「推し」ができない理由を、サイン会で少し理解した
私が小学生のとき初めて買ってもらった漫画は、りぼんの「ママレード・ボーイ」である。高校生の時、ママレード・ボーイを教室で貸し借りしている人たちがいたので「私も読んでたよ!」と話しかけたら「遊と銀太とどっちが好き?」と聞かれた。
答えられなかった。ママレード・ボーイは何回も何回も読んだけど、そんな視点で漫画を読んだことはなかった。遊と銀太のどちらが好きかは主人公の光希が決めることであって、私が考えることではないと思っていた。
ところが、誰もが私のように第三者として漫画を読んでいるのではない。少女漫画であれば、物語の内側に身を置いて、「遊はかっこいい」「でも銀太も素敵」と疑似恋愛を楽しみながら読んでいる人も多いのだということに、高校生になるまで気付かなかった。
その後、少女漫画だけでなく、少年漫画であってもどのキャラクターが好きかというのは女オタク定番の話題であることに気付き、だんだんと自分も誰が好きかという目線で漫画を読むようになった。好きなキャラが出てくるとテンションが上がったし、二次創作も読んだ。でも今思えば、それは本来の資質というより「作品はこう楽しむものらしい」と学習した結果だったと思う。大学以降、次第にその感覚も薄れ、いつしかまた第三者として作品を見るようになった。
今は「推し」という言葉が広く認知されているけど、今の私には推しがいない。作品にのめり込むことはあっても、特定の登場人物や俳優に入れ込むことがないからである。
初めてのサイン会に行った時のこと
そんな私でも、人生で一度だけ、著名人のサインをもらったことがある。
私が語学学習のため日本語のYouTubeをほとんど見ないようにしている中、唯一バキ童チャンネル(説明は割愛)や、同チャンネルによく出る面々のYouTubeチャンネルは定期的に見ているという話は、今までもこっそりnoteに書いていた。
その中でも、私はピーター博士が好きである。バキ童ことぐんぴぃを有名にしたネットミームが生まれるきっかけとなった研究をしているスウェーデンの博士であるが、以下のサムネを見てもわかるようにかなりエリートである。それでも、フィールドワークがてら、ぐんぴぃが住んでいた「キモシェアハウス」と呼ばれる魔境のようなシェアハウスで暮らしたり、その後も当時の住人達と交流を深めていたりと、お茶目で変わったところもある。それでいて、本国でも友人に恵まれながら、かわいい子どもを愛情たっぷりに育てている。
スウェーデンや日本、ひいてはそれ以外の国でも、国境や仕事の枠を超えて、自分らしくいられる居場所や人間関係を見つけ、かつやりがいのある仕事をできているところに、人間としてこうありたいと思ってしまう。私は、ピーター博士が築いている人との関わり方や暮らし方に惹かれているのだと思う。
癒しのセサ坊(息子さん)チャンネル。この動画、博士がスウェーデンでも楽しく仲間を見つけて過ごしている様子が分かって特に好きです。
そんな中、ピーター博士の著書の日本語版出版と来日を機に、ぐんぴぃとピーター博士のトークイベントが開催されるという予告を見た。本はすでに読了し、より詳細な話が聞けるのが楽しみだったので、思い切ってチケットを購入した。
お話はもちろんとても面白かったが、イベントの最後に、ぐんぴぃとピーター博士のサイン会があった。
話したいことがない
サイン会では、ぐんぴぃとピーター博士それぞれとお話することができた。しかも某アイドルグループのように一瞬握手して終わりではなく、明確な時間の区切りもないので、人によっては1分以上話しているようであった。
ところが、自分の番が近づくにつれ、喜びよりも不安が募る。私はお二方の動画もよく見ているし、特にピーター博士については生き方レベルで好きである。でも、特に私から話してみたいことがないのである。
1分という時間は意外と長い。熱い思いを伝えるもよし、相手の好きそうな話をするのもよし、笑いをとるもよし。私は後列にいたのでしばらく他の人の話し方を観察していたけど、中には、積極的に自分からたくさん話しかけて、笑いをとったり、話を広げたりしているような人もいた。どんな話をする人に対しても、ぐんぴぃもピーター博士も、とても楽しそうに話し、誠実な対応をしていた。
とはいえ、私の場合、嬉しさよりも戸惑いが上回ってしまう。ずっと見ていた画面の中にいた人と話せるチャンスなのに、何を話したらいいのか分からない。むしろ、仕事で立食パーティーに出たときのように、来たはいいけど何話そう…と必死に考えながら、サイン会の列に並んでいた。
帰り道、高校生のときのママレード・ボーイの記憶を思い出した。私はあくまでもコマの外で物語を読んでいる傍観者だから、自分が物語の中に入り込み、登場人物と関わりたいとは思っていないのである。
好きだけど、近づきたいわけじゃなかった
私がぐんぴぃやピーター博士の動画をよく見るのは、内容もさることながら、人との関係性が深まっていく様子を見るのが好きだからである。特にキモシェアハウスの面々との関わりでは、最初は仲の良かったはずのメンバーが共同生活の中で摩擦も生まれ、強い怒りを持つほどのときもある。それでも、同じ時間を過ごした情や思い出もたくさんあって、ただの好き嫌いだけでは片づけられない関係になっていく、その積み重ねがある。
一方、サイン会の1分間では、どんなに楽しく話せても、動画の中のような関係性を築けるわけではない。それでも好きな人と話したいと思うファンも多いと思うが、私の場合、そうではなかった。
遊か銀太かを選ぶのは光希であり、キモシェアハウスの面々と関係を築いたのは、私ではなく、ぐんぴぃとピーター博士である。私はその様子をコマの外、画面の前で見ていれば十分なのである。だから、本人といざ会っても、特に話したいと思えることが浮かばなかった。
「推しは誰?」と気軽に聞き合える時代に、この人に会えたら幸せという存在がいないのは寂しい気もする。それでも私は、昔から、人と会えることより、その人たちが作っている物語や関係を見ている方が好きだったのだと思う。
