
地形から読み解く京都 |勉強ブログ#1
学生時代に勉強した内容って意外と曖昧なままになっていませんか。このブログでは、京都好きのyasukeが気になったことを「浅く広〜く」整理します。
はじめに
京都は、平安京遷都から明治維新まで、長く日本の文化的中心であり続けました。なぜこの地に都が築かれたのか、今回は地形や風水の観点から考察します。
京都の地形について
京都の地形には、都に適したいくつかの特徴があります。
盆地である
三方を山に囲まれている(北山・東山・西山)
多くの川が流れている(鴨川・高野川・桂川・木津川・宇治川)

「盆地」とは、周囲を山地によって囲まれた平地のことを指します。京都盆地は山々によって外部から隔たれ、水が豊富に確保できました。一方で盆地特有の地形により、夏は蒸し暑く、冬は冷え込むという気候が生まれています。
また地名については、古く「山背」「山代」と表記されていましたが、桓武天皇による平安京造営の頃に「山城」と表記されるようになりました。
すでに開発が進んでいた京都盆地
京都の景観は「山紫水明(さんしすいめい)」と表現されます。これは、「山は日に映えて紫色に見え、川の水は澄んで清らかであること」を意味し、江戸時代末期の学者 頼山陽(らいさんよう)が鴨川と東山の景色を見て表現した言葉として知られています。
5世紀頃には、京都盆地に列島内の人々(賀茂氏・出雲氏)や、渡来人(秦氏・高麗氏)などが移住しており、先進的技術を用いて盆地の開発が進めてられていたとされます。
京都に平安京が築かれた理由
平安京は延暦13年(794)に桓武天皇によって造都されました。
遷都前の長岡京では、藤原種継の暗殺事件が発生したり、廃太子された早良親王が死去したことで「怨霊」の問題に発展したりなど、政情が不安定になっていました。そのため桓武天皇は、体制を立て直すために新たな都の建設を決断します。
新たな都の立地として重視されたのは「地相」です。
京都は、
北:玄武(船岡山)
南:朱雀(巨椋池)
東:青龍(鴨川)
西:白虎(山陰道)
といった地形条件を備えた「四神相応の地」とされました。
四神相応とは、中国から伝わった風水思想であり、天の四神に応じた最良の土地という意味です。これにより繁栄や長寿が叶うとされました。また平安京は中国の長安城をモデルとして設計されています。

まとめ
平安京が京都に築かれたのは、単なる偶然ではありません。
山に囲まれ、水に恵まれた地形と、新しい都をに相応しい地相。
こうした条件が重なり、京都は計画的に選ばれた土地であったことが見えてきます。
📝yasukeのひとこと
歴史を勉強していると、「名前はわかるけど説明できない」という状況が多発します(笑)。学生時代はひたすら暗記していたので、点と点が繋がらないまま大人になってしまったなと感じています。
でも最近は、好きなことを人に語りたい・・・!と思うようになり、学び直しを決意しました。マイペース&興味に偏りがあるかもしれませんが、読んでいただけたら嬉しいです♡