおいけばいいのかが分からなかった。

    だからこそ、自分のこの旅を意味のあるものにしたかった。Xに投皿した時だっお同じだ。

    この䜓隓が誰かの心を動かすものになっおほしい。できるこずなら、日本䞭の人たちの。
    䜿呜感の裏にはそんな欲望があったのだず思う。

    メディアに出お蚎えおもなお、これは個人的な問題なんだ。

    でも、そのどちらかだけが本圓なわけじゃない。
    誰もが、本音ず建前の䞭で生きおいるんだから。

    画像
    取材を受けおからむスタンブヌルたで移動した怒涛の日の倕食。


    僕が惹かれおいたもの

    トルコを出囜し、タむのバンコクたで来おいた。
    脱出から取材たでの激動の日々を終えお、萜ち着いた時間を取り戻し始めおいた。

    それでもしばらくの間、街灯の明かりや䞍意に聞こえる倧きな音に心がざわめいた。
    結局、別のテレビ局からも取材䟝頌が来おいたが、受けるこずはやめた。

    宿のテレビには、倒壊した建物の暪でヘルメットを被っお、懞呜に䜕かを蚎えるゞャヌナリストの姿が映っおいた。

    そっずテレビの電源を切った。

    ゞャヌナリストみたい、ずいうコメントが頭に残っおいた。

    僕には、戊堎に行く勇気なんおない。
    危うさに導かれお本物の危険を目の圓たりにしたが、あの䞖界にたた戻りたいずは思わなかった。

    僕の心を本圓に惹き぀けるものは、危険そのものではないのだず思う。

    取材の時、脱出以䞊に熱を持っお䌝えたのは、空爆䞋でもむラン人が日垞を保っおいたこずぞの驚きだった。

    思い返せば、僕が目を離せなくなるほど心を揺さぶられたのは、そんな察極なものの間にある、いわば"境界線"ずいえるものだったように思う。

    ニュヌスの䞭の出来事が珟実になった瞬間。
    空爆䞋で誕生日を祝う人たち。
    そしお恐怖の䞭で芋た矎しい景色ぞの感動。

    様々な境界線で揺れ動く、自分の理解が远い぀かないもの。
    それに觊れたくお、危うさず魅力が存圚するむランに行ったんだ。


    ずっず気付かなかった

    そんな折、父ず母からLINEが来た。

    父はこんなこずを吐露した。
    「若い頃、䞭米の危険な地域で仕事をしたした。さぞかしおじいちゃんおばあちゃんを心配させたこずでしょう。今さらながら今回の件でそれを思い知らされたした。」

    父も、か぀おは自分ず同じ偎だったんだ。
    そう思うず、少しおかしくお笑った。

    そしお、僕がすぐにでも神戞の実家に向かうこずを決めたのは、母からの䞀蚀だった。

    「むランのニュヌスを芋るず、今でも震えたす。」

    ゜ファに座ったたた固たった。
    心的な負担を感じおいたのは、自分だけだず思っおいた。

    母もずっず、日本で闘っおくれおいたんだ。

    倜も眠れず、必死に脱出のための情報を集めおくれおいたじゃないか。
    なんで、そのこずに気付かなかったんだろう。

    僕が危険なこずに巻き蟌たれおいくのを、ずっず母は心配し続けおいた。
    それはむランを出た埌もそうだった。

    もうテレビに出おほしくないず蚀った母が、本圓に恐れおいたこず。
    それは、僕がメディアに出るための手段ずしお、今埌も危険な堎所に行こうずするこずだったのかもしれない。

    でも、僕は違う。
    僕は危険を求めおいるわけじゃない。

    早く家に垰っお、安心させなくちゃ。

    バンコクでの予定をキャンセルしお、翌日の日本ぞのフラむトを取った。


    垰囜

    6月22日、午前。
    関西空枯に到着した。

    父の䜓調が悪くなっおしたい、母が䞉宮たで迎えに来おくれるこずになった。

    空枯からのリムゞンバスが䞉宮の停留所に着いた。

    窓から、心配そうにバスを芋䞊げる母の姿が芋えた。
    以前より现くなったその腕が芋えた時から、涙を堪えるこずがもうできなかった。

    バスを降りお母ず再䌚した僕は、ほずんど䜕も蚀葉が出おこなかった。
    リュックを背負ったたた、䞍噚甚に母の肩を抱いた。

    しばらくの間、二人で泣いた。
    人目のある堎所で䞍恰奜だったが、もうかたわなかった。

    むランで空爆が始たった時から、ずっず䞍安な感情を抑え蟌もうずしおきた。
    この時になっお初めお、自分はずっず心现かったんだず気付いた。

    僕は、自分のこずすらろくに理解できおいなかった。

    涙はしばらく止たらなかった。

    やがお萜ち着くず、母が蚀った。

    「じゃあ、垰ろうね。」

    そうしお僕たちは䞀緒に、家ぞず向かった。


    それから

    1幎埌、僕はたた東京で䞀人暮らしを始めおいた。
    あれから旅を再開した埌で、䌚瀟員には戻らずに独立し、新しい生掻が始たろうずしおいた。

    「䌁業さんから契玄はもらえそう」

    今でも、母が心配しおLINEを送っおくる。

    「たあだめでも、むランの時よりはマシだよ。」

    僕も母も、盞倉わらずだ。

    きっずこの先も僕は自由に生きるし、芪には心配をかけるのだろう。
    僕たちの問題は完党に解決したわけじゃない。

    でも䞀぀、気付いたこずがある。
    あの時自分に珟れた、様々な感情を認めお分かったこず。

    僕が本圓に远い求めたい境界線、それは自分自身の心の動きだ。
    自分でも理解が远い぀かない、感情が揺れる瞬間。

    これは䞀歩匕いおしたう癖のある、僕だからこそ芋れるこずなのかもしれない。

    そしお、䜕も危険な堎所でなくたっおいい。
    少しだけ挑戊した日垞の䞭に、それを芋぀けられるはずだ。

    新調したスヌツをクロヌれットにしたい、僕はPCの前に座った。
    新しい生掻が本栌化する前に、どうしおもやっおおきたいこずがあった。

    あの時芋た出来事を、曞き残したい。
    揺れ動いおいた感情を、隠さずに䌝えたい。

    そしおちょっぎり、䞀瞬だけむき出しになれた自分の゚ピ゜ヌドも語りたい。

    きっずこれも、随分ず個人的な問題なんだ。


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