
恋愛迷子だった私が、出会って2日のモンゴル人とお付き合いを決めたわけ
「ずっと一緒にいたいって思う人は、
出会ってすぐにわかるもんだよ」
恋愛指南書だったり、幸せなパートナーシップを築いている人は、得てしてそんなことをいう。
ずっと「そんなことを言われても、なんだかピンとこないなあ」と思っていた。
だって私には、いつまでたってもそんな人が現れなかったから。
ただ、今の彼と出会ったとき、その言葉が腑に落ちた。
あ、この人とずっと一緒にいたい。
すぐにそう心から思えたのだ。
誰かと共に歩む自信がなかった
40歳を超えても私は、誰かと共に歩む人生を選ばずに生きてきた。
そういうとかっこよく聞こえるけど、実態はそんなことない。
一生一人でいようと決めていたわけでも、結婚したくないと思っていたわけでも、逆にどうしてもしたいと思ったこともなかった。社会の荒波の中でキャリアを築き、責任を全うし、気づけば年齢を重ねていた、というだけだ。
あなたは心に正直なだけだよって言われたけど、そうなのかもしれない。
なんで結婚しないのと聞かれても、「なんでかなあ」としか言いようもなかった。
もちろん「ずっと一緒にいよう」と誓い合うチャンスは、この人生の中でも何度かあった。多分誰もが羨むような類の人と付き合ったこともあるし、そのまま続けていても良かったのだろう。
でも、結果的にそうならなかった。
誰かと「この先ずっと一緒にいよう」なんていう約束は苦手だし、したくないし、自信もなかった。
自分のことで精一杯だったのかもしれない。
人と築く関係性への理想が、高すぎたのかもしれない。

平凡で幸せな家庭で育った
子どもの頃、私は何不自由なく平和に育った。
家族は、おじいちゃんとおばあちゃん、お父さんとお母さん、私と弟の6人。
ちなみに、おじいちゃんもお父さんも、この数年で立て続けに亡くなってしまった。
彼らがいなくなることは、私にとっては当然、とても悲しいことだった。と同時に、2人の人生の終わりに立ち会った時、私は同じことを感じた。
「ああこの人達は、心から愛した人と生きた人生だったんだろうな」
そう心から思ったのだ。

一級建築士のおじいちゃんと、公務員で教員のお父さん。
2人は寡黙だけど真面目に働き、信頼される仕事人だった。そして家族を大切にした。
家のご飯が好きで、ほとんど家でご飯を食べるような人達。
旅行や遊びなど、たくさんの体験をさせてくれ、記念日は必ず家族でお祝いをした。
生活には何も不自由がなかった。
彼らから愛されていることを、私は一度も疑ったことがない。
おじいちゃんはおばあちゃんが好き。
お父さんはお母さんが好き。
それも私にとっては、当たり前のことだった。
お父さんはよく「お母さんは最高の女性だ」というようなことを恥ずかしげもなく口にし、私が暴言をはけば「俺の愛している女に失礼なことを言うな」と言った。
おじいちゃんは健康維持のために、おばあちゃんと毎朝ランニングやウォーキングをしていた。40代前半で脳梗塞で生死をさまよった妻のために。40年もの間、休みなくずっとだ。
何より夫の前で、妻たちはおそらく誰の前よりも自然体だった。
平凡はつまらないと思っていた
ただ、大人になるにつれ、私はこう思うようになった。
「平凡で平和なのはいいけど、その人生は面白みがない」
若い頃はもっと自分に自信がなく、何者かになりたいと焦っていたからだろうか。
付き合うなら、頭が良くて、仕事に情熱があり、自信があって、圧倒的に私が尊敬できる人がいい!
大学時代から付き合った彼氏と別れてからは、無意識にそんな人ばかり追い求めた。京大卒の投資銀行マンや研究者…いずれも仕事に誇りと情熱を捧げる人達。付き合うのに刺激的ではあったけど、いずれもすれ違い、うまくいかなくなった。
「どうやって、人を好きになるんだっけ…」
出会いはそれなりにあったから、この人好きになれそうかもと思ってみても、最後の一歩が進まない。発展しない。
今思えば、なんであんな人がいいと思ってしまったんだろう?という人に、心が動かされた時もあった。
私のなにかがいけないのかな…
この3年くらい、自分の感情がよくわからなくなっていた。

人生を変える、大きな変化
2024年5月。96歳でおじいちゃんが亡くなった。
最期は在宅医療で、自宅で亡くなりたいとの希望があったおじいちゃん。私も実家に戻り、一緒に過ごした。もう治る見込みはなくて、ただ静かに死にむかっていく毎日。
そういえば、お父さんの時もそうだったなあ。2人とも、わめくことも嘆くこともなく、ただ淡々と、終わりゆく人生に向かっていた。
寝ている様子を見にいくと、弱まっていく意識の中でも、おじいちゃんはずっとこう言っていた。
「おばあちゃんを大切にしてくれな」
「高いものをとるとき、おばあちゃんを手伝ってやってな」
それは、祈りに近かった。
そんなこと心配しなくていいよ。
何度も言わなくたって、わかってるよ。
おじいちゃんはおばあちゃんに「ありがとう」と涙を浮かべ、この世から去っていった。
私は、結婚76年の夫婦の、2人にしかわからない絆を見せつけられた気がした。

それからしばらくして友人にこういわれることがあった。
「あなたって、圧倒的に尊敬できる人をいい男って思ってるでしょ?確かにそういう人は魅力的だし、女性にもモテると思うよ。でも、あなたのお父さんやおじいちゃんみたいな愛し方ができる人が、本当のいい男なんじゃないの?」
そんなこと、考えたこともなかった。でもそう言われて、それから何日もその言葉を反芻した。
そして気づいた。
ああそうか。そうかもしれない。
私が平凡で面白みがないと思っていたもの。
それこそが、本当はすごく価値があって、かっこいいものだったのかもしれない、って。
彼らは心から愛する人と人生を歩んだ。
その幸福感は、どんなに地位や名誉を手にしたって、お金を手にしたって、得られるものではないよね。
そして最期は、その人に見守られ死んでいった。
すごいじゃん。
お父さんも、おじいちゃんも、かっこいいじゃん。
私は、そんな愛し方をする男性がそばにいて、ずっと大切にされてきたんだ。
私は、当たり前のように愛され、大切に思い合えるパートナーシップをちゃんと知っている。
なんだか視界が開けていくようだった。
そこからは、男性への見方が変わった。
いいと思っていたものを逆に全くいいと思わなくなったり、注目していなかった男性の素敵な部分に目が行くようになった。
どんなに魅力的でも、1番身近なパートナーに平気で嘘をつき続けたり、大切なところでごまかしたり、敬意のない男性だってたくさんいる。
一見目立たなくたって、静かに愛を育める素敵な男性も、同じようにたくさんいる。
自分がかっこいいと思うものの定義が変わった。
ううん、むしろ、思い出したんだ。

そこから程なくして、今の彼に出会った。
嘘みたいな話だけれど、出会ってすぐに「彼がいい」と思った。
普通に考えたら、出会いは特殊な環境だった。
そして相手は私よりも10歳以上も年下だ。
モンゴルで観光業に従事する彼。私が無意識に追い求めてきた、キラキラしたわかりやすいスペックなんて別にない。
でも、私は彼の人間性にただ惹かれた。
過酷な環境を生き抜いてきたたくましさ。好奇心を忘れずに努力してきた強さ。家族や人への愛の深さ。そして自然を愛する心。
それがたたずまいや表情にすべて滲み出ているような人だった。
出会ってたった2日で、私達は付き合うことになった。
きっといままでの私だったら、見過ごしていたかもしれない。もっと頭で考えて、関係を先にすすめなかったかもしれない。
私は彼と出会った時、頭を空っぽにしていた。ただ一緒に過ごす喜びや楽しさを感じ、何時間も語り合った。笑って、自然に感動して、ご飯を美味しく味わっていた。
ただただ私が、無邪気で自然体でいただけ。
最初からそんな私でいさせてくれる人だった。

今も毎日、彼はいい男だなあとしみじみ思っている。彼はこれからもどんどん、深みをましていくだろう。
何より彼は愛することに、本当に誠実だ。私を傷つけるようなことを絶対にしないと決めているし、私を宝物のように大事に思ってくれている。心の底から、やさしい人だ。
片道5時間の遠距離恋愛。それでも私は、愛されていることに何の不安もない。
当たり前のように愛され、大切に思い合えるパートナーシップ。
この先どうなるかなんてわからないし、一緒に生きていくためには困難がたくさんあるだろう。嫌なところだってもっと見えてくるだろう。
それでも彼は私にとって、なにより大切にしたい人であり、宝物だ。
今この瞬間、心からそう思える人に出会えた私の人生は、それだけでもう、素晴らしい。

「ずっと一緒にいたいって思う人は、
出会ってすぐにわかるもんだよ」
そんなの本当?って思っていた。
でも、それは本当だった。
補足するならば、自分にとって本当に大切なものがわかった時、おとずれるんだ。
私がこの人生で本当にほしかったものが、
やっと見つかった。
▼彼と出会ったモンゴルに、どうして行くことになったかを書いています。