30年ぶりに歌おうとしたら、息の吐き方を忘れていた話
その日、私の身体から「歌」という道が消えていた。
「歌えない」
そう気づいた瞬間、冷や汗が背中をつたった。
喉が痛いわけでも、風邪をひいたわけでもない。
声は普通に出るし、会話もできる。
電話応対の仕事では、むしろ声を褒められることさえあった。
それなのに、歌おうとした瞬間、どうしても息が入ってこない。
音は取れるのに、響きが途中で消えていく。
4年前の地元の公民館。
久しぶりに誘われたコーラスグループの練習日だった。
70代、80代の方々が中心の、14名ほどの小さな集まり。
譜面をめくる音、重なっていく歌声。
その中で、私だけが溺れるように肩で息をしていた。
私はかつて、そのグループの初期メンバーだった。
けれど、家業と子育てに追われるうちに足が遠のき、その時、実に30年ぶりの再会だった。
「音楽科で学んだ基礎があるし、練習すれば何とかなるはず」
そう思っていた。
若い頃よりふくよかになった身体さえ、「どっしり歌える準備ができた」と都合よく解釈していたくらいだ。
けれど、現実は違った。
周りの先輩方は、私よりずっと年上なのに、長いフレーズを涼やかな顔で歌い切る。
私だけが、息をつなげられない。
「歌えない?」
初めての焦りの中で、私は自問していた。
喉を痛めなければいつか歌える。
そう、音楽と再会できる日のために、守ってきたはず。
なのに。
そもそも私にとって、音楽とは何だったのだろうか、と、心に寂しい風が吹いているようだった。
命の上にあった音楽
思えば、私と音楽の出会いは、命の瀬戸際にあった。
8歳の時、交通事故で瀕死の状態になり、意識が朦朧とする中で、私は「ピアノが弾きたいな」と呟いたそうだ。
今考えれば、痛かったのに、楽しいことを考えようとしてたのかな、と、ジンとくる。
それは、頭で考えた言葉ではなく、もっと深い場所から、命そのものが「まだ生きたい」と願った声と思えて、今染みわたる。
そのか細い声を母が聞き、祖父が「足が悪くても生きていけるように」とピアノを授けてくれた。
私にとって音楽は、最初から、生きることと分かちがたく結びついていたのだ。
その後、走れなくなった身体で声楽に出会った。
全身を通って、身体の中から溢れ出すような柔らかい響き。
その声に、私は心を奪われた。
「どうすれば、あのような声が出るのだろう。」
「でも、音楽で生きていくのは大変だよ。」
周囲の声に悩みながらも、高校3年の夏、私は音楽の道を選んだ。
「私を生かしてくれた音楽を伝えたい」
そう願って教職に就いたが、結婚や家業、子育てに追われるうちに、音楽から離れざるを得ない時間は増えていった。
毎日を回すことに必死で、気づけば、自分の呼吸よりも周囲の都合を優先して生きるようになっていた。
暮らしが変わり、心身が何度も揺れる中で、私は自分の疲労にさえ無感覚になっていた。
「まだ大丈夫」
「これくらい、みんなやっている」
そうやって身体の悲鳴を頭の命令で押さえつけ、感覚を麻痺させることで、日々をやり過ごしていた。
そして、30年ぶりにコーラスの輪へ戻った私が直面したのは、単なる加齢による衰えではない、ということだったのだ。
人生の中で積み重なった「無意識の力み」が、声を通す道そのものを塞いでいた。
「吸う」のではなく、「吐く」こと
届く声にならないのは、ずっと、息を吸えていないからだと思っていた。
もっと吸わなければ。
もっと支えなければ。
けれど、事実は逆だった。
吸えないのではない。
吐けなくなっていたのだ。
身体の至る所が緊張で固まり、真っ直ぐに息が出ていかない。
ため息のように、細く、静かに息を吐いてみる。
すると、わずかに身体が緩む瞬間があった。
本来、歌声は、喉で押し出すものではない。
身体を通ってきた息の上で、声帯が自然に揺れることで生まれる。
歌えなくなったことは喪失ではなく、止まらなかった自分の命に、もう一度出会い直すための時間となっていた。
声との再会
声が戻るまでには、4年という月日が必要だった。
それはテクニックの習得ではなく、自分の身体と対話し、緊張を解きほぐしていく静かな「修復」の時間だった。
ようやく声が戻り始めた頃、「元気になったね。」と、声をかけられるようになった。
そして、思いがけない依頼を受けた。
団長さんから、団員への発声指導を頼まれたのだ。
「私が、教える?
若い頃と違って、やっとやっとの私に……」
戸惑った。
けれど皆さんの熱意に押され、「喉に負担をかけない発声」を一緒に探ることになった。
半年間、皆さんの悩みを聞きながら、私は技術より先に、「心と身体の解放」を伝え続けようと思った。
自分自身を励ましていたように。
「身体に無理をかけないで、安心して息を通してください。」
「高い声が出なくても気にしないで。声を出すことが嬉しい、その気持ちが一番大事なんです。」
「吸って吐ければ必ず歌えます。息がどこを通っているか、感じましょう。吸って吐くだけの練習です。できない方はご相談ください。」
私の言葉に、皆さんが真剣に、時に笑いながら応えてくれる。
その時間は、私自身の強張った心をも解きほぐしていくようだった。
「響くと脳が揺れる。揺れると軽くなります。頑張りましょう。」
思ったような声が出なくても、お互いが自分のことのように、心配したり応援し合って、練習を重ねた。
発表会の日。
「とても柔らかな、美しいハーモニーでした。」
そう言葉をいただいた。
普段は厳しい先生も、「よかったよ」と目を細めてくださった。
その一言に、団員の皆さんの顔がぱっと明るくなる。
自信に満ちてキラキラと輝くその光景を見ながら、私は心から思った。
歌が好きで、音楽が好きで、本当に良かった 、と。
おわりに
人は、ひとりで呼吸しているようでいて、実は周囲の空気の影響を受けながら生きている。
安心できる場所では息が深くなり、緊張する場所では呼吸は浅くなる。
人の声には、その人がどんな時間を生き、どんな呼吸で今日まで生き延びてきたのかが、静かに滲み出る。
もし今、声が出にくいと感じているなら、ただ喉を鍛えるのではなく、一度、ため息のように息を吐き出してみてほしい。
力を加える前に、まず、身体が安心して息を通せる。
声は、そこから生まれていく。
私は、8歳のあの日。
途切れかけた呼吸の中で、「ピアノが弾きたい」と呟いた。
その命の続きの上に、今の私の声がある。
あの日、
小さく呟いた願いのひと息を、
これからも私は、
忘れずに響かせていこうと思う。
