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名探偵に一杯のコーヒーを【二杯目】

    綾瀬 令

    【二杯目】 響くサイレン、小さな決意

    1

     嵐山の通報から数分後、店の外にサイレンの音が近づいてきた。
     赤い回転灯が窓ガラス越しにちらつき、やがてカフェの前に救急車と消防車が相次いで到着する。現場の緊急性を物語るようなスピードだった。
     裕三たちが扉を押し開けると、隊員たちが駆け足で建物内へと入ってきた。先頭の救急隊員が無線で状況を確認しながら声をかける。
    「救急です! 傷病者はどこですか?」

     嵐山がすぐに応じる。
    「こちらです、トイレの中。頭部から出血、意識混濁あり。呼吸はあります」

     一礼した救急隊員たちは、すぐにストレッチャーと救急バッグを持って現場に入った。  もう一方の消防隊員は、二次被害の有無を確認するため、トイレ周辺の安全確認を始めている。
     女性は、咲子が発見したときと同じ姿勢のまま、青白い顔を横にして床に倒れていた。床には赤黒い血がさらに広がり、出血の多さが容体の重篤さを物語っている。
     救急隊員が左側頭部の傷を確認する。「左側頭部に鈍的外傷。皮下出血と裂傷あり、骨折の可能性もあります」
    もう一人の隊員が顔の近くにしゃがみ込み呼びかける。「大丈夫ですか!?聞こえますか!」

     女性はかすかに呻き声を漏らしたが、目は虚ろで焦点が合っていない。

    「出血量多め。意識反応あり。ただし会話困難、JCS2(※)です。止血を優先、搬送急ぎます」
    止血処置を施しながら、もう一人の隊員が担架を手早く組み立てる。  狭い空間に、緊迫した処置音だけが響いていた。
     程なくして女性の体は慎重に担架に移され、頭部を固定するベルトが素早く締められる。隊員たちは無駄のない動きでドアを開け、被害者を慎重に運び出した。

     咲子と裕三は通路の脇に身を寄せ、固唾を呑んでその様子を見守っていた。咲子は自分の手が小刻みに震えていることに気づいたが、止めることはできなかった。

     担架がトイレから出ると、嵐山がすっと脇に避け、隊員に進路を譲る。
    「出入り口は解放してあります。どうぞ」
    観音開きになる左側のガラス戸のストッパーを外し担架を運び出しやすいようにしたようだった。
     隊員たちが短くうなずくと、ストレッチャーの脚を折りたたんだまま二人がかりで持ち上げ、慎重に女性を運び出す。
     嵐山はカフェの出入り口から運び出される女性を見送る。すると二人の男が救急車へ向かっているのが見えた。一人の見覚えのある後ろ姿に嵐山は嫌な予感を覚えた。

     数分後、店の外から救急車の扉が閉まる音と、サイレンが鳴り始める。その音が遠ざかっていくのを、咲子はじっと立ち尽くしたまま聞いていた。胸の奥にある嫌な思い出が吹き出てくる。──血はもう見たくない。
     しかし、あの赤黒い血の広がりがまだ脳裏に焼きついて離れなかった。

    ※JCS2の注記(「ジャパン・コーマ・スケール」の2=刺激に応じて何らかの応答はあるが意味のある会話が困難なレベル


    2

     咲子と裕三が被害者の搬送に気を取られていたその頃、制服にPOLICE MIUのロゴが入ったジャンパーの警官たちはすでに現場へ足を踏み入れ、規制線を貼っていた。何台もサイレンを鳴らして到着する現場に、道ゆく人々が何事かと心配そうに見守っている。今やカフェは、物々しい雰囲気を漂わせていた。
     鑑識班を引き連れた警官は現場安全確保の後、咲子、裕三、嵐山、そして数人の客が居る店内にズカズカと踏み込んできた。先頭に立つのは、険しい顔のベテラン捜査官だ。

     「現場、立ち入り開始だ。写真班、トイレ周りを重点的に撮れ。手を触れるな、いいか」
    ベテラン捜査官は顎で鑑識に指示を出す。
     その指示に従い、鑑識課員たちが白い手袋をはめ慌ただしく現場に散っていく。

    「おい、河合。お前は証言を取れ」
    「了解しました!竹屋捜査官!」
    若い捜査隊員は緊張した面持ちで、すぐに客の方へ足を向けた。

     いきなり知らない世界に放り込まれたような錯覚に陥る。咲子は頭が麻痺してしまったようにうまく考えられない。慌ただしく動き回る警官をただ見つめるしかなかった。
     裕三はそんな咲子の隣に寄り添うようにして立っている。女性が搬送されてからずっと側にいてくれている。まるで静かに守っているように。
     咲子の手の震えはいつのまにか治っていた──。

     二人の機動捜査隊員は咲子と裕三を見やると、内ポケットから何やらゴソゴソしながら近づいて来る。
     裕三は咲子を守るように咄嗟に前に出た。
     咲子の心臓が跳ね上がる。
    そういえば、私、第一発見者──。

    「話、聞かせてもらえんかな」
    ベテラン捜査官──竹屋捜査官が内ポケットから出した黒い警察手帳を開きながら睨め付ける。若い捜査隊員もそれに倣って警察手帳を二人の前にかざした。

    「彼女はうちのカフェのお客様です。話なら僕がします」裕三は軽く手を差し伸べ、咲子に近づけさせまいとする。
    「わ、私は大丈夫だから……」裕三に目配せをした後、咲子は意を決したように言う。
    「私が最初に女性を見つけました」

    「ふぅん、では最初に名前を聞かせてもらいますわ」
    「佐々木 咲子です」
    「そちらの男性は」竹屋は裕三に目を配る。
    「……」
    名前をためらう裕三に竹屋は片眉を上げる。
    「……久城、久城 裕三です」

    そういえば咲子は裕三の苗字を知らなかった。カフェのネームプレートには裕三のみ。何か苗字を言いたくない理由でもあるのだろうか──?いや、今はそんな事を考えてる余裕はない。

     竹屋は二人の硬い表情をチラリと見て、一呼吸置いて言った。
    「まあ、あんたらの対応のおかげで迅速に被害者を運び出すことができた。感謝せなあかんな。」

     竹屋のその言葉に、咲子は強張っていたもの全てが体から抜けた。てっきり自分が犯人じゃないかと疑われているとかと──そう思った瞬間、足の力が抜けその場にへたり込んでしまった。

    「咲子さん!」裕三が慌てて咲子の肩に手を回す。
    「あ……、ごめん、急に足の力が……」咲子は力なく笑う。

    「咲子さん、ご無理させてしまって大変申し訳ない。」即座に嵐山が咲子の肩と脇に手を差し込みスッと立ちたがらせる。
    「こちらのソファまで歩けますか?」
    「……はい」咲子は青白い顔のまま答える。
     その様子を竹屋は頭をポリポリかきながら眺めていた。


    3

     規制線が貼られ、見慣れたカフェ内で黙々と作業に取り掛かる鑑識班。嵐山は河合と共に客の話を聞いているようだ。──何だかテレビでも見ているよう。咲子の隣で裕三もまた、非現実感を感じていた。
    (これからどうなるんだろ……親父に怒られんのかな……オレ)
    ふいに不安が胸を締めつけ、思わず咲子に目をやる。青白い顔でぼんやりとソファに座る咲子の姿が視界に入る。そうだ、自分にはやるべきことがある、守るべき人がいる──そう思うと少しだけ力が湧いてくる気がした。

     現場の作業が終わり、各自散らばっていた鑑識班が竹屋の元に集合する。「捜査官、今よろしいですか」
    「ルミノール反応は確認済み、少量の血痕が個室トイレ前に飛び散っています。何かを引きずった血痕と血痕を踏んだ足跡も残っていました。おそらく誰かが拭き取ったのかと。争った形跡はなく、凶器らしき物も現状見つかっていませんが、複数人の指紋と足跡も一部採取できました。」
    「そうか。指紋の前科者の照合、引き続き頼むわ」敬礼する鑑識班の背中に竹屋はふうと息を吐く。

     続いて河合捜査隊員が報告する。
    「こちら側は嵐山さん含め、待機していただいていた方の証言収集、完了しています。指紋採取も皆さん任意で協力していただけました。」
    「おう、ご苦労さん」竹屋は河合を労う。
    「事情聴取した人たちの指紋と、現場で採取された指紋の一致確認はこれからです。」
    「ああ、うん……それが実はな、こっちの証言と指紋はまだなんや……」竹屋は困ったように額をかく。河合はちらっと咲子に視線を投げた。

    ソファでは咲子がまだぐったりとしていた。
    無理もない、仕事ではトラブルがあり(咲子のせいではないが)カフェでは第一発見者。疲れがどっと出てもおかしくない。
     嵐山がキッチンで淹れたカモミールティーを静かにテーブルに置く。「どうぞ、お飲みください。熱いのでお気をつけて。」
    「ありがとうございます……嵐山さん」咲子は静かにソーサーからカップを持ち上げ一口啜った。口いっぱいに広がるカモミールの香り。咲子はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。

    「先ほどはどうも!ご協力感謝いたします!」河合は嵐山に敬礼をした。嵐山を見る河合の目はどこかキラキラしていた。
     機動捜査隊が規制テープを潜り、カフェに立ち入った時、嵐山は河合と共にカフェのお客様の証言に付き合っていたのだった。内情は河合がお客様に失礼のないように監視すると言うものだったが、なぜか河合は嵐山に尊敬に似た眼差しを向けている。
    「ところで」嵐山は少しの居心地の悪さを感じ、咲子に目を向ける。「咲子さん、証言はできますか?」

     咲子はハッとして「はい」と答える。
     それを聞いて竹屋捜査官は小さく頷き、おもむろに口を開く。
    「では佐々木 咲子さん、あんたが見た事を順を追って話してもらえんかな」
    「……はい」咲子はカフェに到着した時間を思い出しながら、ゆっくり話し始めた──。


    4

     咲子がカフェに到着したのは午後六時を少し回った頃。席に着いてすぐにトイレに立つ。その時、トイレは使用中だった。十数分後、誰もトイレから出てきてないような気がしたけれど、確認のため再度トイレに向かう。そして鍵がかかったトイレの中で女性が血を流し、倒れていた……。
    咲子は掻い摘んで順序よく話した。

    「ふぅん。なるほど……」竹屋は伸びっぱなしの無精髭をジャリジャリと摩りながら独りごちた。
     咲子が落ち着きを取り戻している間、裕三は先に証言と指紋採取を終えていた。使用中のトイレこそ確認はしてはいないものの証言内容は咲子のそれとほぼ同じだった。

    「ルミノール反応から見て、ガイシャさんは殴られてからトイレに逃げ込み鍵をかけたんか……でも床の血を拭いたんはなんでや……」
    竹屋はふいに嵐山を見据えて言った。
    「なぁ嵐山、お前はどう考えてるんや」
    「……」嵐山は竹屋から軽く目を背ける。話をふらないでくれと言わんばかりに。
     咲子は二人を不思議そうに見る。二人は──知り合い?

     嵐山は咲子の不思議そうな顔に気づき、咳払いを一つして答えた。
    「私と竹屋は警察学校の同期でね」
    「お前は警察官辞めてもーたけどな!」ふんと竹屋が鼻を鳴らした。
     どこか言葉の端々にトゲを感じる言い方に咲子はなんとなく嵐山の過去を感じ取った気がした。

     竹屋の後ろで河合が様子を伺いつつ、先ほど聞き回ったカフェ・ド・クージョの客と嵐山の証言を伝える。内容はこんな感じだった。

    女性客1の証言
    「私がカフェに着いたのは午後五時半過ぎだったと思います。私の席はトイレ前のソファ席でした。」
    「ええと、黒いトップスに茶髪のショートボブの女性がトイレに入っていくのを横目で見ました。スマホを見ながらだったんで確かではないですけど、その方が運び出された女性だと思います。」
    「目撃した時間?正確には覚えてないですね……。6時過ぎくらい……かな……。その女性の後に二人ほど女性がトイレに入りましたけどすぐ出てました。」

    女性客2の証言
    「その時間、私本を読んでいたんです。なので参考になる証言はないかも知れません。あ、席は出入り口が近い窓側のカウンター席でした。ここに来たのは午後五時くらい。」
    「客の出入り……ですか。うーん、確かスカートを履いた女性が慌てて私の近くの出口から出て行きました。時間は分かりませんが悲鳴が聞こえる前だと思います。え?上の服ですか?本を読んでいたので下しか見てないです。あ、でも歩き方がぎこちなかったような……」

    女性客3の証言
    「会社が終わってからなんで、ここには午後六時頃に来ました」
    「えーっとすみません、私レジ横のカウンター席でずっと外見てたんで……。」
    「え?犯人らしき人物が出入りしたか?いえ、そんな感じの人は見ませんでした。事件とは関係ないかも知れないんですけど飲み物をこぼしてしまって、一度手を洗いに洗面台に寄ってます。時間は……叫び声の前だったと思いますけど」

    嵐山の証言
    「私は二階の事務所で翌日の避難訓練と消防署の立入検査に向けて通路の確認をしていました。ですので、二階から三階には不審者が隠れる余地はないと思われます。」
    「午後六時半前、悲鳴が聞こえたので二階から一階に降りました。悲鳴が聞こえてきたトイレに駆けつけるとドアから床に広がる血が見えたのでキッチンにあるマスターキーを取り、ドアを開け、女性を救助した、そのような流れになります」
     河合はできるだけ詳細に竹屋に伝える。生真面目さが垣間見えた。


    5

     全員の証言が出揃ったのに、誰の口からも不審者の目撃証言が出ない。一体犯人はどこから侵入して逃走したのか。いまだに経路が見えてこない。竹屋はカウンター席に座り、無精髭を撫で付けながら貧乏ゆすりをしていた。考え事をする時のいつもの癖だ。
     嵐山はカウンターキッチンで飲み終わったカップソーサーを洗っている。

    「嵐山!お前んとこの防犯カメラはどこにあるんや?」竹屋が急に呼びかけた。
    「防犯カメラは正面入り口に一つだ。駐車スペースに繋がる出入り口の方の防犯カメラもあったにはあったが……数日前に壊れた。」
    嵐山は申し訳なさそうに口元をわずかに引き結ぶ。
     竹屋はそれを聞いて頭を抱える。
    「なんちゅうタイミングや……呪われてんとちゃうか。やっぱり警官に戻れっちゅーことやな嵐山。」竹屋はホレ見たことかと鼻を鳴らす。
    「まぁ、冗談は置いといて、客の証言やと正面からは不審人物が侵入してなさそうやけど、一応確認させてもらうわ。どこで見れるんや?」
    「事務所にデータがある。二階だ。」
    嵐山はカウンターから二階に上がる階段を指差しながら言った。
    「ほな上がらせてもらうで〜」竹屋はまるで旧友の家にでも上がるような軽さで席を立った。

     咲子と裕三は無言でソファに座っていた。二人の顔には疲労の色が濃く影を落としていた。その横で所在なさげに佇む河合。時刻はすでに午後九時を回っていた──。

    「咲子さん、明日の仕事大丈夫っすか?」咲子に顔を向けずボソっと尋ねた。
    「え?ああ、明日は仕事休みなの。裕くん、心配してくれてるんだね。ありがとう」フフフと笑みを漏らす。
    「あ、いや、その、巻き込んでしまってなんか申し訳なくて」裕三は頭をかきながら顔を赤らめる。
    「大丈夫よ。さっきは取り乱してしまったけど、もう落ち着いたから」咲子は少し遠い目をする。
    「……それならよかったっすけど」
    含みのある言い方が気になったけれど聞く勇気が出なかった。
    「あ!そうだ!裕くんこそ学校は!?」
    「え……オレっすか。まあ、別に明日の講義は行かなくても別にいいような……気がしないでもない」
    「どっちよ」間髪入れずに突っ込む咲子。
    「調子戻ったみたいっすね」嬉しそうに笑う裕三。
    咲子もつられて笑う。
     河合捜査隊員、二人を見ていいのか、見てはいけないのか、目をキョロキョロさせながらますます所在なさげに立ちすくんでいた。


    6

    事務所のパソコンで防犯カメラを確認したが、結局正面出入り口に不審者は映っていなかった。捜査は振り出しに戻ったよう。河合は目撃証言をまとめた手帳に目を落とす。

    ─午後五時
    女性客2来店: トイレ前のソファ席
    ─午後五時半
    女性客1来店: 駐車場に繋がる出入り口付近のカウンター席
    ─午後六時
    佐々木咲子来店: カウンター席
    女性客3来店: 正面出入り口横のカウンター席
    ─午後六時過ぎ
    黒のトップスで茶髪ショートボブの女性がトイレに向かう→その後被害に?
    ─午後六時半前頃
    個室トイレプレートが使用中に(証言: 佐々木)→中にいたのは被害者?それとも?
    ─時間不明
    女性が慌てた様子で駐車場に繋がる出入り口から出ていった→怪しい
    ─午後六時半
    個室トイレで血流し倒れる女性が発見される

    ・犯人らしき人物の目撃証言なし
    ・侵入、逃走経路不明→駐車場に繋がる出入り口から侵入したら可能性大(計画的犯行?)
    ・凶器なし→犯人は凶器を持って逃走した可能性
    ・拭き取られた血痕→なぜ拭き取ったのか?逃走時間を確保するため?
    ・鍵がかかった個室トイレ→ガイシャが自分で閉めた?あるいは?

    「犯行は雑やのになんでホシの足取りがつかめんのや」竹屋は苛立ちを隠さず、河合に当たり散らした。
    「……そうですね」控えめに相槌を打つ河合に、竹屋は鼻を鳴らす。
    「絶対なんか見落としとる。河合、もう一度現場行くぞ」鼻息荒く歩き出しかけて、ふと立ち止まる。
    「皆さんにもご協力願えんかね」ゆっくり振り返りながらそう言うと、咲子も裕三も嵐山も、それぞれに違った表情で竹屋を見つめ返した。

     竹屋は鑑識班を引き連れてカフェに現れた時と同じ勢いで、今度は三人を連れて現場へと向かって行く。


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    京都を舞台にした探偵小説「名探偵に一杯のコーヒーを」を連載中。 左片麻痺の障害がありますが、できる範囲で表現を続けています。 note初心者。 日曜日更新。フォロー大歓迎です。

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