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TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』第6幕「メルゲンの民」感想と考察――滅びゆく民と、受け継がれる復讐の炎

    TVアニメ『天幕のジャードゥーガル』第6幕「メルゲンの民」を見ましたので、今回も感じたことや気づいたこと、興味を引かれた点などをいろいろと語っていきたいと思います。

    第6幕は、放送後から各所で絶賛されている、いわゆる「神回」でした。できるだけ自分なりの視点で書こうとは思いますが、どうしても皆さんが語っていることと重なる部分があるのはご容赦ください。

    圧巻の映像表現

    まず今回、特に印象的だったのが、これまで以上に素晴らしい作画です。それもそのはずで、第6幕では、長くスタジオジブリ作品に携わり、作画監督も務めてきた安藤雅司氏が絵コンテを担当しています。

    そう思って改めて見返してみると、確かに人物や馬の動き、何気ない仕草、画面の奥行きなど、細部まで非常によく動いています。単に「作画がきれい」というだけではありません。人が歩く、馬が走る、弓を引く、衣服が揺れるといった一つ一つの動きに重さがあり、それによってメルキトの人々が本当にそこで生活しているように感じられます。

    特に目を奪われたのが、メルキトの氏族長ダイル・ウスンがカム(巫者)として、メルキト族の将来を精霊に尋ねる場面です。太鼓を叩きながら激しく踊るダイルの姿は圧巻の一言でした。ほかにも挙げればきりがありませんが、さすが長年にわたって数々の名作に携わってきたアニメーターだと、今さらながら感じました。


    ドレゲネと「メルゲンの民」

    物語として描かれたのは、ドレゲネの25年前の記憶でした。

    ナイマン族の娘であった彼女は、メルキト族のダイルのもとへ嫁がされます。彼女にとって結婚とは、自分の意思とは関係なく部族間で取り交わされる取引のようなものでした。

    彼女自身が語っているように、自分は「毛皮や宝石と同じように交換される物」にすぎない。そんな諦めを抱えたまま、年の離れたダイルのもとへ嫁いできます。

    ところがダイルは彼女に無理に触れようとはせず、娘のクランやクルトガンたちとの暮らしの中で、ドレゲネは少しずつ心を開いていきます。

    ダイルたちは、日々戦いに明け暮れながら、頻繁に居住地を移動します。ドレゲネは戸惑いながら暮らす中で、メルキト族が何かから逃げ回っているように感じます。その相手こそモンゴル族のテムジン=チンギス・カンでした。

    メルキト族とモンゴル族は、以前から争いを繰り返していました。作中では「森の民」であるメルキトと、「草原の民」であるモンゴルという違いも強調されています。

    しかし、テムジンの登場によって両者の力関係は大きく崩れ、メルキト族は次第にモンゴル族に追われる立場となっていきます。そしてドレゲネもまた、反モンゴル勢力を結びつけるためにメルキトへ嫁がされたのでした。


    メルキトとモンゴル――世代を超えて続いた因縁

    ここで少しメルキトについて触れておきます。

    メルキト族は12世紀後半、セレンゲ川流域などモンゴル高原北部を中心に活動していた有力な遊牧部族連合でした。複数の集団から構成され、テムジン=チンギス・カンがモンゴル高原を統一していく過程で、長く敵対した勢力の一つです。

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    モンゴル国内を流れるセレンゲ(セレンガ)川 メルキト族はこの川の流域で活動していた ©Google Earth

    両者の因縁はテムジンの父イェスゲイの時代にさかのぼります。

    イェスゲイがメルキトの部族長トクトア・ベキの弟チレドゥの妻ホエルンを奪い、そのホエルンからテムジンが生まれました。そして後年、メルキト側はその報復としてテムジンの妻ボルテを連れ去ります。この襲撃の中心人物として、トクトア・ベキとともに、ダイル・ウスンの名前も挙げられています。

    つまり、両者の争いはテムジンの代に突然始まったものではなく、それ以前から続いていた報復の連鎖でもありました

    ダイルは、メルキト族の一派であるウアス・メルキトの氏族長でした。テムジンと敵対する有力者の一人でしたが、情勢は次第に悪化していきます。

    テムジンは勢力を拡大し、1204年にナイマンを破ったのに続いてメルキトを攻撃。トクトア・ベキの勢力も撃破しました。トクトアは息子たちとともに西方へ逃れますが、ダイルは別の道を選ぶことになります。


    ダイル・ウスンと「カム(巫者)」

    モンゴル軍に追い詰められたダイルは、戦い続けるべきか、それとも服属すべきかという決断を迫られます。

    ここで描かれたのが、第6幕最大の見どころともいえる、ダイルがカム(巫者)としてメルキト族の行く末を精霊に尋ねる場面です。12~13世紀のモンゴル高原に存在したシャーマン的な祭祀をもとにした描写と思われます。

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    カム(巫者)の儀式を行うダイル・ウスン(第6幕より)
    ©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

    ただし、ダイル自身が実際にそのような宗教者だったことを直接示す史料があるわけではありません。本作では、部族の政治的指導者であるダイルに宗教的指導者としての役割も持たせることで、彼が「メルキトという民そのものを背負っている人物」であることを強く印象づけています。

    「カム(巫者)」とは、現在でいうシャーマンに相当する宗教者を指す言葉です。当時のモンゴル高原では単なる占い師ではなく、人間と天、祖先、自然界の霊との仲介者として重要な役割を担っていました。

    祖先霊や守護霊、土地や自然に関わる霊的存在を呼び出し、人々の願いを伝えたり、戦いの吉凶や将来、災いの原因などを尋ねたりしました。本作でも、ダイルはメルキト族の将来を「精霊に尋ねる」と語っています。

    そしてシャーマン的儀礼を象徴する道具の一つが太鼓です。

    太鼓は単なる伴奏楽器ではなく、霊を招き、宗教者を通常とは異なる意識状態へ導くための重要な道具でした。内陸アジアやシベリアのシャーマニズムでは、太鼓が霊界を旅するための「馬」にたとえられる例も知られています。

    一定のリズムで太鼓を打ち、歌や祈りを繰り返しながら身体を動かすことでトランス状態に入り、霊の声を聞いたり、神託を得たりする。ダイルが狂ったように太鼓を打ち鳴らし、踊り続ける場面も、こうしたシャーマン的儀礼を意識した演出なのでしょう。

    また、儀式の目的は将来を占うことだけではありません。病気の治療や悪霊払い、氏族や家族の安全、家畜の繁殖、雨や雪といった自然現象、遠征や旅の安全など、遊牧生活に密接に関わるさまざまな願いが込められていました。現代でいう「宗教」「占い」「祈願」「治療」が、まだ明確に分かれていなかったともいえます。

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    13世紀のカム(巫者)の姿をAIで再現

    そして彼が精霊から得た答えは、メルキトが勝つ未来ではありませんでした。

    族長として最後まで戦って死ぬことは、ある意味では簡単だったのかもしれません。しかし彼は、自分が屈辱を受けても、娘を差し出してでも、一族を生き残らせようとしました。

    ダイルが格好よく見えるのは、強いからではなく、自分の誇りよりも民の未来を優先したからなのだと思います。


    クランを差し出したダイル・ウスン

    ダイルは娘クランを伴ってチンギス・カンのもとへ出頭し、服属の意思を示します。当時の草原社会では、婚姻は政治的な意味を強く持っていました。服属した部族の女性が支配者側の妃となり、男たちは軍事力として取り込まれていくことで、チンギス・カンは勢力を拡大していきました。

    作中では、ダイルは娘のクランを差し出したあと、反乱を起こし、オゴタイに討伐されたことになっています。この部分は史料にある事実をつなぎ合わせて類推した創作と思われます。

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    モンゴル軍に向かって矢を射るダイル・ウスンたち(第6幕より)
    ©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

    『元朝秘史』は、「以前に服属したメルキトが、後方の本営で再び反乱した」と記しています。彼らは本営に残されていたモンゴル側の兵士によって鎮圧されます。この反乱はウアス・メルキトの反乱だったとされています。史料にはダイルの名前は出てきませんが、反乱の首謀者だった可能性は高くなります。

    そして、このころを境に史料からダイルの名が見られなくなります。このことから、反乱の中で死亡したのではないかとも考えられます。同時にオゴタイの軍がダイルを討ったと記されているわけではありません。

    つまり、ここでの描写は、これらの史実を下敷きにして、ダイル・ウスンの最期を「オゴタイに討たれた」と補完して創作したものと考えられます。


    クルトガン――メルゲンの誇り

    そしてもう一人、忘れてはいけないのがクルトガンです。西方へ逃れたトクトア・ベキの息子の一人であり、史料では「クルトガン・メルゲン」と記されています。つまりクルトガンは、「弓の名手」であったということです。

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    矢を射るクルトガン(第6幕より)
    ©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

    彼は父トクトア・ベキとともに西方へ逃れますが、その父も1208年に戦死。その後もモンゴルへの抵抗を続けましたが、1216年にはジョチによって捕らえられ、処刑されました。

    その際、クルトガンが優れた弓の使い手だったため、ジュチはその才能と若さを惜しみ、チンギス・カンに「この男を助命してほしい」と願い出たと伝えられています。本作ではこのあたりの史実をうまく作品の描写に落とし込んでいます。


    クランからドレゲネ、そしてシタラへ

    チンギス・カンに差し出されたクランは彼の妃となります。作中ではクランは、ダイルからメルキトが生き残るために、お前をチンギス・カンのもとへに差し出すと言われた際に、「メルキトは弓の名手、メルゲンの民の娘が狼を仕留めてご覧に入れます。」と言って、モンゴルに対する抵抗の意思を示しています。

    クランはチンギス・カンから寵愛を受けていたとされ、男子も一人もうけています。彼女がその後どのような生涯を送ったのか、詳しいことは分かりませんが、第二オルドの主となり、多数の配下を持っていたこと、さらにチンギス・カンのホラズム・シャー朝遠征にも同行したことが伝えられています。

    ここで、本作の物語と歴史が皮肉な形でつながってきます。このクランも同行したチンギス・カンの征西によって、トゥースの街は破壊されたのです。

    シタラは主であるファーティマやズムッルド、アニースをはじめ、自分にとって大切だったものをすべて失います。

    故郷メルキトをモンゴルに滅ぼされたクランがチンギス・カンの妃となり、その遠征によって今度は遠く離れた土地でシタラがすべてを失う。

    誰かの悲劇が別の場所の悲劇へつながっていく。このような歴史の皮肉を描いているところにも『天幕のジャードゥーガル』という作品の凄さと恐ろしさを感じます。

    そして第6幕の最後、ドレゲネは、父ダイルが殺されたことを知った時のクランの笑みを思い出します。モンゴルに隷属しても自らの役割は決して忘れない。ドレゲネは、そんなクランの思いをシタラの笑みに重ねています。

    ドレゲネは、このモンゴルをめちゃくちゃにする嵐を待っていると言います。そしてシタラに「あなたは何者なの」と問います。

    その言葉を聞いて、シタラは自らの正体を明かし、ドレゲネの手にジャダ石を握らせます。

    「知恵がございます。私は貴方様のジャダ石となりましょう。どうか力をお貸し下さい。二人でなら嵐も起こせましょう」

    第6幕より
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    「二人でなら嵐も起こせましょう」(第6幕より)
    ©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

    クラン、ドレゲネ、シタラ。

    異なる場所に生まれ、異なる人生を歩んできた三人ですが、モンゴルによって人生を大きく変えられたという点でつながっています。三人の思いを「笑み」によってつなぎ合わせていく。このあたりの演出はとても巧みだと思います。

    この物語では、男たちによる民族の興亡や戦争が大きな背景として描かれています。しかし物語の中心にいるのは、その歴史に翻弄されながらも生き抜こうとする女たちです。

    モンゴル社会における女性たちの地位の高さや強さ、そして女性同士のつながり、いわゆるシスターフッドを描きながら、その先にある宮廷での政治的な暗闘へ物語がつながっていきます。

    こうした女性たちの強さを、単純に勇ましく描くのではなく、表情や仕草、関係性の中から描いていくところは、山田尚子総監督の真骨頂だと思います。


    ラストの「赤い空」は本当に存在する

    最後に少し驚いたのですが、下記の「風の旅行社」という旅行会社のホームページをご覧ください。モンゴルの夜空に広がる真っ赤なオーロラが撮影されています。

    普段はモンゴルではオーロラを見ることはできませんが、太陽風が非常に強い大磁気嵐の時だけ、空が赤紫や緑色に染まる「低緯度オーロラ」が観測されるそうです。

    まさに、第6幕のラストシーンで描写された赤いオーロラそのままです。こういう細かなところまで、モンゴルという大地の自然を意識しているのだとすれば、本作の演出には改めて驚かされます。

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    オーロラを見つめるドレゲネ(第6幕より)
    ©トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

    以上、第6幕を見て感じたこと、気づいたことをいろいろと記してきました。文章力不足で、この「神回」の素晴らしさをどこまで表現できたのか自信はありませんが、いかがだったでしょうか。

    今回はドレゲネの過去を描きながら、メルキトとモンゴルの長い因縁、そしてクランからドレゲネ、シタラへとつながっていく思いが描かれた一話でした。

    そして最後の「二人でなら嵐も起こせましょう」という言葉によって、これからシタラとドレゲネがどのようにモンゴル帝国の中で動いていくのか、ますます楽しみになってきました。

    次回は第7幕「兄弟」。それでは、また。

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    Rera

     
     
    関西在住のしがないおっさんです。アニメを見るのが趣味ですが、地理オタクでもありスポーツや鉄道にも興味があります。noteをはじめたのは、自分の考えていることを書き留めておきたいと思ったからですが、当面はアニメのことを中心に書いていきたいと思っています。

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