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仕事で辛い思いをしたからこそ、今の幸せがある。

 新入社員の頃、下の階の部署に厳しい上司がいると聞いて震えていた。
 その頃、百貨店の販売員として社会デビューを果たしたわたしたちは、どこの売り場に配属されるのか、ドキドキしていた。
 わたしが配属された売り場は、キッチン用品売り場だった。とても忙しかったけれど、先輩方は優しくて、人間関係も良かったので、ホッとしていた。
 一方、同期の子は、その下の階の厳しい上司がいるタオル売り場になってしまった。毎日悪戦苦闘する様子を聞く度に震え上がり、精神的にも強いとはいえない彼女をみんなで心配した。
 聞くと、少しのミスも許されない、緊迫感のある売り場らしかった。わたしのところよりもさらに忙しい売り場だったので、みんなピリピリしているようだった。そんな上司がいる売り場では、わたしは耐えられないかもしれない。と自分の運の良さを感じていた。
 もともとその同期は周りに気を使いすぎるほど気を使う子だったので、毎日気を張りすぎているように感じた。日に日に弱っていく彼女を同期で励ましていたが、そのうち、精神的に耐えられなくなってしまったのか、ただでさえ痩せている身体がどんどん痩せ細ってしまい、会社に来なくなり、辞めてしまった。
 女だらけの厳しい世界。だけど、わたしの売り場の先輩方は相変わらず優しく、伸び伸びと仕事をさせてもらえて、毎日楽しかった。

 4、5年も経つと、すっかり仕事にも慣れて、気づけば後輩もできる歳になっていた。自信がついて、堂々と仕事が出来るようになり、ますます面白くなってきた。大変なこともたくさんあるし、クレーマーのお客様にあたってしまった時は倉庫で泣いてしまい、先輩に慰められたりしたこともあったけれど、そういったことを乗り越える度に強くなり、やりがいを感じられるようになってきた。

 そこから数年、チームリーダーになった時、例の厳しいと噂だった谷口さんが、異動してきて、上司になった。わたしは20代だけど、もうベテランになっていて、自信に満ち溢れていた。リーダーとして、何があっても戦い抜いてやる!と強い気持ちを持っていた。同期の敵討ちだ。ぐらい思っていたかもしれない。わたしにはチームの仲間がいる。守るべきチームがある。負けないぞ!と息巻いていた。

 しかし谷口さんは、寧ろ柔らかい口調で、話しかけてきた。気を使ってくれているのが、よくわかった。最初だけだよ、きっと。と警戒していたが、いつまで経っても、優しく、協力的だった。
 わたしはまるで肩透かしを食らったような気持ちになった。なんか、丸くなったのかな。たまに何か言いたそうな時もグッと堪えているように見えた。

 お昼は、売り場の時間が同じ人たちみんなで賑やかに休憩した。そこには谷口さんの姿はいつもなかった。ある時、1人で休憩している谷口さんの姿を見かけた。何となく寂しそうに見えたのは気のせいだったろうか。

 それからわたしは、結婚をし、子供を産んで、育休を取り、全く違う事務の部署に異動した。そこで10数年働いたが、急に店頭に異動になった。あの時の谷口さんと同じ役職で。

 異動した売り場にはたくさんの若い後輩たちがいた。わたしは管理職になり、彼らを指導する立場になった。
 みんな、若くて、自信があって、怖いもの知らずな感じがした。そう、あの頃のわたしのように。
 彼らを指導するのは至難の業だった。異動してきたわたしよりも実務経験があって、テキパキと仕事をこなしていた。
 いざあの頃の谷口さんの立場になってみると、谷口さんの気持ちがよくわかった。よく仕事がわかっている彼らに強くは言えない。優しく、気を使いながら話すようになっていた。彼らはあの頃のわたしと重なって見える。なんて自信たっぷりで、堂々としてるのだろう。あの頃のわたしもきっと谷口さんには脅威だっただろうと初めて気づいたのだった。
 休憩はもちろん1人でとった。疲れすぎて、早く1人になりたかった。あの頃の谷口さんももしかして、そうだったのかもしれない。若いってそれだけで強いのかもしれない。まだ失うものなど何もなかったあの頃のわたしは、なんて未熟だったのだろう。急に恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。

 それから程なくして、仕事についていけなくなったわたしは、心身ともに疲れ果て、うつ病になり休職した。2年間休職した後、もう同じようには働けないと退職をした。

 谷口さんも、売り場がキツイと言って異動願いを出し、裏方に異動したと風の噂で聞いた。

 その後、谷口さんはどうなっただろうか。
 あの時、孤独と闘いながら働いていた谷口さんに、もっと寄り添えれば良かった。自分の正義ばかり振りかざしていたわたしは、本当にだめな部下だった。今だからこそ、よくわかる。自分の余裕のなさが、周りを見えなくさせていたのだ。

 退職後、夢だった学校司書になった。
 たくさんのことや役職を経験して、周りのことが少し見えるようになってきた。いつも周りのことばかり気にしていた自分のことも、大切にできるようになった。

 たまに、あのまま働いていたらどうなっていたかなと考える。夢にまで見る時もある。でもやっぱりいつかは耐えられなくなっていただろうなと思う。
 管理職って孤独だなと感じる。時には嫌われ役を買って出ないといけない時もある。もちろん、向いている人はたくさんいると思う。でもわたしには向いていなかったな。とつくづく思う。

 51歳になって、好きな仕事が出来て、趣味のぬい活や編み物でコミュニティも広がり、充実した毎日を送っている。思春期の子供たちには、心配で頭を悩ませているけれど、それも期間限定だろう。

 あの頃のわたしがいるから、今の自分がある。あの辛かった経験は、きっと今の仕事に活かされている。


 谷口さんも仕事から解放されて、好きなことが出来ているといいなと思う。あの時、あの頃、わたしたちは本当によく頑張った。

 お疲れ様でした。わたしと谷口さん。
 どうか幸せな日々を送っていますように。






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