
教育の最適化
パンフレットをペラペラとめくりながら、齋藤ママはこう尋ねた。
「うちの子は、将来医者になりたいと言っているんです。とはいえね、医者以外の選択肢だって世の中にはあるわけじゃないですか。医者になることに最適化されたコースを取ることに、私は疑問を抱いていまして。親のこういう懸念を考慮したコースってあるんですか?」
塾講師の前田は、脱毛でつるんとした顎を撫でながら、内心で「注文が多い親だな」と思いつつ、最大限の商業スマイルでこう返した。
「そうですね。当塾では複数のコースを受講することも認められています。医学部特進コースを受けながら、例えばイキイキ自然コースでサバイバル技術を磨いている子もいますよ。」
齋藤パパは、しばらく天井を見上げた後で、その風貌から想像されるより高い声で言う。
「これって、複数コース取ったら、時間割が被りますよね。その場合どうするんですか?」
「その場合は、お子さんの個性に合わせて、どちらの授業に出るか選択していただくことになります。」
「なるほど。例えば医学部特進コースを通常の半分しか出席しなかったとして、払う値段は半分でいいんですか?」
いいわけ無いだろ、と口に出そうになるのを堪えつつ、前田は答える。
「いえ、基本的には複数コースを受講される場合、全てのコース分のご料金をいただくことになります。」
「うーん。うちの予算的に、それだと複数コースはちょっと厳しいかなあ」
そう言いながら、齋藤パパはママに軽く目配せをした。
これは、他所の塾の方がいいかもね、の無言の合図だ。前田は何度も見てきたからわかる。差し詰め、ペネッケあたりの塾と比較しているのであろう。ペネッケは柔軟に時間割を変更でき、料金もそれに応じて流動的に変わる仕組みを採用している。
とはいえ、前田から言わせればそれは消費者を騙すような仕組みだ。ペネッケはコース毎に講師を固定していない。つまり、同じ講師が、海外大学向けの課外活動指南と、難関国公立向けの数学講座を受け持ったりしているのである。
まあ、柔軟な時間割を実現するにはそれしか無いだろうが、それで「その道のプロが教える◯◯専門コース」などと宣伝するのは詐欺では無いかと思う。
前田は、「この貧乏親子が!」と毒突く心を抑えて、これからどうすべきかを考えた。
複数コースを取っている客からは、複数コース分の金を取る。これを動かすことはできない。
齋藤ママの、色々な経験をさせたいという思いも変わらないだろう。あのタイプの服装で考え方が柔軟なわけが無い。
であれば、予算を増やしてもらうしかない。
あの手を使うか…少々、良心の呵責を感じるが…
それでも、前田には契約を成立させなければいけない理由があった。本部の人事制度改革によって、塾講師の評価基準が変わったのだ。
これまでは進学実績が大きな評価軸だったが、今年度からは入塾者数と選択コースも評価に加わることになった。
今までは専門のマーケティングチームや営業がこの部分を担当していたが、これからは塾講師も今まで以上に数字を追わなければならない。
なぜこうなったのか、本部の意向はわかる。低価格ローカルAIの性能向上によって、授業だけを専門でやる講師という仕事の価値は年々下がっている。(と、少なくとも本部の連中は考えている。人間にしか発揮できない価値はまだ沢山あるのだが、コンサルの傀儡達にはそれがわからない。)
「社員一人一人が、自分の仕事の社会貢献度を実感するための制度改定です」と社長は言っていたが、これは建前だろう。実際は、価値の下がった講師という組織のお荷物を切り離すために、不慣れな仕事を押し付けて嫌がらせしているのだ。
希望退職者を募ったり、リストラして訴訟のリスクを抱えなくても、こうやって人員を削減できる。
前田はこの本部の意向を知りつつも、その通りになってたまるかと怒っていた。
この齋藤親子は、押せば後一歩のところまで来ている。多少無理をしてでも契約までこじつけたい。
「齋藤さん、教育ローンをお組みになってはいかがですか?はっきり申し上げて、当塾はコースのクオリティに圧倒的な自信を持っています。他塾ではより柔軟性のあるコース組みができるかもしれませんが、それは授業のクオリティの低さの裏返しでもあります。」
他社を下げるのはリスキーな言い回しだが、仕方が無い。遠回しな言い方では他に移る決心を固めてしまう。前田はさらに畳み掛けた。
「当塾の進学率、並びに就職率、生涯年収の中央値は他社を圧倒しています。ここはリスクを負ってでも、決断するべきだと、一人の教育者として思います。」
齋藤ママは前田の熱に胸を突き動かされたようで、パパに、やっぱりここにしようかしら、のアイコンタクトをした。
齋藤パパは口をせり上げてほうれい線を深くしながら、頭をポリポリと掻いて、しょぼくれた声で前田に答えた。
「いやぁ…まあそうしたいところですが、うちはローンを組める程の与信が無いんです…」
前田はこのことを承知していた。そんなことは、親のステータスを見ればわかる。重要なのは、この場の論点が「予算の問題」にすり替わったことだ。前田は良い流れを壊さぬように慎重に続ける。
「ご両親だけではなくて、お子さんの与信も使ってはいかがでしょうか?」
齋藤パパママは、驚いたような顔をしたと同時に、不安の色をあらわにした。
「子供に借金をさせる、ということですか?流石にそれはちょっと…」
「借金と聞くと身構えてしまうかもしれませんが、言ってしまえば投資です。それもかなり割の良い。お子さんの年収が平均の倍以上になれば簡単に返せますし、その目算は高い。なので、銀行もなかなか良い金利で貸してくれますよ。子供が働きに出るまでは返済を待ってくれますしね。」
前田が詰める間、齋藤ママはモジモジとしながらパパをチラチラと見ていた。これは、既に判断を諦めた振る舞いだ。後はパパさえ落ちれば良い。
「ちなみにですがお父さん、変動金利と固定金利だったらどちらがいいですか?固定金利の方が支払いが安定して安心ですよ。」
「ん、ああ…そうなんですか…でしたら、固定金利がいいですね…」
勝った、と前田は思った。ずっと思っていたがこの父親は気が弱い。この流れのまま、明確な合意を取らずに具体的な詳細を決めてしまって、もう引き返せない空気感を出せば確実に落ちる。
「そうですか!ちなみに何年ローンがいいですか?月々のご負担を考えると、45年がおすすめですよ!」
「その条件で返済シミュレーションをしてみましょうか。」
「息子さんの遺伝スコアはAと良好ですし、ご両親のお仕事もご立派です。諸々の条件踏まえて生涯年収を計算すれば20億を超えます。うちと取引のある良い銀行がありますので、そちらでお話を聞いてみてはいかがでしょうか?」
結果として、齋藤親子は前田の提案に乗り、銀行とのアポを取った。
………
「では、医学部特進コースと海外羽ばたきコース、マルチクリエイター育成コースをセットでご購入、ここに今回のキャンペーン割引を加えて、総額1億2000万円になります。引き落としが完了次第、連絡させていただきます。」
「ええ。わかりました。うちの逅依斗を、よろしくお願いします。」
齋藤パパママは深々とお辞儀をした。
「ほら、逅依斗も!」
逅依斗はキョロキョロと落ち着きなく周囲を見まわしながら、ママの手に押されるままに頭を下げた。
「かっこいいバッジだね!」
前田は逅依斗のキャップに付いているバッジを指して褒めた。
「5さいのたんじょうびでもらったの!」
逅依斗はニコニコと笑って恥ずかしそうにしている。
彼はこれから、4000万円の借金を背負って生きていく。
達研塾の難関大学進学率は驚異の99%、卒業生の年収中央値は8000万円を超える。高々4000万円の借金など、利子を含めたとて返すのは造作も無いことだ。齋藤親子は賢い選択をしたと言える。
18歳時点で行われる「卒業テスト」に合格すれば、逅依斗の未来は明るいだろう。仮に落ちても心配無用。達研塾には、卒業テスト対策コースもある。留年してそのコースを受ければ良い。各種統計から排除されながらも必死に頑張っている先輩方が沢山いて、優しく迎えてくれるので、安心である。