
『希望の教義』──なぜ私たちは“負担なし”を信じたくなるのか(1)
「配るなら取るな」──非合理な願望の正体
はじめに:誰もが抱く「負担なき幸福」への誘惑
「社会保障は手厚く」「増税はイヤ」。
そんな声が、もはや一部の人だけでなく、社会全体の空気になっている。
しかし冷静に考えれば、それは"支出を増やして収入を減らす"という、家計で言えば成り立たない話だ。
にもかかわらず、この“非合理な願望”がなぜこれほどまでに広がるのか。
そこには、私たちが避けようのない心理的バイアスが深く関係している。
そして、この願望に理論的な裏づけを与え、希望の形に変えたのが、
いわゆるMMT(現代貨幣理論)だ。
「国はお金を発行できるから、財源の制約はない」というこの考え方は、
財政という複雑で重苦しいテーマに、一種の「救済」をもたらした。
だが、MMTの魅力はその理論そのものよりも、
人々の「痛みを避けたい」心理を正当化してくれるところにある。
これは単なる経済理論ではなく、“希望の教義”としての側面を持つのだ。
Ⅰ.「痛み」を嫌う心──損失回避バイアス
行動経済学の基本法則のひとつ、損失回避バイアスだ。人は、同じ1万円でも「得たときの喜び」より「失ったときの痛み」を2倍強く感じる。
だからこそ、増税や負担増は強い反発を生む。
「財布からお金が出ていく」という“現在の痛み”に敏感だからだ。
一方、「将来の財政安定」や「制度の持続性」といった話は、
頭では理解できても、実感としては遠い。
このときに登場するのがMMTの“魔法の言葉”だ。
「増税しなくても給付を拡大できる」。
それはまさに、“痛みを伴わない救済”の約束だ。
財政論という苦い薬に、砂糖をまぶして飲みやすくしてくれる。
人々が飛びつくのも当然だ。
「信じたいもの」を信じるメカニズム
MMTの人気を単なる「反増税感情」として片付けるのは簡単だ。
だが本質はもっと深い。
私たちは「不安から逃れたい」と同時に、「希望を見出したい」生き物だ。
MMTはその両方を満たす。
つまり、“負担なしで幸福になれる”という心理的カタルシスを与えるのだ。
だが、この甘美な希望には、必ず“副作用”がある。
その背景に潜むのが、「現在バイアス」と「責任の先送り」の構造だ。
つづく