
「線引きの正義」が支配する国(下)
「線引きの正義」が支配する国(下)
── 説明合理性に囚われる社会 ──
“わかりやすさ”が政治を動かす 導入編
「合理性の政治学」シリーズ①
児童手当の所得制限を考えてみよう。行政コストは増し、家計への実質的な恩恵も限定的になる。にもかかわらず、所得制限は“配る相手を選んだ正しさ”の象徴となり、メディアも政治家もそこに乗る。「本当に困っている家庭を優先すべきだ」という言葉はわかりやすく聞こえるが、ここでは再分配の効率性や長期的効果といった政策本来の議論は二の次で、「正義らしさ」の演出が第一優先となっている。

北欧が普遍給付を選ぶのは、スティグマ(受給者に貼られる烙印)を避けるためであり、行政をシンプルにし、社会全体の安心感を高めるためだ。アメリカが税額控除に偏るのは、市場を通じた支援が文化的に受け入れられやすいからだ。
では日本はどうか。日本では、「誰に・なぜ配るのか」を説明しなければならないという強迫観念のような文化が強く働いている。そしてこの文化が、政策の形を決定づけている。
そのため政策は、わかりやすく正しそうな理由を添えられるかどうかが優先される。軽減税率が典型例だ。食料品が安くなる──まるで弱者を守っているように見える。だが実際には制度の複雑さや不公平さが指摘されていても、その不都合な真実はほとんど可視化されない。「弱者に配慮」という物語が強すぎて、それ以上の分析がニュースや政治の現場で求められないからだ。
