
TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』第8幕「大カトゥン ボラクチン」感想と考察~史料の空白から生まれた大カトゥン・ボラクチン――錬金術と外丹、シタラの讒言
TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』第8幕「大カトゥン ボラクチン」を見ましたので、今回も感じたことや気づいたこと、興味を引かれた点などをいろいろと語っていきたいと思います。
ボラクチン――史料の空白から生まれた「大カトゥン」
第8幕の中心人物となったのは、オゴタイの第一皇后であるボラクチンです。ボラクチンは「大カトゥン」と呼ばれ、オゴタイの妃たちの中でも最も年長で、第一オルドを統轄する最高位の妃でした。
ところが、これほど高い地位にありながら、彼女自身の行動や性格を伝える史料は非常に少なく、出身部族や父親、生没年、具体的な政治活動などもほとんど明らかになっていません。後に監国(摂政)として帝国を動かしたドレゲネについて多くの記録が残されているのとは対照的です。
本作では、その「史料の少なさ」を逆手に取り、ボラクチンの人物像に大胆な創作が加えられています。原作者のトマトスープ氏も、彼女に関する情報がほとんどなかったからこそ、かなり自由にキャラクターを作り上げたと語っています。
作中のボラクチンは、常に冷静沈着で威厳を崩さず、表立って動くのではなく、水面下で人や勢力を動かすことを政治の本質と考える老練な策士として描かれています。公式サイトでも、「帝国の未来や権力の偏りを憂い、密かに策を巡らせる底知れぬ女性」と紹介されています。
物語の構成から考えても、主人公であるシタラやドレゲネの前に立ちはだかる、強大な存在が必要だったのでしょう。
そんなボラクチンの人物像を想像する数少ない手掛かりの一つとされているのが、道教との関係です。1240年の碑文には、「大皇后」と呼ばれる女性が、道教経典を集成した『道蔵』の刊行に関わったという記録が残されています。この「大皇后」がボラクチンを指しているのではないかという説がありますが、ドレゲネではないかという見方もあり、はっきりとは分かっていません。
トマトスープ氏も、「道教の経典を作らせた」というこのわずかな情報から着想を得て、ボラクチンの人物像を膨らませたと語っています。
まさに今回の第8幕では、このボラクチンと道教との関係が物語の重要な要素として使われていました。
さらに本作では、ボラクチンはもともとチンギス・カンの妃であり、彼の死後、その息子であるオゴタイの妃になったという設定になっています。ただし、史料にはそのような記録はありません。
当時のモンゴル社会では、未亡人となった妃を亡き夫の兄弟や息子が妻として迎える「レヴィラート婚(寡婦再婚)」が行われており、実際にモゲはチンギス・カンの妃からオゴタイの妃になっています。
トマトスープ氏は、連載開始後に研究者から「ボラクチンがチンギス・カンの妃だったという記録はない」と指摘されたものの、そこは創作と割り切って現在の設定を維持していることを明かしています。
また作中でも語られていましたが、ボラクチンとオゴタイとの間に子どもがいたという記録も残されていません。
特に男子がいなかったとすれば、将来「大カアンの母」になる可能性は最初から閉ざされていたことになります。その意味では、第一皇后という高い地位にありながら、宮廷内での政治的基盤は意外に弱かったとも想像できます。それが彼女に関する史料が少ない理由の一つなのかもしれません。
つまり史実のボラクチンは、オゴタイの第一皇后だったこと以外、実像がほとんど分からない女性です。
本作では、その歴史上の大きな空白を利用し、「帝国の権力の均衡を保つため、水面下で策を巡らせる老練な政治家」という人格を与えています。
史料が少ないからこそ生まれたキャラクター。そう考えると、ボラクチンは『天幕のジャードゥーガル』という作品ならではの人物と言えるのかもしれません。
イスラームの錬金術と道教の外丹
さて、第8幕は、オゴタイがウイグル人の商人から買い取った品々の中に、シタラがジャービル・ブン・ハイヤーンの著作を発見するところから始まります。
ジャービル・ブン・ハイヤーンは、8世紀後半から9世紀初頭にかけてイスラーム世界で活動したとされ、「アラビア化学の父」とも呼ばれる著名な錬金術師・学者です。
ジャービルの思想としてよく知られているのが、「硫黄・水銀説」です。
金属は原理的な「硫黄」と「水銀」の組み合わせから生まれ、その割合や性質によって金・銀・銅・鉄などの違いが生じると考えました。そして、完全な均衡を実現した金属が「金」であり、その均衡を人工的に作り出せれば、ほかの金属を金へ変えることも可能だと考えたわけです。
一方で、こうした「錬金術」だけではなく、蒸留・昇華・結晶化・ろ過・加熱といった、後の化学実験につながるさまざまな操作も行われました。物質の性質や変化を体系的に理解しようとした点から、後世には「化学の祖」の一人として語られることもあります。
そして、このジャービルの著作が、シタラとボラクチンを引き合わせるきっかけになります。
シタラはボラクチンに、その本には鉱物を熱し、混ぜ合わせることで「アル・イクシール」を作り出す方法が記されていると説明します。
アル・イクシールとは、中世イスラームの錬金術において、卑金属を金や銀などの貴金属へ変化させる力を持つと考えられた特別な物質です。
錬金術師たちは、鉛や銅などにアル・イクシールを加えることで、その性質を「完全な金属」である金へ近づけられると考えました。
アラビア語の「al-iksīr(アル・イクシール)」は、のちにラテン語の「elixir(エリクシール)」となり、現在の英語「elixir(エリクサー)」、つまり霊薬や万能薬を意味する言葉の語源にもなりました。
ただし本来のアル・イクシールは、単純な「不老不死の薬」というより、物質、とりわけ金属を変成させるための錬金術的な媒介物という意味合いが強かったようです。
一方、ボラクチンが第7幕で読んでいた道教の書物に登場するのが、「外丹(がいたん)」です。
外丹とは、鉱物や植物などの物質を調合・加熱し、不老不死をもたらす「丹薬(仙薬)」を作ろうとする古代中国の道教の技術、いわゆる錬丹術です。
材料には辰砂(硫化水銀)、水銀、鉛、硫黄などが使われ、炉や鼎を使って加熱・精製します。丹薬を服用することで身体が浄化され、老化を防ぎ、究極的には不老不死に近づけると信じられていました。
しかし実際には、水銀やヒ素、鉛などの有毒物質を含む丹薬も多く、中毒や死亡事故を引き起こすこともありました。
今回のボラクチンが服用していた「雄黄」もその一つです。

雄黄は主にヒ素の硫化物からなる赤橙色の鉱物で、中国ではその色から「鶏冠石」とも呼ばれています。古くから顔料や薬、呪術、そして道教の錬丹術などに用いられてきました。
ただしヒ素を含む有毒な鉱物であり、長期間摂取すればヒ素中毒を引き起こす危険があります。作中では、ボラクチンが不老不死を求めて雄黄を服用し続けたことで身体を悪くしていました。
道教ではその後、外部の物質から丹を作る「外丹」に対し、呼吸法や瞑想などの修行によって自らの身体の中に「丹」を作ると考える「内丹」が発達し、次第にこちらが重視されるようになっていきました。
こうして見ると、イスラーム世界の錬金術と中国道教の外丹には、かなり似た部分があります。
鉱物を組み合わせ、加熱・精製し、物質を変化させようとするイスラームの錬金術。
鉱物を調合・加熱し、人間の身体そのものを変化させ、不老不死へ近づこうとする道教の外丹。
東西の異なる文化で発達した二つの「錬金術」が、シタラとボラクチンを偶然にも結びつけたのです。
シタラが偶然発見したジャービル・ブン・ハイヤーンの著作と、ボラクチンについて残されている数少ない史料である「道教との関わり」。一見するとまったく別々の歴史的要素を結びつけ、一つの物語として成立させています。
こういうところを見ると、あらためてこの作品の構成力は見事だと思います。
シタラの讒言
さて、シタラは、第一皇后ボラクチンと出会ったことで、彼女を自らの復讐に利用することを思いつきます。
シタラは、モゲから聞いた道教の医者についての話をもとに策を巡らせ、再びボラクチンに謁見します。
そして、自分の知るイスラームの錬金術と道教の外丹がよく似ていることから、ボラクチンが抱えている症状の原因を推測します。
それは、不老不死を求めて服用していた雄黄による中毒でした。
さらにシタラは、イスラーム世界でベゾアール石として解毒に用いられていた「ジャダ石」をボラクチンに服用させます。その結果、ボラクチンは次第に回復していきます。
元気を取り戻したボラクチンは、シタラを呼び寄せ、アル・イクシールについて話を聞きます。
こうしてシタラは、第一皇后であるボラクチンに近づくことに成功しました。
しかし、ここからのシタラの行動はかなり危ういものです。
シタラは以前から、オゴタイとトルイの間に何らかの楔を打ち込もうとしていました。そして、トルイ家が知識や財産を独占しているという話を聞くと、ここぞとばかりに自分がソルコクタニのもとにいたことを明かし、「トルイ家には野望がある」とボラクチンに讒言します。

これには、さすがのボラクチンも驚いた様子でした。そして彼女はシタラに対し、「お前は何者だ」と問いかけます。
突然現れた少女が自分の病を治したかと思えば、今度は帝国屈指の有力者であるトルイ家を告発する。
ボラクチンからすれば、「この娘はいったい何を企んでいるのか」と警戒して当然でしょう。
シタラ本人は、ボラクチンに取り入ることに成功したつもりでいます。しかし、さすがに少し浅はかではないかとも感じました。
相手は、作中でも屈指の老練な政治家として描かれているボラクチンです。おそらく彼女が、シタラの言葉をそのまま信用することはないでしょう。
むしろ今回の讒言によって、シタラ自身が「危険な存在」としてボラクチンの目に留まってしまったようにも思えます。
後世に「魔女」と呼ばれることになるシタラ。もしかすると、この頃からその片鱗を覗かせていたのかもしれません。
モンゴルの乳製品「ウルム」
今回も日常生活の描写で、興味深いものがありました。家畜の乳を煮詰めて乳製品を作る場面で登場した「ウルム」です。
ウルムはモンゴルの伝統的な乳製品の一つで、加熱した乳の表面にできる濃厚な乳脂肪の膜を集めて作ります。

牛やヤクなどの乳をゆっくり加熱し、表面に浮いてきた脂肪分を冷まして固めるもので、見た目や食感は濃厚なクリームに近い食品です。
そのまま食べるほか、パンや揚げ菓子につけたり、砂糖を加えたりして食べることもあります。
遊牧生活では、家畜から得られる乳を余すことなく利用する必要があります。ウルムもまた、貴重な乳脂肪を効率よく利用するために生まれた、モンゴルの乳製品文化を代表する食品の一つです。
こうした何気ない生活描写まで丁寧に描かれているところも、『天幕のジャードゥーガル』の面白さだと思います。
ソルコクタニとネストリウス派の十字架
一方、モンゴル軍は1230年夏、金への親征を開始します。首都開封を攻略するため、オゴタイ、テムゲ、トルイの軍がそれぞれ北・東・南の三方向から進軍していきます。

(第8幕より)
中でもトルイ軍は大きく南へ迂回し、現在の中国・陝西省南部に広がる秦嶺山脈を越えて南宋領へ侵入し、険しい山道を進んで金の背後へ回り込もうとしていました。
そんなトルイの無事を祈るのが、妻のソルコクタニです。
彼女は夫の勝利そのものを疑ってはいません。しかし、それとは別に、あまりにも力を持ちすぎたトルイ家に災いが降りかからないことを願っています。
ここにも、帝国内で急速に強大になっていくトルイ家への不安が描かれていました。
そして、この場面で興味深かったのが、ソルコクタニの天幕に置かれていた大きな十字架です。
ソルコクタニはキリスト教ネストリウス派、いわゆる東方教会の信者として知られています。
天幕に置かれていた十字架は、私たちが一般的に思い浮かべる西欧キリスト教の十字架とは少し形が異なっていました。
ネストリウス派の十字架では、キリストが磔にされた姿を表した磔刑像ではなく、十字架そのものを表した「空の十字架」が多く見られます。
また、四本の腕が比較的同じ長さで、中央から四方向へ広がる形や、腕の先端が花びらのように広がった意匠もあります。
特に中国や中央アジアでは、蓮華の上に十字架を載せた「蓮華十字」と呼ばれる意匠も知られています。
実際にソルコクタニの天幕にある十字架は、蓮華の上に、四本の腕の先端が外側へ広がった形をしています。

作中では特に説明されません。しかし、その十字架を描くだけで、ソルコクタニがネストリウス派のキリスト教徒であることを表現しています。
こうした説明しすぎない歴史的な小道具の使い方も、本作らしいところです。
ボラクチンはドレゲネに何を問うのか
そして物語の最後、ボラクチンはドレゲネを呼び出します。シタラから「トルイ家には野望がある」と聞かされたボラクチンが、ドレゲネから直接話を聞こうとしているのでしょう。
果たしてドレゲネは何を答えるのか。そしてボラクチンは、シタラの言葉をどこまで信用しているのでしょうか。
シタラの謀が早々に露見するようなことになれば、彼女自身の立場も危うくなります。
これまでシタラは、自らの知識と機転によって何度も危機を乗り越えてきました。しかし今回、彼女が相手にしているのは、モンゴル帝国の第一皇后です。
しかも本作のボラクチンは、権力の裏側を知り尽くした老練な策士として描かれています。
シタラはボラクチンの信用を勝ち取ることができるのか。それとも逆に、シタラの方がボラクチンに利用されることになるのか。この二人の関係が今後どう動いていくのか、とても気になります。
次回は第9幕「天(テングリ)」。
帝国内の権力争いにシタラ自身が本格的に足を踏み入れたことで、物語は徐々に不穏な空気が漂い始めました。
次回は、第9幕『天(テングリ)』。それでは、また。