真っ直ぐに信じる〜推しの生き方から想う事〜
今、目の前に一枚のフライヤーがある。
(フライヤーとは一枚の用紙に印刷された広告、告知の事を指し、主に観劇、ライブ等で観客に配られるチラシの事)
それは、趣味としているライブ鑑賞に出向いた時に配られたセットリストなどが記されたフライヤーで、私の胸を打ったのは、裏面にある演者自ら綴られた長文の文章でした。
その方は日本各地でのライブを主な活動とされ2025年から豪州へ遠征、海外へと活動の場を広げ、この記事を書いている今現在(2026年4月12日)豪州でライブ活動をされています。
そのフライヤーの文章の中のくだりで、今回の渡豪にあたり事前に起きたトラブルに対して、見返りもなく自分の為に動き回ってくれる現地の仲間達が、
『マイプレジャー』(どういたしまして、喜んで、の意)
と、笑顔で一言付け加えながら言う、との一節がある。それに対してご本人がこう思う。
『なんなんだ、みんな優しさの塊かよ。』と。
そして、昨年の渡豪の際に現地でヘイトされることも無く、会う人皆親切にしてくれ、新しい仲間がどんどん増えてゆく事に対して、
『もうちょっと人を真っ直ぐに信じてみても良いのかなって思ったよね』
という一節にドキっとする。
最近の自らのテーマと言える、"笑顔" "信じる"と言うワード。
人を信じる、と言うのは幼少期の頃から過緊張で過ごしてきたAC(アダルトチルドレン)にとって自然に出来ない事の一つです。
様々な要因から警戒心を持って人と接する事が日常だったからです。それは無意識となって染みついた生きづらさの一つであり、思考のクセです。
それらを立て直し、生きづらさを解放しなければ自分の人生を生きる事は叶いません。
人を信じる真っ直ぐな心は、すぐには身に付かず、過去を遡り自分に起きた出来事を見つめ直す事から始まります。
湧き上がる様々な感情、恐怖、喜び、哀しみ、楽しさ、それらを受け入れて初めて、
"人を信じると言う行為"
の入り口に立つ事が出来ます。
想像が及ばない大変さ、又は、嬉しさを、今現在も味わっている最中であると思われる、推し。
全力のパフォーマンスと、フロンティア精神を持って手練のアコーディオン奏者と、世界へ飛び込み不屈の人生を歩んでいる姿から、生きると言う事のメッセージをいただきました。
同列に語るのは僭越と言えるのでしょうが、いばらの道を歩んでいる事に、勝手ながらシンクロし、感化され、真っ直ぐに人を信じる事の思想に行き着きました。
自分にとって、生きづらさを解放してゆく事とは、肯定的に世の中を見回してみると気付いてゆく、至る所に溢れている優しさを糧として、社会に自らの育て直しをして貰う事だと考えます。
優しさを受け取り、自分で自分を愛情で満たし自分自身で育て直す事、だと。
不完全で弱いのならば、
転んだのならば、
ゆっくりと誰かのチカラを借りて立ち上がれば良いのだと。
それが、社会に育て直しをして貰う、と言う事だと学び、これからもそれを続けてゆこう、そう思っています。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
なっちゃん
✱引用を快諾して下さいました【蜂鳥あみ太=4号】様。この場を借りて感謝と共にお礼を記します。ありがとうございました!
