
自然を愛する人に恋をして、わたしの世界はやさしくなった
誰かを愛することで、世界の見え方が変わることがある。
わたしの場合は、モンゴルの草原で出会った、ひとりの遊牧民の男性だった。 彼を通して、わたしは「自然」と「生きる」を、もう一度体で感じるようになった。
この恋を通してわたしは初めて、生きることを体で知った気がする。好きな人の好きなものを、いつの間にか自分も好きになっていた。
同じ音楽を聴いて、同じ味を共有して、同じ景色を見ようとするように。
人は、誰かを通して世界と、また新しく出会うのかもしれない。
わたしの場合、それが「自然」だった。
ハイキングでもキャンプでも登山でもなく、もっと生々しい自然。大地と空と星と、家畜と野生動物と、草のにおい。
そういうものと、ずっと呼吸を合わせて生きてきた人に、恋をした。
わたしは、自然が好きになったわけじゃない。
自然を愛する人を、好きになったのだ。
わたしの彼はモンゴルで生まれ育った遊牧民で、
子どもの頃から文字通り、自然と共に生きてきた人だ。
彼と出会ったことで、わたしはもっとこの世界を、好きになれたと思うのだ。

出会ってしばらく経った頃、彼がこんなことを口にしたことがある。
「自然はいつも、“どうして?”って言って泣いているよ」
それは、彼の生まれ育ったモンゴルの草原が、
環境破壊によって減っているという話をしてくれた時だった。
モンゴルの草原は、本当に美しい。
けれど、その自然は年々少なくなっているという。
「金を掘るために地下から大量の水を使う。それも原因のひとつだと思う」。そういった彼の表情は、少し寂しそうで、悲しそうだった。
「”わたしはあなたたちに、たくさん与えているのに。どうしてあなたたちは、わたしたちから奪っていくの?”。
自然はそう言ってるよ」
彼は、まるで自分が自然の一部であるようにいう。それは出会った時からずっとそうだった。
生きることも、死ぬことも自然なことで、死んだら土に還るだけだと、彼はごく当たり前のように話す。
そんな彼が「自然が泣いている」と言ったとき、この人はきっと、わたしが感じていないものを体いっぱいに感じているんだろうなと思った。

「自然はいつも、助けてくれるよ」
そんなことも、よく口にしている。子どもの頃から大人になるまで、悲しい時、苦しい時、彼はいつも自然を眺めて、心が洗われ、救われたという。
彼が見てきた世界のすべてを、知ることはできない。でも、彼と過ごした一年の中で、わたしは前よりずっと、自然を身近に感じられるようになった。そして、好きになった。
都会でも、よく空を見上げるようになった。
スーパーで商品を手に取るとき、ふと生産者の顔を思い浮かべるようになった。
遠い国のニュースにも、心が動くようになった。
何ひとつ、自分に全く関係ないことなんてない。
そんなふうに思うようになったのは、モンゴルで、そして彼との生活の中で、世界というか、地球というのか…そのすべてがつながっていると感じ始めたからなのかもしれない。
ただただ、この地球にあるものを、分け合って生きている。それだけのことなんだなと、静かに思うようになったのだ。

そういえば、私たちの初めてのデートは「草原」だった。
モンゴルの草原には、動物のうんちがそこら中に落ちている。彼は当時、熱心にうんちの解説をしてくれた。40年近い人生の中で、初デートでうんちの話をしたのは、初めてである。
「これは燃料になるんだよ」
「これはまだまだだな」
うんちの奥深さを知る。
そして、広い大地を歩くと、時折、群れから離れて朽ち果てた動物の姿や、白く乾いた骨にも出会った。生きることも死ぬことも、まるごと感じるような体験。
生も死も、生活も祈りも、全部がそこにあった。
「これは何のうんち?」「これは何の生き物?」「この花は?この虫は?」
子どもは、すぐ「なんで?」「どうして?」と質問する。そんな、子どもの頃みたいに、彼に質問し、また世界が煌めいて見えた。自然を愛する人と共に草原を歩くことは、どんなたいそうな講義を聞くより、何よりの生きた学びだったような気がする。
そして何より、わたしの心が、喜んでいた。

つい最近、ある講演会でこんな言葉を聞いた。
「ぐりとぐらは、平和の象徴なんですよ」
子どもの頃に、何度も読んだぐりとぐら。
大きなカステラを、生き物の種類をこえて分け合う。あの絵本に描かれているのは、人間だけじゃない「平和」の形だという。
ああそうか。
いつから、「平和」って人間だけのものだと思うようになってしまったんだろう。
わたしはただただ、都会に生きる、一人の人間。
そんなわたしが、彼を好きになることで、もっともっと、世界を好きになっていった。
どんなに美しい言葉を並べても、借り物の言葉を並べても、体験という名の実感にはかなわない。
彼が自然への愛を語る言葉には、嘘がない。
体験からくる、深い理解がある。
彼の中にある、自然とともに生きる感覚が、
わたしの中にも少しずつ移って、静かに溶けていった気がするのだ。

人は一人だけど、一人じゃない。
何かに守られ、支えられながら生きている。
少なくとも、自然には。
きれいごとのようだけど、今のわたしはそう思っている。そう思うだけで、焦りや孤独、何かを得なければならないという感情が、いつの間にかすーっと浄化されていったのだ。あまりにも自然に、わたしも気づかないうちに。
生きることは、ただ奪うことでも、消費することでもない。
生み出して、巡らせていくこと。
もしかしたら、その小さな循環の中に、
幸福というもののヒントがあるのかもしれない。
