
アバドのチャイコフスキー
『テンペスト』
『スラヴ行進曲』
『ロメオとジュリエット』
『1812年』
指揮 クラウディオ・アバド
演奏 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
クラシックだが、血湧き肉躍る。
特に『スラヴ行進曲』と『1812年』で響く〈神よツァーリを護り給え〉は燃える。
自分はロシア人ではないのに。
作曲されたのは、『スラヴ行進曲』が1876年、『1812年』が1880年。
内からの大改革を進め、農奴解放も実現したアレクサンドル二世の治世期。
だが、その緩めた手綱を引きちぎった革命家に暗殺された。
帝政が終わるロシア革命の約30年前、ドストエフスキーの時代。
都市の文化と退廃が先鋭化し、ラスコリーニコフやイワン・カラマーゾフ、スメルジャコフが出現し始める思想氾濫、国内動乱、人心混乱、革命集団百花繚乱で宗教や道徳が軽んじられてテロが続発し始めるロシア。チャイコフスキーはロシア讃歌を作ったが、その帝国は上記状況の進展からその後しばらくで劇的に終焉する。アリョーシャ、ドミートリーの世界はロシアの都市からは消滅した。チャイコフスキーは〈神よツァーリを護り給え〉でロシアを表現したが、1917年に神はツアーリと共に消え去った。そして、ツアーリはその後、第一書記と名称をあらためて復活した。改革を進めたアレクサンドル2世はもとより、温和そうなのに専制政治が大好きでたまらない、羊の皮を被ったオオカミであるニコライ2世よりよっぽど怖い、歴史的鬼テクノクラート、スターリン。
しかし、ロシア民衆はルスらが入植した時代から、一貫して強い指導者を求め続けていて、その結果現状でも選挙で選ばれた、ただの大統領でありながらも従来の共和国の大統領ではない圧倒的強権を誇っている。それがロシアの文化なのだから、ロシア側に立った視点で見ると、それはウィルソンの平和14箇条に沿っているのが怖い。常識は通じない。
『1812年』はとにかく最後の大砲と鐘。クラシック音楽ってこんなのアリなの?
ティンパニのタイミングの絶妙さ。
The Rolling Stones の『Still Life』を初めて聴いた数十年前、ラストの 『(I Can’t Get No) Satisfaction』の花火をドラムと勘違いし、
そのタイミングの自由さに驚愕したことを懐かしく思い出す。言わずもがな、鐘もメチャクチャ。
そして、『ラ・マルセイエーズ』を押し返す〈神よツァーリを護り給え〉のくだり。
映像のない映画。音による大活劇。雪中大退却。そのおよそ130年後、今度はナチス・ドイツが泥沼焦土大作戦にハマる。そしてこれには日中戦争の日本も重なる。
『ロメオとジュリエット』では、シンバルの入る瞬間が際立つ。
すごい。ハッとさせられる。劇的疾走クラシック。
『テンペスト』は、ちょっと焦点がわからない。叙情にすぎる気がする。ど素人の余計なお世話だが。
アバド盤、良かった。だが、同じベルリン・フィルでも、師匠カラヤンの『スラヴ行進曲』と『1812年』の方が刺激が強いと思った。
カラヤンの音には即物的なスピード感と凝縮されたエネルギーがある。カラヤンは批判も多いが、やはりすごいものはすごい。アバドももちろん良いが、ちょっとオドロオドロしい感じがする。
昔、チャイコフスキーは陰気で気が滅入ると言っている評論家がいたが、少なくともこのアルバムやクナッパーツブッシュとウィーン・フィルの『くるみ割り人形』では、そうは感じなかった。その評論家はいつも偏っているが、そうでなければ評論家ではない。それは解説者だと思う。