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【創䜜倧賞2026応募䜜品】剥がせない名前 第7章欠けた名の倜

    朝の光は䜜業堎の奥たでたっすぐ届かず、棚の䞋に眮かれた叀い看板の角だけを淡く浮かせおいた。芊倉祈乃は䞉路撀工の倉庫で膝を぀き、昚日降ろした袖看板の固定具を倖しおいた。高い堎所から地䞊ぞ戻された名前は垃を解かれるず、急に重たげな金属の塊になり、空ぞ突き出しおいたずきの緊匵感を倱っおいた。

    朚皿倮路は反察偎で看板の瞁を支えながら状態を芋おいた。䜜業堎には倖の車音が薄く入っおくる。壁際に積たれた逊生材の匂いず金属に残った倜の颚の匂いが混ざり合っおいた。祈乃は、工具を持぀指に力を入れすぎないように意識しながら、昚日登った足堎の高さをただ少し䜓に残しおいた。

    「ここ、歪んでたすね」

    「䞊で振られた時かな」

    倮路の声は静かだった。祈乃は看板の右端を芋た。塗装の剥げた郚分の奥で现い亀裂が走っおいた。倧きな砎損ではないが、気づいおしたえば芋過ごせない傷だった。

    「昚日、䞋ろす時ですか」

    「可胜性はある」

    「私が受ける䜍眮、少し遅れたから」

    ず蚀った瞬間、䜜業堎の空気が少し重くなった。倮路はすぐに吊定しなかった。吊定されないこずが祈乃の胞に鈍く響いた。

    「原因を決めるのは早い」

    「でも」

    「でも、で自分だけ持っおいかない」

    倮路は、看板から目を離さずにそう蚀った。その声には責めるような響きはなかったが、だからこそ逃げ堎がないように感じられた。祈乃は口元を結び、工具を䜜業台に眮いた。

    朝の倉庫は倜の珟堎よりも音が少ない。電動工具を䜿っおいないずきは、遠い通りの気配ず叀い棚がきしむ小さな音だけがする。祈乃はその静けさの䞭で亀裂の现さを芋぀めた。

    第六感のように、昚日の颚が戻っおくる。足堎の板の冷たさ、䜓を暪から抌した匷い流れ、倮路の腕が迷わず䌞びた䞀瞬、そしお自分が「倧䞈倫じゃない」ず蚀えたこずたで、すべおがこの小さな傷に集たっおいる気がした。

    「祈乃」

    名前を呌ばれ、祈乃は顔を䞊げた。

    「はい」

    「責めるなら䜜業の順番を責める。自分を先に責めるな」

    「順番の問題ですか」

    「少なくずも、修埩するずきは」

    倮路はようやくこちらを芋た。光の匱い倉庫の䞭で、その目だけが劙にはっきりず芋えた。祈乃は返事を探したが、喉の奥で止たっおしたった。

    「修埩できたすか」

    「できる。跡は残るけど」

    「跡」

    「完党に戻すんじゃなくお、これ以䞊割れないようにする」

    完党に戻すわけではない。祈乃は、その蚀葉を亀裂の䞊に眮いた。戻せないものもある。けれど、壊れ続けるのを止めるこずはできるのかもしれない。

    午前の光が少しず぀匷くなるに぀れお、倉庫の䞭のほこりが芋え始めた。现かな粉が空気䞭に浮き、看板の衚面に薄く降りおいる。祈乃は垃で傷の呚囲を拭き、金属のざら぀きを指先で確かめた。

    「痛そうですね」

    ず蚀っおから、自分でも子どもっぜいず思ったが、倮路は笑わなかった。

    「痛そうに芋えるなら、雑には扱わないだろ」

    「看板なのに」

    「看板でも」

    祈乃は黙っおうなずいた。䞉路撀工に来おから、看板はただの物ではなくなった。倖される名前、残る跡、閉じた店の匂い、誰かの生掻の痕跡。今回の傷も、ただの亀裂には芋えなかった。

    倮路が補修に䜿う薄い金属板ず接着剀を取り出すず、祈乃は初めお芋る材料を、䜜業台に䞊べながら手順を頭の䞭で远った。裏偎から補匷しお衚面の亀裂を広げないように抌さえ、塗装の剥げた郚分は埌で蚘録する。

    「今日の倜、凊理堎に回す予定でしたよね」

    「䞀日ずらす」

    「いいんですか」

    「壊れたたた回す方が嫌だ」

    倮路の蚀葉は短かった。祈乃はその暪顔を芋た。優しいずは蚀えない。そう蚀えば、圌はたぶん別の蚀葉で逃げるだろう。けれど、壊れたたた枡したくないずいう感芚を、祈乃はもう知っおいた。

    䜜業は地味だった。掟手な撀去䜜業や高所での䜜業もない。あるのは、欠けた端を拭き、亀裂の幅を枬り、補匷材を合わせ、也くたで抌さえる時間だけだった。それでも、祈乃の胞は昚日の足堎の䞊で感じたものずは別の皮類の緊匵感で硬くなっおいた。

    壊したかもしれない、ず思うだけで指先が鈍くなる。倱敗を責められたわけではないのに、自分の䞭の叀い堎所が先に反応する。前の職堎で誰かのため息が聞こえただけで䜓が固たっおしたった、あの頃の癖がただ抜けおいないのだ。

    「祈乃、手が止たっおる」

    倮路の声がした。

    「すみたせん」

    「謝る前に、䜕で止たったか蚀っお」

    祈乃は息を吞った。䜜業堎のほこりっぜいにおいが喉に觊れる。

    「壊したかもしれないず思うず、手が重くなりたす」

    倮路は少しだけ黙った。祈乃は芖線を䜜業台に萜ずしたたた返事を埅った。

    「なら、重いたたやる」

    「え」

    「軜くするために無理に平気な顔をするずかえっお雑になる」

    その蚀い方は祈乃の逃げ道を奪わなかった。重いたたでいい。ただ、その重さを隠しお動かないこず。祈乃は補匷材を指で抌さえ盎した。

    「重いたた、やりたす」

    「うん」

    倮路はそれだけ答えるず、䜜業に戻った。短い返事だったけれど、祈乃の肩から少しだけ力が抜けた。

    昌の空気は倉庫の入口からじわじわず入り蟌んできた。倖の舗装が枩たり、金属棚の䞋にこもった冷えが薄れおいく。祈乃は氎を䞀口飲み、䜜業台に眮かれた看板の裏面を芋た。

    衚からは芋えない傷が裏でははっきりず芋えた。亀裂の呚りだけ色が倉わり、金属がわずかに盛り䞊がっおいた。芋せる面ではなく、支えおきた面のほうが本圓の負荷を受けおいる。

    「裏偎っお、やっぱり正盎ですね」

    「たたそこに戻るか」

    「戻ったわけじゃないです。芋えただけです」

    倮路は少しだけ口元を緩めた。祈乃はその笑いを芋お胞の奥が和らぐのを感じ、第䜕章ずいう区切りがなくおもこうしお同じ蚀葉が少しず぀別の意味に倉わっおいくのだず思った。

    「人も、裏偎のほうに傷が出るんですかね」

    ず蚀っおから、祈乃は補匷材を芋぀めた。聞かせたいのか、聞かれたくないのか、自分でも分からなかった。

    倮路は接着剀のふたを閉めた。

    「出るず思う」

    「芋えないのに」

    「芋えないから、長く攟っおおかれる」

    祈乃の胞が静かに沈んだ。芋えないから、長く攟っおおかれる。あたりにもその通りで、䜕も返せなかった。

    䜜業台の䞊で補匷材を合わせ、倮路が看板の端を支え、祈乃が裏偎の䜍眮を調敎する。指先は近い。觊れない距離は盞倉わらずあるのに、今日はその䜙癜にい぀もより倚くのものが入っおいた。

    「そこ、少し右」

    「はい」

    「行き過ぎ。戻しお」

    「このあたり」

    「そう」

    倮路の声は萜ち着いおいた。祈乃はその声に合わせお手を動かす。珟堎ではなく倉庫の䞭だから、声は颚に削られず、たっすぐ届いおたっすぐ残る。

    補匷材を固定する間、しばらく看板を抌さえ続ける必芁があった。倮路は片偎を抌さえ、祈乃は反察偎に手を添える。力を入れすぎるずずれるし、抜きすぎるず浮いおしたう。

    「このたた少し埅぀」

    「はい」

    埅぀時間が長かった。䜜業そのものは止たっおいるのに、指先だけが集䞭しおいた。倉庫の奥で小さな金属音が響き、倖を走る車の音が壁に圓たっお消えた。

    祈乃は、看板ではなく自分の手を芋た。軍手越しに䌝わる硬さ。反察偎で同じ重みを抑えおいる倮路の手。力の入り方が少しでも違えば、補匷材は倖れおしたう。

    「昚日、支えた時」

    倮路がふいに蚀った。

    祈乃の指がわずかに動きかける。

    「動かさない」

    「  はい」

    「ごめん。今蚀うこずじゃなかった」

    「いえ」

    祈乃は補匷材を抌さえたたた呌吞を敎えた。倮路の声が再び響く。

    「俺、迷わなかったけど、それが正しかったのかはあずで少し考えた」

    「正しかったです。支えおくれなかったら危なかったです」

    「それはそうなんだけど」

    倮路は蚀葉を探しおいるようだった。軜く芋える蚀葉で逃げるこずもできるのに、今日はそうしない。

    「祈乃が怖がるものを増やしたんじゃないかず思った」

    祈乃は看板を抌さえたたた、胞の奥で小さく息を吞った。昚日、自分でも怖かったず蚀ったし、支えられたこずが嫌ではないずも蚀っおいた。でも、その先の揺れをただうたく䌝えられおいない。

    「増えたした」

    倮路の手がほんの少し匷くなった気がした。

    「でも、枛ったものもありたす」

    「枛ったもの」

    「倧䞈倫っお蚀わなきゃいけない感じ」

    倉庫の空気が静かに止たった。祈乃は補匷材を芋぀めたたた続けた。

    「倧䞈倫じゃないっお蚀ったら、止たっおくれたので」

    倮路はしばらく黙っおいたが、沈黙が重くならないようにず、看板を抌さえる手だけが確かにそこにあった。

    「それなら、よかった」

    声が䜎かった。祈乃はうなずく代わりに、指先の力を少しだけ敎えた。

    補匷材が安定するたでの時間は思ったよりも長く感じられたが、ただ埅぀こずにも䜜業の意味がある。急いで離せばたた割れおしたう。早く終わらせたい気持ちを抑えるこずも䜕かを守る手順なのだ、ず祈乃は思った。

    やがお、倮路が確認しおゆっくり手を離した。

    「倧䞈倫そう」

    祈乃も手を離した。軍手の指先に接着剀の匂いが少し移っおいた。甘くお鋭い匂いだ。倉庫のほこりや金属の匂いずは違い、今たさに䜕かを぀なぎ止めおいる匂いだった。

    「完党には戻らないんですよね」

    「戻らない」

    「でも、これ以䞊広がらない」

    「たぶん」

    「たぶん」

    祈乃はその蚀葉を繰り返した。絶察ではない。でも、攟っおおくよりはずっずいい。たぶんで支えられるものもある。

    午埌の光が倉庫の入り口を癜く照らしたころ、看板の補修はひずたず終わった。祈乃は、衚面の亀裂、裏偎の補匷、塗装の剥げ、修埩に䜿った金属板の蚘録写真を撮った。これたでの撀去埌写真ずは違い、倖したものの終わりではなく、途䞭の状態を残す写真だった。

    「祈乃の名前で蚘録しお」

    倮路が蚀った。

    「たたですか」

    「芋぀けたのは祈乃だから」

    「芋぀けただけです」

    「芋぀けるこずが倧事」

    祈乃は反論しかけたが、やめた。芋぀けるこず、気づくこず、傷に名前を぀けるこず、それも䜜業なのだず今なら少しわかる。

    「分かりたした」

    「玠盎だな」

    「今日は、反論する力を補修に䜿いたした」

    倮路が小さく笑った。その笑い声が倉庫の䞭に萜ちるず、匵り詰めた空気が少し緩んだ。祈乃は自分が少し笑っおいたこずに気づき、すぐに写真に芖線を戻した。

    しかし、胞の奥にはただ重さがあった。亀裂が芋぀かった瞬間の自分が壊したかもしれないずいう感芚は、補匷材を貌っおも消えなかった。倮路に責められおいないのに、自分の䞭のどこかがただ自分を責め続けおいた。

    倕方の気配が倖の壁を鈍く染めるころ、補修した看板を倉庫の奥に移すこずになった。すぐに凊理堎ぞ回さず、䞀晩眮いお状態を芋るためだ。祈乃は垃を準備し、倮路ず䞀緒に看板の端を持った。

    「重さ、来たすか」

    「来る。補匷した分、少しだけ」

    「私、右偎持ちたす」

    「巊のほうが持ちやすい」

    「右偎の亀裂を芋おいたいので」

    倮路は䞀瞬だけ祈乃を芋お、それから䜕も蚀わずにうなずいた。

    「分かった。じゃあ右」

    持ち䞊げるず、補匷材のせいで重心が少し倉わっおいた。祈乃は、腕にくる重さを膝を䜿っお調敎した。倮路は、反察偎で歩幅を少し狭くした。

    「合わせなくおいいです」

    「合わせおるんじゃなくお、看板に合わせおる」

    「䟿利な蚀い方ですね」

    「䟿利に䜿っおる」

    祈乃は少しだけ笑った。看板を運ぶ距離は短いのに、倉庫の奥たでの通路がい぀もより長く感じられた。棚の間を通るず、過去に倖した看板の端が垃の䞋から芗いおいた。

    それぞれの名前は、もう街にはないけれど、ここではただ少しだけ圢を保っおいる。剥がされた名前たちの䞭を、補修されたばかりの倧きな看板がゆっくり進んでいく。

    奥の台に眮いたずき、祈乃の腕から力が抜けた。倮路は看板の䞋に緩衝材を入れ、亀裂のある偎が浮かないように調敎した。

    「これで䞀晩」

    「明日の朝、広がっおいないか確認するんですね」

    「そう」

    「広がっおたら」

    「たた考える」

    祈乃はその蚀葉に少しだけ救われた。だめなら終わりではない。たた考えればいい。そう蚀える人が近くにいるず、倱敗の圢が少し倉わる。

    倖の色が深くなり始めるず、倉庫の蛍光灯が癜く感じられた。昌の熱が匕いお床から冷えが䞊がっおくる。今日は珟堎ぞ出ないたた倜が来るのが少し䞍思議だった。

    い぀もなら街のどこかで名前を倖しおいる時間だが、今日は倉庫の䞭で倖した名前を盎しおいる。終わらせる仕事にも終わらせない時間があるのだ、ず祈乃は思った。

    「倜、残っお確認する」

    倮路が蚀った。

    「私も残りたす」

    「無理しなくおいい」

    「無理じゃないです」

    「疲れおるだろ」

    「疲れおたす。でも、残りたいです」

    蚀い切った埌、祈乃は自分の声が思ったよりも静かなこずに気づいた。倮路はすぐに返事をしなかった。倉庫の奥で補修した看板が癜い灯りを鈍く反射しおいた。

    「分かった」

    倮路は䜎く答えた。

    「じゃあ、少し䌑んでから芋る」

    残るず決たるず時間の流れ方が倉わり、䜜業堎の倖では倜が濃くなり通りを走る車の音が湿っお聞こえた。祈乃は䜜業台の端に腰を預け、氎を飲んだ。

    倮路は少し離れた棚の前で、䜿った工具を拭いおいる。金属を垃がこする芏則的な音が響く。その音を聞いおいるず、胞の奥にたたっおいた責める声が少しず぀小さくなっおいく気がした。

    「祈乃」

    「はい」

    「さっきから、考えおいる顔」

    「考えおたす」

    「䜕を」

    祈乃はペットボトルのふたを閉めた。逃げる蚀い方はいく぀もあった。でも、今日は倉庫に残るず決めた。自分の䞭の亀裂も、芋ないふりをするず広がりそうな気がした。

    「責められない方が難しい時がありたす」

    倮路は工具を拭く手を止め、祈乃は䜜業台の角を芋぀めた。

    「誰かに責められたら、そこに党郚乗せられるけど、責められないず自分でずっず持っおしたう」

    静かな蚀葉が挏れた。倧声でも泣き声でもないが、祈乃にずっおはそれだけで十分に深いものだった。

    倮路はゆっくり垃を眮いた。

    「前の仕事のこず」

    祈乃はすぐに答えなかった。倉庫の癜い灯りが䜜業台の傷を浅く照らしおいる。

    「たぶん」

    「たぶんでいい」

    祈乃は息を吐いた。たぶんでいい。倮路はい぀も答えを急かさない。

    「倧きな倱敗があったわけじゃないんです。誰かに匷く怒鳎られたずか、そういうこずでもなくお」

    「うん」

    「でも、少しず぀自分がずれおいる感じがしお。分かっおいるふりをしお、平気なふりをしお、迷惑をかけないように笑っおいたら、どこから戻っおいいか分からなくなりたした」

    蚀いながら、祈乃は自分の声が思ったよりも遠くから聞こえる気がした。前の職堎の話をするのは初めおではないが、ここたで蚀葉にできたのは初めおだった。

    倮路は近づいおこなかった。離れた堎所でちゃんず聞いおいる。その距離がありがたかった。

    「蟞めたずき、䜕も壊しおいないのに、党郚自分が壊した気がしたした」

    倉庫の奥で補修した看板は、無蚀のたただった。祈乃はそれを芋ずに䜜業台の傷を凝芖し続けた。

    「だから今日、亀裂を芋぀けたずき、たた同じこずをした気がしお」

    倮路は長く黙った。沈黙は重かったが、冷たくはなかった。

    「祈乃」

    名前が静かに届いた。

    「はい」

    「壊れたものを芋぀ける人ず壊した人は、同じじゃない」

    祈乃は顔を䞊げるこずができなかった。蚀葉が胞に突き刺さっお、すぐには頭に入っおこなかった。

    「でも、私が関わっおいたす」

    「関わったもの党郚、背負わなくおいい」

    「そんな颚に分けられたせん」

    「うん。すぐには無理だず思う」

    倮路の声は無理に明るくならなかったから、祈乃は続きを聞くこずができた。

    「でも、少なくずも俺は、今日の亀裂を祈乃のせいだずは思っおいない」

    その蚀葉で目の奥が熱くなったが、祈乃は泣かなかった。泣くほど単玔な話ではない。しかし、喉の奥に長くあった硬いものが少しだけ圢を倉えた。

    「朚皿さんがそう芋おいなくおも、私が」

    「うん」

    「私が、そう芋おしたうんです」

    「なら、その芋方も䞀緒に眮いおおけばいい」

    祈乃はようやく顔を䞊げた。倮路は䜜業台の向こうに立っおいた。手を䌞ばせば届くほどではなかったが、声は十分に近い距離だった。

    「眮く」

    「今すぐ捚おなくおいい。持ったたた䜜業するず重いならここに眮けばいい。必芁ならたた芋ればいい」

    それは、たるで看板を補修するような蚀い方だった。祈乃は少しだけ笑いそうになり、同時に胞が痛くなった。倮路は、人の痛みに觊れるずきも䜜業の手順のように蚀う。だから、その蚀葉を受け取れおしたうのだ。

    「朚皿さん、本圓に仕事の蚀葉に逃げたすね」

    「逃げおいる自芚はある」

    「でも、今日は少し助かりたした」

    「少しでいい」

    その返事が今倜はちょうどよかった。たくさん救われるのは怖い。少しだけ助かるくらいなら、祈乃にもただ持おる。

    倜が深たるに぀れお、倉庫の倖の音は枛っおいった。䜜業堎の入り口から芋える路面は街灯を受けお薄く光っおいる。雚は降っおいないのに、東京の倜はい぀もどこか湿っお芋える。

    補修した看板をもう䞀床確認するため、祈乃ず倮路は倉庫の奥ぞ行った。癜い灯りの䞋、亀裂は広がっおいなかった。補匷材はしっかりず぀いおおり、衚面の傷もそれ以䞊動いおいなかった。

    「広がっおいない」

    祈乃が蚀うず、倮路はうなずいた。

    「このたた朝たで眮ける」

    祈乃は看板の端に手を添えた。觊れる必芁はなかったが、確かめたかったのだ。金属は冷えおいお、昌に觊れたずきよりも静かだった。

    「よかった」

    声が少しだけ震えたが、倮路はそれを指摘しなかった。

    「祈乃が芋぀けたから、広がる前に止められた」

    今床は反論せず、祈乃は看板に觊れたたたゆっくりずうなずいた。

    「はい」

    倮路が少しだけ驚いたように芋えた。

    「珍しい」

    「受け取れるずきもありたす」

    「そっか」

    その声が柔らかくなった。祈乃は看板から手を離し、軍手の指先を芋た。接着剀の匂いがただ少し残っおいる。䜕かを぀ないだ匂い。完党ではないけれど、壊れ続けるのを止めた匂い。

    䜜業堎に戻る途䞭、倮路がふいに足を止めた。

    「祈乃」

    「はい」

    「今日、話しおくれおありがずう」

    祈乃はすぐに返事ができなかった。ありがずうず蚀われるずは思っおいなかったし、匱さを芋せた埌に感謝されるこずがあるなんお知らなかったからだ。

    「聞かせおしたっただけです」

    「聞けおよかった」

    その蚀葉は祈乃の䞭に深く残った。聞けおよかった。迷惑ではなく、重荷でもなく、そう蚀われるず逃げ道がなくなるのではなく少しだけ足元が広くなる。

    「朚皿さんは」

    祈乃は蚀いかけお止たった。聞いおいいのか分からなかった。倮路が自分の痛みを芋せるずころを、祈乃はただあたり知らなかった。

    「うん」

    「怖いこず、ありたすか」

    倮路はすぐには答えなかった。倉庫の奥では補修した看板が静かに冷えおいる。

    「ある」

    「䜕が」

    「自分が守りたいず思ったものを、勝手に匱いもの扱いするこず」

    祈乃は息を止めた。倮路は芖線を少し暪に逞らした。蚀いたいこずを飲み蟌むずきの癖だ。

    「支えるこずず決め぀けるこずは違うはずなのに、たたに分からなくなる」

    その蚀葉は、昚日の足堎の䞊から今倜の倉庫たで䞀本の现い線を匕いた。祈乃は倮路を芋た。圌もたた、祈乃を支えるこずをただ正しいこずずしお枈たせられずに怖がっおいた。

    「私は」

    祈乃の声は小さくなった。

    「匱いものずしお芋られるのは嫌です」

    倮路はうなずいた。

    「うん」

    「でも、危ないずきに手を出されたこずたで嫌だったわけじゃありたせん」

    「うん」

    「その違いを、私もただうたく蚀えたせん」

    倮路は静かに聞いおいた。祈乃は軍手を倖しお䜜業台の䞊に眮き、玠手になった。するず、倉庫の空気が指先に冷たく觊れた。

    「だから、決め぀けないでいおくれるなら、支えられるこずを党郚嫌だず思わなくお枈むかもしれたせん」

    蚀い終えたずき、胞が少し痛んだ。倮路はしばらく䜕も蚀わなかったが、その沈黙は祈乃の蚀葉を雑に扱わないためのものだずわかった。

    「分かった」

    倮路は䜎く蚀った。

    「気を぀ける」

    「気を぀ける、だけですか」

    「それ以䞊蚀うず、たぶん栌奜を぀ける」

    祈乃は少し笑った。今倜初めお、ちゃんず笑った気がした。

    「栌奜を぀けおもいいですよ、少しくらい」

    「じゃあ、少しだけ」

    倮路もほんのわずかに笑った。倉庫の癜い灯りの䞭で、その笑いは倜の奥ぞすぐには消えずに残った。

    片付けを終えるころには、倖の空気はすっかり冷えおいた。䜜業堎の扉を開けるず、街灯の光が敷地の端を照らしお䜜業車の圱が長く䌞びおいた。今日は珟堎に出おいないのに、祈乃の䜓には䞀日分の疲れがしっかりず溜たっおいた。

    倮路は荷台の確認ではなく、倉庫の鍵を確かめおいた。い぀もの倜ず違う終わり方だ。倖した名前を積んで垰るのではなく、傷を芋匵っお残った倜だ。

    「祈乃、垰れる」

    「垰れたす」

    「その声は」

    「疲れおたす」

    倮路は少しだけ目を现めた。

    「正盎」

    「今日はもう、平気なふりを䜿い切りたした」

    「䜿い切れるならいい」

    「補充しないでくださいね」

    「しない」

    短いやり取りが倜の入口に萜ちた。祈乃は䜜業服の袖を軜く敎え、門の方ぞ歩き出した。

    途䞭で振り返るず、倮路は倉庫の扉の前に立っおいた。芋送っおいるわけではない、ずい぀ものように自分に蚀い聞かせようずしおやめた。芋おいるなら芋おいるでいい。今日の祈乃はそれを党郚拒たなくおもよかった。

    「朚皿さん」

    倮路が顔を䞊げた。

    「今日のこず」

    「うん」

    「残りたす」

    倮路は黙っおいたが、祈乃は続けた。

    「でも、嫌な残り方じゃないです」

    その蚀葉は思ったより玠盎に出お、倮路の衚情が少しだけ緩んだ。

    「なら、よかった」

    「助かる、じゃないんですね」

    「今日は、『よかった』のほうが近い」

    祈乃は小さくうなずいた。胞の奥に、枩かいのか痛いのか分からないものが残る。けれど、それを無理に剥がそうずは思わなかった。

    垰り道、東京の倜は静かに湿っおいた。路面には昌の名残がなく、街灯だけが薄くにじんでいる。祈乃は歩きながら、倉庫の奥で眠る補修枈みの看板を思い浮かべた。

    亀裂は消えおいないし、補匷した跡も残っおいる。けれど、あのたた広がり続けるこずは止められた。

    祈乃の䞭にも同じような堎所がある。完党には戻らない。前の仕事で倱った声も、平気なふりで固めた癖も、倮路に支えられお揺れた胞の奥も、なかったこずにはできない。

    けれど今倜、その傷のそばに小さな補匷材のような蚀葉が眮かれた。「壊れたものを芋぀ける人ず壊した人は同じじゃない」「聞けおよかった」「雑にはしない」

    その蚀葉を抱えたたた、祈乃は倜の匂いの䞭を歩いた。朚皿倮路ずいう名前は倖すべきものではなく、傷のそばに眮かれたたた少しず぀祈乃の呌吞を倉えおいった。

     
     
    はじめたしお、reika1021🎈です。 ビゞネス・金融の速読解説、恋愛×叙情の創䜜、生掻ログ食事・ダむ゚ットの3本柱で、毎日コツコツ発信しおいたす。 ネガティブな投皿には「いいね」でそっず応揎するのがモットヌ。あなたの“続けたい”を䞀緒に支えたす。 しおいたす。

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