ギャップのギャップ ベトナム紀行
ベトナム旅を終えてもう2週間が経つ。日本に戻って思うのは「この旅を消費してしまったのでは」という感覚。
今残っているのはフォーが美味かったということと、風俗に行ったこと。
そもそも4日間で何がわかるんだ、何が変わるんだと開き直ってしまう自分もたまに現れるが、単なるレジャーとして消化したくない気持ちの方が強いので、書く。
今回はe-SIMを買わずに、地球の歩き方と一緒に旅をした。よりアドベンチャーな体験にするために。
結論、これはただ普通に楽しかった。地図を読んで、人に聞いて、道に何度も迷って、アドベンチャー味は増した。おすすめしたい。
しかしこの本、表紙にでかでかと「ベトナム」(感覚としては「ベトナムゥ!!!」)と書いてあるので別の小説のブックカバーを外して無理やりこの主張を隠した。周りの人、特に日本人にこれをみられた時、すごく恥ずかしいと思った。どこに行っても、この自意識過剰具合は治らない。
寝台列車とバスに乗ってサパという田舎町に行った。棚田と少数民族で有名な場所。
寝台列車内では、ベトナム人同士が雑に会話をしていた。「靴とって」「おけおけ」と。こんな感じの会話はベトナムの至る所で見られた。しかも毎回、怒ってんのかってくらい勢いがすごい。これが心地よかった。
朝、サパについた。思ったよりも観光地で興ざめした。
棚田があって少数民族がいるのは市街地からずっと離れたところなので期待をこめて市街地を出た。
まずは一番有名なカットカット村。論外。大量の欧米人と中国人をかき分けて脱出した。
さらに奥に進むと観光客はパッといなくなり、一気に目の前は田んぼ一色になった。
植えてから間もない稲の真緑。日本のよりずっと細いあぜ道。泥まみれのおばあちゃん。風に揺られる稲の音を聞きながらとぼとぼ歩く。崖からは壮大な棚田。
しばらく歩いていると、民族おばあちゃんが声をかけてきた。
「家が奥の村にあるからガイドするよ」と。
声をかけてくるやつは怪しいと決め込んでいたので最初は躊躇したが、こんなところに住んでいる人と歩くのも悪くないと思い、連いて行く事にした。
おばあちゃんが英語をあんなに喋れた事には驚いた。後日ハノイのバー店主に、それについて聞いたところ、サパの民族は自分たちの染め物や編み物を主に観光客に売るために小さい頃から英語を勉強させられるのだという。私もこのおばあちゃんから手拭いを買った。
おばあちゃんと2時間くらい歩いた。
道中、電柱らしきものを自分で修理するおっちゃん、小屋を立てる青年たち、無邪気に遊ぶ子供、そして無限に広がる棚田を脳に焼き付けた。
ここで生まれ、ここで育ち、ここで死ぬ。言語化できないそこへの惜しさと羨ましさがある。
この感覚はモンゴルの草原でもあった。
しかし、今回違うのは、カネや情報といった資本がすぐ近くにあるということ。
なんでここで暮らし続けるんだろう。伝統を守りたい?守るしか選択肢がない?資本に興味がない?この土地で幸せ?
おそらくだが、これといった意味はないのだろう。
日本の自分は強欲な類なのだなと思う。
おばあちゃんの素晴らしいガイドと共に奥の奥の村に到着し、バイクで市街地に戻った。
もうこの地でやることはやったと確信し、次の日の昼にはハノイ行きのバスに乗った。
後はハノイを楽しんで、日本に帰った。
旅の途中、「なんで旅をするのか」でずっと考え込んだ。今回で3回目の海外旅。
バックパッカーという割に金を使いすぎているし、滞在期間は少ない。そもそもバックパッカーってなんなん。バックパッカーを目指して何になるんだよ。
日本にいても楽しい。孤独じゃない。なのになんで外に行く?
日本に帰ってからは、忙しい。学校、バイト、インターン、、、、
その中で最近自分は他人の目を気にしすぎている、と思う。多分、みんながやっているのと同じくらい気を遣って、仮面を脱ぎ剥ぎしている。特に自分がそう、というわけでもなく。
でも旅の後はそれで大きく悩むようになる。
今回はすごい。
おそらくだが、ベトナムの人目を気にしない、あの勢いのある姿勢にどっぷり浸かったことによるひずみじゃないかと思う。
ギャップのギャップ。
何を言ったら相手が喜ぶ?この店の働き方とは?この人には失礼のないようにしなくては。
当たり前のようにやっているこれらのことが、ギュンと自分を刺してくる。
そこで、自分は自分らしさが失われているのでないか、そもそも自分らしさとは、に派生する。
自分らしい喋り方、自分らしい作品、自分らしい働き方、
自分らしさなんて無いよ、特に若い頃は。とみんな分かっているのに求められる現実。
ベトナムでわけもなく彷徨って写真を撮っている自分と、日本で生活を営む自分は一体どっちがよりホンモノなの?
こう悩んでいる末にやっていることが全て自分らしいことなのだろうか。
答えは到底見つかりっこない。ずっと空虚でありつづける。だけど求め続ける。
なぜ旅をするのか、に対してアンサーを与えることはナンセンス。今回それを確信した。
だから旅はやめられない。
