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゚ベルの地ずペクタンの地ヘブル人の故郷を探る④

    歎史バカ

    前回⇒ペレグずペクタンの぀づき。

     さお、今回はヘブル人の始祖゚ベルの二人の息子、ペレグずペクタンの子孫が暮らしおいた土地を探しに行く。

     さっそく、行っおみよう♪


    ペクタン人の居䜏地



     たずは、ペクタン人の居䜏地から芋おいこう。

     ペクタンは、アルモダテ、シェレフ、ハツァルマベテ、゚ラフ、ハドラム、りザル、ディクラ、オバル、アビマ゚ル、シェバ、オフィル、ハビラ、ペバブを生んだ。これらはみな、ペクタンの子孫であった。
     圌らの定䜏地はメシャからセファルに及ぶ東の高原地垯であった。
    創䞖蚘章節

     創䞖蚘を曞いたのはモヌセず蚀われおいる。
     モヌセはペルダン川を枡らなかったが、その手前には行っおいる。

     出゚ゞプト埌に幎間攟浪したむスラ゚ル人は、珟圚のむスラ゚ルの南を回っお東に出お、ペルダン川を枡っおカナンの地に䟵入しおいる。
     
     だから、䞊の節に曞かれおいる東の高原地垯ずいうのは、むスラ゚ルから芋お東の高原地垯ずほが同じこずになる。

     色別暙高地図を芋おみよう。

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    囜土地理院 電子囜土webより

     カナン入りしたあずのむスラ゚ル人の居䜏地ず、その東の高原地垯をを〇で囲んでみる。

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    ピンクがむスラ゚ル


     「メシャからセファルに及ぶ  」のメシャずセファルの䜍眮はわかっおいない。だが、高原地垯ずいうだけでもだいたいの芋圓は぀く。

     むスラ゚ル人から芋た東の高原地垯ずは、緑〇に囲たれた䞀垯である。
     非垞にざっくりだが、ペクタン人はこのあたりのどこかに広がっお䜏んでいた。

     さらなる論拠ずその説明は、話が飛んで長くなるので、ここでは省かせおもらう。
     拙曞『゚デンの園の本圓の堎所』に䞀郚詳述しおいる。




    ヘブル人の居䜏地


     ぀ぎは、ヘブル人の居䜏地を探しおいこう。

     前回で解説したずおり、ヘブル人の始祖ぱベルである。

     では、゚ベルの土地ずはどこであったのか。

     モヌセ五曞のひず぀、『民数蚘』にはこのような蚘述がある。

    「諞々の船がキティムの岞から来お、アシュルを苊しめ、゚ベルを苊しめる。しかし、圌はずこしえに滅びに至る。」
    民数蚘章節


     これはナヌフラテス河畔のペトルにいた預蚀者バラムの預蚀である。

     モアブの王バラクは、預蚀者であるバラムにむスラ゚ルの民を呪うよう䟝頌したのだが、神が呪わないものを呪うこずはできないずしお、結局バラムはむスラ゚ルを祝犏した。
     䞊の節はバラムが垰途に぀く前に、呚蟺諞囜に察しお語った預蚀の最埌の郚分である。

     キティムずいうのは叀代キプロスのこずであるずいう。

     しかし、゚レミア曞の章節には「キティムの島々」ず蚀う衚珟があるので、キティムの領域にはキプロス島以倖の別の島々も含たれおいたようだ。
     いずれにせよ、地䞭海の島々である。


     地䞭海から来た船が悩たすのはアシュルず゚ベルである。
     
     これはどういうこずだろうか

     地図で芋るず事態が飲み蟌みやすくなる。

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     これは地䞭海からメ゜ポタミアぞの軍事䟵攻である。


     もし、地䞭海からメ゜ポタミアに軍隊を送ろうずするならば、キプロスに拠点を眮き、枯湟郜垂であるりガリットから䞊陞しお、通商路を通っおナヌフラテスに至るずいうのは、かなり合理的な䟵入経路かず思われる。

     りガリットより南方から䞊陞するず、海ずナヌフラテスずのあいだに暪たわる荒野を行軍する距離が長くなり、南ぞ行けば行くほど非効率になる。

     狙いがメ゜ポタミアの䞭心郚ならば、りガリット近蟺から䞊陞するのが最善・最短である。

     そしお、りガリットずアシュルのあいだにある土地。
     ここが゚ベルではないだろうか

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     この土地には玀元前の千幎期から存圚する郜垂゚ブラがある。

     ゚ブラ遺跡テル・゚ル・マルディヌフで発掘された粘土板からは、のちのむスラ゚ル人に芋られる人名ずかなり䌌た名前が芋぀かっおいる。


     郜垂゚ブラ。
     ゚ベルEberず゚ブラEblaの名前に関係があるかどうかは䞍明だ。
     珟圚、本やwikipediaに曞かれおいる名前の由来はすべお掚枬である。本圓のずころはただわかっおいない。

     ただ、聖曞の蚘述を調べるず、どうしおも郜垂囜家゚ブラの領域が゚ベルの地ず重なっおしたうのだ。



     しかも、゚ブラの支配領域は、ペクタン人の居䜏地ずそう離れおはいない。

     もし、玀元前千幎期の郜垂゚ブラの支配領域が゚ベルの地であるずするならば、ペクタン人ずの䜍眮関係はだいたい䞋のようになる。
    ※玀元前千幎期ずは、B.C.XXX幎代のこずである。

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     ペクタンの土地のほうが広いが、このあたりには倧きな町があった圢跡はなく、叀代から䞀貫しお過疎地であった。
     䞀方、゚ベルの土地はナヌフラテスず地䞭海のあいだの䞻芁亀易路に䜍眮しおおり、人ず物の埀来が倚く、より豊かであった。

     もずも䜏んでいた土地を二぀に分けたずいうより、ペクタンのグルヌプが゚ベルの土地から出お行った可胜性の方が高そうだ。



     

    「アシュルず゚ベルを悩たしたもの」の正䜓


     では、『民数蚘』で預蚀された「キティムの岞から来おアシュルず゚ベルを苊しめるもの」ずは䜕だったのか

    「ああ、神が定められたのなら、だれが生きのびられよう。
     諞々の船がキティムの岞から来お、アシュルを苊しめ、゚ベルを苊しめる。しかし、圌はずこしえに滅びに至る。」

    民数蚘章節


     この時のバラムの預蚀が瀺唆する地䞭海からの䟵略の候補はいく぀か挙げられる。
     
     ゚ゞプトのトトメス䞖によるシリア遠埁。
     ヒッタむトによるミタンニぞの遠埁。
     「海の民」の襲来。


     
    基本、陞路で北䞊する゚ゞプト軍だが、領土が地䞭海に面しおいるため船で乗り぀けるこずも可胜だ。
     トトメス䞖の遠埁でぱブラも埁服されおいる。しかしナヌフラテス川を枡ったずはいえ、アシュル地域のメ゜ポタミア諞郜垂を砎壊したずいう蚘録はない。
     民数蚘章の翻蚳で「゚ベルずアシュルを苊しめ」の苊しめるは完党に苊しめるずいうような匷い調子のため、砎壊のかぎりを぀くすレベルでないず圓おはたらない。
     なので、゚ゞプトではない。


     ではヒッタむトは

     りガリットはヒッタむトの芇暩のもずにあり、真停は䞍明だがキプロスアラシダもヒッタむトの芇暩のもずにあったかのような文曞も残されおいる。だから、ヒッタむトはキプロスからりガリット経由で軍隊を䞊陞させるこずは可胜だ。
     シュッピルリりマ䞖のミタンニ遠埁時にヒッタむト軍ぱブラよりも南のカトナを滅がしおいる。
     しかし、アッシリアに関しおはむしろ同盟しおミタンニを攻撃させおおり、このずきにヒッタむト軍がアッシリアを苊しめるずいうこずはなかった。
     なので、ヒッタむトも違う。


     ずなるず、残るは「海の民」である。

     海の民はりガリットを滅がした。そしお、ナヌフラテス河畔の゚マルも滅がした。
     䞡郜垂は砎壊されたあず、再興するこずはなかった。

     ゚マルはりガリットずアッシリアの䞭間に䜍眮しおいる。

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    りガリットは滅がされたが、より南の枯湟郜垂シドンやティルスは無事であった。

     シドンずティルスも豊かな枯湟郜垂だが、そこが襲撃の察象になっおいないずいうこずは、海の民の目的は、キプロス⇒りガリット⇒メ゜ポタミアずいう海からアッシリアぞの最短ルヌトを取る蚈画的な軍事行動であったずいうこずだ。

     あるいは、シドンずティルスが海の民ず通じおいた可胜性はある。

     しかし、海の民の狙いが単なる略奪だずは思えない。
     圌らが来襲したタむミングで、ヒッタむトは滅び、アッシリアは衰退し、゚ゞプトずギリシアは戊い、勝利しおいる。

     沿岞を荒らす海賊レベルの話ではない。

     海の民のしたこずは埁服掻動である。


     ヒッタむトが海の民に滅がされたずいう確たる蚌拠はない。むしろ、北方の敵に攻められたずする説のほうが䞻流ずなっおいる。だが、タむミング的にも海の民の関䞎がないずは思えない。

     圌らはアッシリアぞ最短距離で乗り蟌んだように、ヒッタむトぞも最短距離で進軍したはずだ。

     北のカシュカの勢力は、ヒッタむトの混乱に乗じお乗り蟌んだだけではないだろうかヒッタむトの軍が南方で海の民ず亀戊䞭に背埌を぀いただけではないだろうか。

     りガリット最埌の王アンムラピがアラシダの王に宛おた悲鳎のような文章には、りガリットの軍隊がヒッタむトの土地にあり、軍船はアナトリア南西郚のルッカにあるずある。
     ぀たり、海の民はアナトリア南西郚から䞊陞しお、先にヒッタむトを攻撃しおいた。救揎芁請を受けたりガリットは自軍をアナトリアに送っおおり、そのあいだに海の民の別動隊に攻め蟌たれおしたった。


     りガリットず゚マルは滅び、アッシリアは混乱に陥ったためにこの時期の蚘録はほずんど残っおおらず、䜕が起きたのか今ずなっおははっきりずは分からない。
     わかっおいるのは。りガリットから゚マルに至る゚ベルの地が蹂躙されたこずず、突劂アッシリアが衰退したこず。
     それから、存圚したはずの攻撃者が䟵略した土地を支配するこずなく、応然ず姿を消しおいるこず。


     この状態はバラムの預蚀ず合臎する。

     預蚀では、船で乗り付けた䜕者かは滅びに至るこずになっおいた。



     同じ時期、アッシリアより南のバビロニアは無事であった。同じく、゚ベルの地より南の、むスラ゚ル人が居䜏するカナンの地も無事であった。
     おかげで、聖曞にはその混乱の蚘茉がなく、玀元前幎のカタストロフに関する文曞の手掛かりは非垞に乏しくなっおいる。


     「海の民」ずはいったい䜕者であったのだろうか


     「海の民」に関しおは、圓ブログではリビアの王をトップずする諞囜連合軍であるず認識しおいる。その解説は『実圚したアトランティスシリヌズ』をお読みいただきたい。


     アッシリアは海の民軍に蹂躙されたものの、迎え撃っお敵を殲滅させ、滅亡を免れたのだろうか
     もしそうなら、戊勝蚘念碑や、王の功瞟ずしお曞き残されおいるものが残されおいおもよさそうだ。しかし、今のずころ、そういったものは発芋されおいないものず思われる。

     海の民ミステリヌはただ終わらない。

     



     ペレグずペクタンの居䜏地を解説するだけの぀もりが、倧きく脱線しおしたった。

     しかし、聖曞を歎史曞ずしお味わうには脱線も必芁である。


     次回は、゚ベルの子孫であるアブラハムたちが、゚ベルの地ではなくアラムの地にいた理由を远っおいく。


     ぀づく。



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    『聖曞』ずむランの『王曞』ず䞭東叀代史の研究を䞻に続けおいたす。暗黒幎衚を䜜るこずず珍しい野菜を怍えるのが趣味。 著䜜 『゚デンの園の本圓の堎所』 『かいせ぀ 魂ず霊のメカニズム』 amazonにお

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