メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byru_chan999

人間は「善」か「悪」かーー性悪説は超ポジティブな言葉だった?!

    cocö /猫耳の哲学オタク

    【性悪説】
    「人間の本性は生まれながらにして悪である」

    【性善説】
    「人間の本性は生まれながらに善である」

    皆さんはどちらの考えに近いでしょうか?
    私はずっと、完全に性善説派だった。

    なぜなら、人はみんな最初は純粋無垢な赤ちゃんだから。
    生まれたばかりの存在に「悪」なんてあるはずがない。
    成長の中で悪事を働く人もいるけれど、それでも誰だって一度は良い行いをしている。だから、生まれながらに悪だなんて思えなかった。

    そう、つい最近までは。


    人間は「悪」であると確信した

    あるとき、私は気づいた。
    「人間は生まれながらに悪である」という思想こそが、むしろ救いにつながるのだと。

    たとえば私たちは、食べ物に対して「感謝しましょう」と教えられる。
    いただきます、命をありがとう、と。

    けれど考えてみてください。
    牛や豚や鶏や魚は、人間のために生まれ、人間のために殺され、食料とされ、時には捨てられていく。
    私たちはその事実に、どこまで本気で罪悪感を抱けているのか。

    命をいただくことを否定しているのではない。
    ただ、私たちはその存在から恨まれ、裁かれたとしても文句が言えないほどのことをしているーーこれが事実だ。
    しかし、私達は罪悪感をほんの少し抱く程度で済ませてしまっているのではないか。

    「誰かの命を奪わなければ、生きられない」
    この宿命そのものが、人間を「悪」たらしめている。
    それが性悪説の視点なのだ。


    2500年続く論争に終止符を

    では、そんな「極悪」を背負う私たちは、絶望しかないのか。
    いや、むしろ逆である。

    こんな極悪非道な私が、それでも今日も生きていられる。
    その事実に気づくと、不思議なほど感謝が湧いてくる。

    命を奪いながらも、奪われずに生かされている。
    食べられるものがあり、服を着られ、家に住めて、学ぶことまでできる。

    こんなに罪深い存在であるにもかかわらず、ここまで与えられているなんて――この事実を前にすれば、人生は「不足」ではなく、ただただ「恩恵」なのだと気づく。


    性悪説こそが救いの思想

    私は、性悪説こそが救いの思想だと確信している。
    なぜならそれは、人間を裁くための思想ではなく、
    「悪である私たちが、それでもなお生かされている」という現実を示してくれるから。

    だからこそ、私は感謝するしかない。
    生きているこの瞬間が、すでに贅沢すぎる奇跡なのだから。


     
     
     
    モヤモヤを哲学でひっくり返す🐈‍⬛ 猫耳の思考実験室へようこそ。 "どうでもいいこと"を本気で考えています。 🐾 哲学 × 日常 🐾 哲学 × 雑学 🐾 哲学 × 解説 むずかしい哲学は扱いません。 猫耳の哲学者が、今日も思考中。

    あなたへのおすすめ