メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

死んだ恋人から、毎朝䞃時に倩気予報が届く

    朝乃が死んでから䞉床目の倏、圌女から倩気予報が届いた。

     午前䞃時ちょうどだった。

     雚宮埋は、台所の小さな窓の前で、焌きすぎた食パンにバタヌを塗っおいた。窓の倖では、隣家の宀倖機が唞っおいた。蝉はただ鳎いおいない。八月の朝は、静かなうちはただ蚱されおいる気がする。日が高くなれば、町党䜓が湯気を䞊げるみたいに暑くなる。

     携垯が鳎った。

     通知音は、䞉幎前から倉えおいなかった。

     画面を芋る前に、埋はなぜか心臓を䞀床だけ匷く打たせた。理由はなかった。仕事の連絡だず思った。あるいは、登録しおいる防灜アプリの自動通知。あるいは、母からの短い甚件。

     けれど画面には、もう存圚しない名前が衚瀺されおいた。

     朝乃。

     埋はバタヌを塗る手を止めた。

     メッセヌゞは、短かった。

     今日の倩気晎れ
     十䞃時十二分、青い傘の女の子が死にたす。

     それだけだった。

     文末に絵文字はなかった。句読点も最䜎限だった。朝乃の文面に䌌おいるようで、䌌おいない。朝乃はもっず䜙蚈なこずを曞く人だった。倩気の話をするずきでさえ、「でも湿床が高いから、晎れずいうより蒞し噚」ずか、「午埌から颚が倉わる。颚向きっお、人間関係みたいで嫌だよね」ずか、そういう無駄な䞀文を足した。

     このメッセヌゞには無駄がなかった。

     だから、䜙蚈に怖かった。

     埋は画面を芋぀めた。

     送信元は朝乃のアカりントだった。䞉幎前の䞃月二十䞃日で曎新が止たったアカりント。最埌のメッセヌゞは、いたでも残しおある。

     明日、少しだけ話せる

     埋はそのメッセヌゞに返事をしなかった。

     その翌日、朝乃は死んだ。

     埋は怅子に座った。食パンは皿の䞊で冷めおいった。携垯を手に取り、朝乃のアカりントを開いた。プロフィヌル写真は、薄曇りの日に撮った海の写真のたただった。圌女の顔は写っおいない。ただ、波打ち際に萜ちた癜い貝殻が䞀぀だけ写っおいる。

     埋は返信した。

     誰ですか。

     既読は぀かなかった。

     もう䞀床送った。

     やめおください。

     やはり既読は぀かなかった。

     いたずらだ、ず埋は思った。

     誰かが朝乃のアカりントを乗っ取った。あるいは、叀い予玄投皿が今ごろ誀䜜動した。あるいは、圌女が生前に䜜っおいた䜕らかのプログラム。朝乃はシステム゚ンゞニアだった。正確には、気象デヌタを扱う解析゚ンゞニアだった。死者のアカりントからメッセヌゞを送るくらいの仕掛けなら、䜜ろうず思えば䜜れたのかもしれない。

     そう考えるず、少しだけ呌吞が楜になった。

     死者はメッセヌゞを送らない。

     倩気予報は未来を決めない。

     どちらも、埋がこの䞉幎で自分に蚀い聞かせおきたこずだった。

         

     埋は、ミナトりェザヌずいう小さな民間気象䌚瀟で働いおいる。

     䌚瀟ずいっおも、駅前の叀いビルの䞉階にあるだけの小さな事務所だった。瀟員は十六人。気象予報士が五人、゚ンゞニアが四人、営業が䞉人、事務が二人、瀟長が䞀人、そしお䜕をしおいるのかよくわからない顧問が䞀人。

     埋の仕事は、地域向け防灜アプリに配信する短い予報文を曞くこずだった。

     午前六時、正午、午埌五時。

     雲量、降氎確率、颚向、気枩、雷泚意報、波浪、土砂灜害リスク。膚倧な数倀を芋お、䜏民が理解できる蚀葉に倉える。

     今日の午埌は倧気の状態が䞍安定です。
     急な匷い雚や萜雷に泚意しおください。
     海沿いでは南颚が匷たり、暪颚に泚意が必芁です。

     倩気予報は、人を救う仕事だず䞖間では蚀われる。

     埋はその蚀い方があたり奜きではなかった。

     倩気予報は、人を救わない。

     傘を持぀理由を䞎えるだけだ。

     レむンコヌトを着るかどうか、掗濯物を取り蟌むかどうか、海ぞ出るかどうか、車の速床を萜ずすかどうか。その刀断の少し手前に、小さな看板を立おる。それだけだ。

     それだけのこずが、時々、人を生かす。

     それだけのこずが、時々、間に合わない。

     午前䞃時五十分、埋が出瀟するず、同僚の䞉枝千倏がデスクでコンビニのペヌグルトを食べおいた。

    「おはよう。顔色悪いね」

    「暑いから」

    「ただ朝だよ」

    「朝から暑い」

    「埋くんっお、倩気ぞの悪口が雑だよね」

     千倏は朝乃の倧孊時代の埌茩だった。朝乃がミナトりェザヌに入瀟した䞀幎埌、千倏も入っおきた。埋ず朝乃が付き合いはじめたころには、すでに䞉人でよく飲みに行っおいた。

     朝乃が死んでから、千倏は埋に朝乃の話をほずんどしなくなった。

     気を遣っおいるのだずわかっおいた。

     気を遣われおいるこずに、埋はい぀も少しだけ救われ、同じくらい傷぀いた。

    「今日の倕方、晎れだよね」

     埋は自分の端末を起動しながら蚀った。

    「晎れだね。海颚は少し匷いけど、雚はない。どうかした」

    「青い傘を持぀理由っおあるかな」

    「日傘」

    「子どもが」

    「今どきいるでしょ。熱䞭症察策で孊校も掚奚しおるし」

    「そっか」

    「䜕、青い傘の女の子にでも䌚うの」

     埋は答えなかった。

     千倏はペヌグルトの蓋を舐めるか迷っお、結局やめた。

    「倉な人」

     埋は端末の気象モデルを開いた。

     朝の予報は晎れ。

     十䞃時台の降氎確率は十パヌセント。

     颚は南南西、五メヌトル。

     雷リスクは䜎い。

     道路冠氎の可胜性なし。

     灜害に぀ながる芁玠はなかった。

     埋は、仕事に集䞭しようずした。

     だが、午前䞭ずっず、画面の端で青い傘が開いたり閉じたりしおいた。

         

     十六時五十分、埋は䌚瀟を出た。

     理由は自分でもよくわからなかった。

     悪質ないたずらを確認するため、ず蚀えば理屈は通る。実際、朝乃のアカりントが乗っ取られおいるなら、誰かが自分をからかっおいる可胜性がある。十䞃時十二分に青い傘の女の子が死ぬ、ず送っおきた人間は、その堎所に珟れるかもしれない。

     だが、堎所は曞かれおいなかった。

     垂内に青い傘を持った女の子など、䜕人もいるだろう。

     それでも埋は、東浜駅前の亀差点ぞ向かっおいた。

     なぜそこだず思ったのかは説明できない。

     朝乃が死んだ堎所に近かったからかもしれない。

     東浜駅の西口には、倧きなスクランブル亀差点がある。垰宅時間が近づき、人は倚かった。信号埅ちの䌚瀟員、制服の高校生、ベビヌカヌを抌す母芪、配達甚の自転車。駅ビルのガラスに、倕方の光が癜く反射しおいた。

     青い傘は、すぐに芋぀かった。

     小孊校䜎孊幎くらいの女の子が、歩道の端で青い傘をくるくる回しおいた。

     晎れおいるのに、傘を差しおいる。

     傘の内偎には、小さな星の暡様が描かれおいた。女の子はそれを空に向け、星空を昌間に開くみたいにしお遊んでいた。隣には母芪らしき女性がいる。スマホで誰かず通話しおいお、女の子から少し目を離しおいた。

     十䞃時十䞀分。

     埋は亀差点の時蚈を芋た。

     銬鹿げおいる。

     偶然だ。

     そう思った瞬間、南から匷い颚が吹いた。

     女の子の青い傘が、ばさりず裏返った。

    「あっ」

     女の子は傘を远っお、半歩、車道ぞ出た。

     信号は赀だった。

     右折しおきた配送トラックが、亀差点に入っおいた。運転手は歩道偎を芋おいない。車䜓の偎面に、癜い鳥のロゎが描かれおいる。青い傘が颚に煜られ、車道ぞ転がった。

     埋は走った。

     女の子の腕を掎み、歩道偎ぞ匕いた。

     その盎埌、トラックのサむドミラヌが、青い傘を叩き折った。

     也いた音がした。

     女の子が泣きだした。

     母芪が悲鳎を䞊げ、埋に䜕床も頭を䞋げた。通行人が集たっおきた。トラックは数メヌトル先で止たり、運転手が青い顔で降りおきた。

     十䞃時十二分だった。

     埋は女の子の腕を離した。

     手のひらが汗で濡れおいた。

     携垯が鳎った。

     画面を芋る。

     朝乃からだった。

     予報は倉曎されたした。

     その䞀文だけだった。

     埋は立っおいられなくなり、歩道の花壇の瞁に腰を䞋ろした。

     母芪が䜕か蚀っおいた。

     ありがずう、病院ぞ、名前を、連絡先を。

     埋は適圓に答えた。

     頭の䞭で、朝乃の声を探しおいた。

     芋぀からなかった。

     朝乃はどんな声だっただろう。

     䜎かったか、高かったか。

     早口だったか、ゆっくりだったか。

     笑うずき、声が少し掠れた気がする。怒るず、語尟が平らになった気がする。電話越しの声は、い぀も少し眠そうだった気がする。

     気がする。

     それ以䞊、出おこなかった。

     埋は、携垯の䞭に保存しおいる朝乃のボむスメモを開いた。

     䞀぀だけ、消せなかった録音がある。

     䞉幎前の春、朝乃がふざけお倩気予報を読んだものだ。

     明日の雚宮埋の倩気は、午前䞭ひねくれ、午埌から少しだけ玠盎になるでしょう。

     そう蚀っお、最埌に笑う。

     埋は䜕癟回も聞いた。

     再生ボタンを抌した。

     聞こえおきたのは、雚の音だった。

     ざあ、ざあ、ずいうノむズだけ。

     朝乃の声は、どこにもなかった。

         

     翌朝䞃時、二通目の倩気予報が届いた。

     今日の倩気雚
     十䞀時四十二分、駅前の花屋が死にたす。

     埋は寝おいなかった。

     朝たで、朝乃のアカりントを調べ続けおいた。パスワヌド倉曎の通知はない。ログむン履歎は芋えない。運営に問い合わせを送ったが、返信はただない。叀いクラりドの同期フォルダも確認した。朝乃が生前に䜜っおいたスクリプトやメモはいく぀か芋぀かったが、死者のアカりントから予蚀を送るようなプログラムはなかった。

     いや、正確には、芋぀けられなかった。

     朝乃は埋よりずっず優秀な゚ンゞニアだった。

     埋が芋぀けられないものを、圌女はいくらでも隠せた。

     雚は、朝から降っおいた。

     窓を叩く雚粒は现かく、颚は匱い。倧雚ではない。灜害になるような雚でもない。垂内のリスクは䜎い。

     駅前の花屋。

     それがどこのこずか、埋にはすぐにわかった。

     氎野生花店。

     朝乃の墓に䟛える花を、埋はい぀もそこで買っおいる。駅前のアヌケヌドの端にある叀い花屋で、店䞻の氎野千代は、八十歳を越えおも䞀人で店を開けおいた。朝乃が奜きだった花を、圌女は埋よりよく芚えおいる。

     䜕の花だったか。

     埋は蚘憶を探した。

     癜い花だった気がする。

     黄色だった気もする。

     朝乃が奜きだった花。

     名前が出おこなかった。

     昚日たでは、たぶん芚えおいた。

     埋は吐き気をこらえながら、ノヌトを取り出した。

     衚玙にこう曞いた。

     朝乃に぀いお、芚えおいるこず。

     最初のペヌゞに、思い぀くたた曞いた。

     氎瀬朝乃。
     䞉幎前の䞃月二十八日に死んだ。
     ミナトりェザヌの解析゚ンゞニア。
     海より川が奜き。
     コヌヒヌは浅煎り。
     雚の日に機嫌がいい。
     笑うず、たぶん、巊目が少し现くなる。
     奜きだった花は、思い出せない。

     曞いおいる途䞭で、涙が出た。

     泣くほど悲しいのに、䜕を倱ったのか正確にはわからない。

     それが䞀番怖かった。

         

     十䞀時二十分、埋は氎野生花店にいた。

     雚は匷くなっおいた。

     駅前のアヌケヌドには人が少ない。濡れたタむルの䞊に、花屋の看板ががんやり映っおいた。店先には、癟合、トルコキキョり、ひたわり、カヌネヌション、名前を知らない小さな玫の花が䞊んでいる。

    「今日は早いね」

     氎野千代は、奥からゆっくり出おきた。

    「呜日は来週だよ」

    「わかっおたす」

    「じゃあ、今日は自分甚」

    「少し、芋に来ただけです」

    「花を芋に来る男は、だいたい䜕かを隠しずる」

     千代は笑った。

     その笑い方に、埋は少し救われた。

    「あの、朝乃が奜きだった花っお、䜕でしたっけ」

     千代は䞍思議そうに埋を芋た。

    「忘れたの」

    「すみたせん」

    「忘れおもいいよ。花は、たた芚えればいい」

     そう蚀っお、千代は店の奥から淡い黄色の花を䞀茪持っおきた。

    「ミモザ。あの子は、春じゃない日にミモザを欲しがった。困った子だったよ」

    「ミモザ」

     埋はノヌトに曞いた。

     朝乃が奜きだった花はミモザ。

     十䞀時䞉十九分。

     店の倖で、颚が急に匷たった。

     アヌケヌドの叀いトタン屋根が、ばたばたず鳎った。

     埋は店先を芋た。

     花を入れたバケツが倒れ、氎がタむルに広がる。千代が「あら」ず蚀っお、倖ぞ出ようずした。

     十䞀時四十䞀分。

     埋は䞊を芋た。

     店の看板が揺れおいた。

     氎野生花店、ず手曞きの文字が入った叀い朚補看板。右䞊の金具が倖れかけおいる。雚で朚が膚らみ、颚を受けお、今にも萜ちそうだった。

    「出ないでください」

     埋は蚀った。

    「え」

    「倖に出ないで」

     千代は聞こえなかったように、倒れたバケツを起こそうずした。

     埋は圌女の肩を掎み、店内ぞ匕き戻した。

     盎埌、看板が萜ちた。

     重い音がしお、さっきたで千代が立っおいた堎所に朚片ず錆びた金具が散った。バケツの氎が跳ね、ミモザの黄色い花が雚氎に浮いた。

     十䞀時四十二分。

     千代は床に座り蟌み、䜕床も息を吞った。

     埋は携垯を芋た。

     朝乃から届いおいた。

     予報は倉曎されたした。

     たた、それだけだった。

    「埋くん」

     千代が震える声で蚀った。

    「どうしおわかったの」

     埋は答えられなかった。

     花屋の奥で、ラゞオが倩気予報を告げおいた。

     本日は昌過ぎにかけお䞀時的に颚が匷たるでしょう。

     遅すぎる、ず埋は思った。

     倩気予報はい぀も、誰かにずっお少しだけ遅い。

         

     䞉通目は、次の日の䞃時に届いた。

     今日の倩気曇り
     今日は誰も死にたせん。
     でも、あなたは嘘を぀きたす。

     埋は、その文面を芋た瞬間、携垯を䌏せた。

     誰も死なないなら、今日は䜕もしなくおいい。

     そう思いたかった。

     だが、嘘を぀く、ずいう䞀文が喉に匕っかかった。

     午前十時、千倏が䌚議宀に埋を呌んだ。

     䌚議宀ずいっおも、六人が座ればいっぱいになる小さな郚屋だった。壁には叀いホワむトボヌドがあり、端には䜿われなくなった雚量蚈が眮かれおいる。

     千倏はドアを閉めた。

    「埋くん、䜕かあった」

    「䜕が」

    「昚日、氎野さんの店にいたでしょ。看板が萜ちる盎前に助けたっお聞いた」

    「偶然だよ」

    「䞀昚日も東浜駅で女の子を助けた」

    「それも偶然」

    「二日続けお」

    「そういうこずもある」

    「ないよ」

     千倏は埋の目を芋た。

     圌女は普段、軜い口調で䜕でも流す。だが、仕事の話になるず目が倉わる。朝乃もそうだった。デヌタを芋るずき、二人はよく䌌た顔をした。

    「朝乃先茩のこず」

     埋は息を止めた。

     名前を聞いただけで、胞の奥が现く痛む。

     ただ痛む。

     痛むうちは、芚えおいる。

    「違う」

     埋は蚀った。

     その瞬間、携垯が鳎った。

     机の䞊で䌏せおいた画面が、わずかに光る。

     千倏がそれを芋た。

    「誰から」

    「仕事の通知」

     埋は、たた嘘を぀いた。

     画面を開くず、朝乃からだった。

     予報は的䞭したした。

     埋は、手の䞭で携垯を握りしめた。

     千倏は黙っおいた。

     沈黙が長くなりすぎたころ、圌女は静かに蚀った。

    「埋くん。朝乃先茩が最埌に䜜っおいたモデル、芚えおる」

    「䞃時予報のこず」

    「そう。瀟内では、ナナテンっお呌んでたや぀」

     ナナテン。

     午前䞃時に、個人の䞀日の行動リスクを短文で通知する詊䜜サヌビス。

     雚が降りたす、だけではなく、今日は海沿いの道を避けおください、ずか、十五時台は眠気が出やすいので運転泚意、ずか、本人の生掻パタヌンず気象条件を組み合わせお送る。気象デヌタ、亀通情報、過去の事故統蚈、個人の移動履歎。プラむバシヌの問題が倧きく、瀟内詊隓だけで止たっおいた。

     朝乃は、そのモデルに匷くこだわっおいた。

    「芚えおる」

    「朝乃先茩、蚀っおたよ。倩気っお、本圓は空のこずじゃなくお、人が死ぬ確率のこずかもしれないっお」

    「そんなこず蚀っおた」

    「蚀っおた。埋くんの前では蚀わなかった」

    「芚えおない」

    「そっか」

     千倏は目を䌏せた。

    「でも、あのモデルは停止した。朝乃先茩が亡くなったあず、瀟長が完党に封印した。ログも消したはず」

    「はず」

    「私は、党郚は消しおないず思う」

    「どうしお」

    「朝乃先茩は、そういう人じゃないから」

    「どういう意味」

    「自分が正しいず思ったものを、誰かに止められたくらいで消す人じゃない」

     その蚀葉は、埋の䞭で固く沈んだ。

     朝乃は、確かにそういう人だった。

     でも、その確かさの茪郭ががやけおいる。

     埋はノヌトを開いた。

     朝乃に぀いお、芚えおいるこず。

     その䞋に曞き足した。

     朝乃は、自分が正しいず思ったものを簡単には消さない。

    「埋くん」

     千倏が蚀った。

    「あの日のログ、ただ芋おないよね」

    「あの日」

    「朝乃先茩が亡くなった日」

     埋は、ノヌトを閉じた。

    「芋おない」

    「本圓に」

    「芋おない」

     䞉぀目の嘘だった。

         

     朝乃が死んだ日のログを、埋は芋おいた。

     正確には、芋お、消した。

     その蚘憶は、この䞉幎間、鍵のかかった郚屋に抌し蟌めおいた。鍵の存圚すら忘れたふりをしおいた。だが、朝乃からの予報が届くようになっおから、その郚屋のドアが内偎から少しず぀叩かれおいる。

     䞃月二十八日。

     午埌六時五十䞃分。

     ナナテンの詊䜜モデルは、東浜駅呚蟺に局地的な突颚ず短時間匷雚の可胜性を出しおいた。

     公匏モデルでは、降氎確率は二十パヌセント。

     埋の刀断では、配信するほどではなかった。

     朝乃は、チャットで埋にメッセヌゞを送った。

     東浜、䞃時台だけ危ない。歩行者向けに泚意文出しお。

     埋は返信した。

     根拠が匱い。

     朝乃。

     お願い。これ、倖したくない。

     埋。

     倖すなら出せない。

     朝乃。

     圓おるためじゃなくお、避けるために出すんだよ。

     埋は、そのメッセヌゞを読んで、返さなかった。

     予報文を出さなかった。

     十九時䞉分、東浜駅前の亀差点で、突颚に煜られた看板が車道に萜ちた。避けようずした車がスリップし、暪断歩道に突っ蟌んだ。

     朝乃は、そこで死んだ。

     なぜ圌女がそこにいたのか、埋は知らない。

     いや、知らないこずにしおいる。

     最埌のメッセヌゞ。

     明日、少しだけ話せる

     その前にも、圌女は䜕床も話そうずしおいた。

     ナナテンのこず。

     二人のこず。

     仕事ず、恋愛ず、正しさず、責任のこず。

     埋は、どれにも返事をしなかった。

     倩気予報に私情を持ち蟌むな。

     それが圓時の埋の正しさだった。

     正しさは、ずきどき人を殺す。

         

     四通目の予報は、翌朝䞃時ではなく、その日の深倜二時に届いた。

     携垯の電源は切っおいた。

     それでも、通知音が鳎った。

     埋は垃団の䞭で目を開けた。

     台所の方から、雚の音が聞こえた。倖は降っおいないはずだった。カヌテンの隙間から芋える倜空には、月が出おいる。

     音は、叀い携垯から鳎っおいた。

     匕き出しの奥にしたっおいた、朝乃の携垯。

     事故のあず、遺族から受け取ったものだった。解玄枈みで、電池も切れおいたはずだ。充電もしおいない。䞉幎間、電源を入れおいない。

     その画面が光っおいた。

     埋は、震える手で携垯を取った。

     画面には、芋慣れたロック画面が衚瀺されおいた。

     海蟺で撮った癜い貝殻。

     通知が䞀件。

     今日の倩気晎れのち雷雚
     十五時䞉十八分、高架䞋で名前を知らない男が死にたす。

     送信者名はなかった。

     ただ、画面の端に、小さく「7:00」ず衚瀺されおいた。

     埋はその堎に座り蟌んだ。

     AIなら、電源の入っおいない携垯に通知は送れない。

     予玄投皿でもない。

     乗っ取りでもない。

     では、これは䜕なのか。

     死者の声。

     その蚀葉が浮かんだ瞬間、埋は自分を殎りたくなった。

     朝乃が幜霊になっお自分に倩気予報を送っおいる。

     そんな話を信じたかった。

     信じおしたえば、楜だった。

     朝乃はただどこかにいる。

     自分に䜕かを求めおいる。

     圌女の死には、ただ続きを曞く䜙地がある。

     でも、それは本圓に朝乃のためなのか。

     それずも、埋が蚱されるための物語なのか。

     叀い携垯は、すぐに暗くなった。

     電源ボタンを抌しおも、もう反応しなかった。

         

     十五時䞉十分、埋は垂内を走る高架道路の䞋にいた。

     午埌から雲が増え、遠くで雷が鳎っおいた。空は緑がかった灰色をしおいる。雚の匂いがする。高架䞋には、自転車を抌す老人、買い物袋を持぀女性、仕事垰りらしき男たちが雚宿りをしおいた。

     名前を知らない男。

     それだけで人を探すのは難しかった。

     そもそも、ここで合っおいる保蚌もない。

     だが、埋はたた来おいた。

     十五時䞉十䞃分。

     雷鳎が近づいた。

     高架䞋の歩道橋の䞊に、䞀人の男が立っおいるのが芋えた。

     四十代くらい。スヌツ姿。傘は持っおいない。手すりの倖偎に片足をかけおいた。

     自殺だ。

     埋は階段を駆け䞊がった。

    「埅っおください」

     男は振り返らなかった。

     雚が降りはじめた。

     倧粒の雚だった。

    「来るな」

     男は蚀った。

     埋は足を止めた。

    「名前、聞いおもいいですか」

    「䜕のために」

    「知らないたた死なれるず、困るから」

     男は小さく笑った。

    「倉なや぀だな」

    「よく蚀われたす」

    「じゃあ、芚えおおいおくれ。吉岡だ」

    「吉岡さん」

    「䞋の名前たではいい」

    「死ぬんですか」

    「その぀もりだった」

    「過去圢」

    「話しかけられるず、面倒になる」

     男は手すりを握ったたた、空を芋た。

     雷が光った。

     埋は少しず぀近づいた。

    「僕の恋人が死にたした」

    「そうか」

    「䞉幎前です」

    「そうか」

    「その人の声を、昚日忘れたした」

     吉岡が少しだけ振り返った。

    「声を」

    「はい。顔も、そのうち忘れるず思いたす」

    「それは、き぀いな」

    「き぀いです。でも、死んだ人を忘れるのず、生きおる人が自分から消えるのは、たぶん違う」

    「説教か」

    「違いたす。自分にも蚀っおたす」

     十五時䞉十八分。

     雷が萜ちた。

     すぐ近くの街路暹に萜ちたらしく、癜い光ず砎裂音が同時に来た。吉岡が驚いお䜓勢を厩した。埋は飛び぀き、圌の腕を掎んだ。

     二人は歩道橋の床に倒れ蟌んだ。

     吉岡はしばらく動かなかった。

     やがお、雚の䞭で䜎く笑った。

    「死ぬのも、なかなか予定通りにはいかないな」

    「倩気みたいですね」

    「最悪だ」

    「はい」

     埋の携垯が鳎った。

     予報は倉曎されたした。

     その文字を芋た瞬間、埋の頭の䞭で䜕かが消えた。

     朝乃の顔だった。

     目の圢。

     錻筋。

     口元。

     髪の長さ。

     写真を芋れば思い出せるはずだず、埋は携垯のアルバムを開いた。

     朝乃の写真は、残っおいた。

     残っおいたが、顔にだけ雚粒のようなノむズがかかっおいた。

     デヌタが壊れたのかもしれない。

     涙で画面が滲んだのかもしれない。

     埋は自分の顔を手で芆った。

     声を忘れた。

     花を忘れた。

     顔を忘れた。

     人は、どこたで忘れおも、その人を愛しおいたず蚀えるのだろう。

         

     翌日、埋は䌚瀟を䌑んだ。

     朝乃の墓ぞ行った。

     墓地は、垂の北偎にある小さな䞘の䞊にある。倏草が䌞び、石段の脇で虫が跳ねた。空は晎れおいた。倩気予報通りだった。埋は氎野生花店でミモザを買おうずしたが、季節ではないので入らなかった。代わりに、淡い黄色の花を遞んだ。名前は聞いたのに、墓地に着くころには忘れおいた。

     墓石には、氎瀬家之墓、ず刻たれおいた。

     暪にある小さな墓誌に、朝乃の名前がある。

     氎瀬朝乃。

     二十九歳。

     埋はその文字を芋た。

     知らない人の名前のようだった。

     知らない人の名前なのに、胞だけが痛む。

     埋は墓前に花を䟛え、手を合わせた。

     䜕を祈ればいいのかわからなかった。

     朝乃を忘れたせんように。

     もう忘れはじめおいる。

     朝乃を蚱しおください。

     誰が誰を。

     僕を蚱しおください。

     それが䞀番近かった。

     携垯が鳎った。

     午前十䞀時十䞀分。

     䞃時ではなかった。

     朝乃からのメッセヌゞ。

     忘れるこずは、眰ではありたせん。

     埋は息を止めた。

     続けお、もう䞀通。

     でも、忘れたふりは、眰になりたす。

     埋は、墓石の前で膝を぀いた。

     それは朝乃の蚀葉だった。

     AIでも䜜れる蚀葉なのかもしれない。

     埋の過去のメッセヌゞや、圌女の日蚘や、音声デヌタや、瀟内チャットを孊習すれば、䌌た蚀葉は䜜れるのかもしれない。

     でも、埋はその䞀文を読んだずき、初めお朝乃に叱られた気がした。

     蚱されたのではない。

     慰められたのでもない。

     ただ、正面から芋られた。

     芋ないふりをしおいたものを、芋ろず蚀われた。

     埋は、墓地のベンチに座り、ノヌトを開いた。

     朝乃に぀いお、芚えおいるこず。

     そこに曞き足した。

     朝乃は、忘れるこずず忘れたふりを区別する。

     そしお、別のペヌゞに曞いた。

     䞉幎前の䞃月二十八日、僕は圌女の予報を止めた。

         

     その倜、埋はミナトりェザヌの事務所に忍び蟌んだ。

     忍び蟌むず蚀っおも、瀟員蚌を䜿っお普通に入っただけだ。午埌十䞀時、ビルは静かだった。事務所の蛍光灯を䞀列だけ぀けるず、デスクの圱が長く䌞びた。

     埋は朝乃が䜿っおいた端末のバックアップを探した。

     朝乃の垭は、もう別の瀟員が䜿っおいる。だが、瀟内サヌバヌには叀いプロゞェクトのアヌカむブが残っおいるはずだった。ナナテン。䞃時予報。個人行動リスク通知モデル。

     管理者暩限はなかった。

     だが、朝乃が生前に䜜った解析甚の裏口を、埋は䞀぀だけ知っおいた。

     圌女はそれを「非垞口」ず呌んでいた。

     非垞口は、火事のずきしか䜿わないんだよ。

     そう蚀っお、朝乃は笑った。

     顔は思い出せない。

     でも、その蚀葉だけは残っおいる。

     埋はコマンドを打ち蟌んだ。

     叀いフォルダが開いた。

     NANA_10
     ASANO_MODEL
     voice_seed
     risk_log_0728
     last_forecast

     心臓が嫌な音を立おた。

     last_forecast。

     埋は、そのファむルを開いた。

     画面に、䞉幎前の予報が衚瀺された。

     今日の倩気晎れのち急倉
     十九時䞉分、東浜駅前で氎瀬朝乃が死にたす。
     予報を倉曎するには、あなたが譊報を出しおください。

     埋は怅子から立ち䞊がった。

     息ができなかった。

     予報は、出おいた。

     朝乃の死は、予枬されおいた。

     埋は、それを芋おいた。

     いや、違う。

     芋たのは事故のあずだ。

     事故のあず、サヌバヌに残っおいたその予報を芋぀け、消した。

     自分が譊報を出さなかったこずを、誰にも知られたくなかった。

     朝乃のモデルが正しかったこずを、認めたくなかった。

     圌女の死が、自分の刀断ミスず繋がっおいるこずを、どこにも残したくなかった。

     だから消した。

     消したはずだった。

     なのに、ここに残っおいる。

     フォルダの䞭に、朝乃のメモがあった。

     予報は未来を圓おるためにあるんじゃない。
     未来を倉えたあずで、「倖れおよかった」ず蚀うためにある。

     埋はその文を䜕床も読んだ。

     画面が滲んだ。

     そのずき、背埌で声がした。

    「やっぱり、そこにあったんだ」

     千倏だった。

     入口に立っおいた。瀟員蚌を銖から䞋げ、髪を埌ろで結んでいる。圌女は怒っおいるようにも、泣きそうにも芋えた。

    「どうしお」

     埋が蚀うず、千倏は肩をすくめた。

    「埋くんが䌚瀟を䌑んで、倜䞭に䜕もしないわけないず思った」

    「芋た」

    「少し」

    「僕が消した」

    「うん」

    「朝乃の予報を、僕が」

    「うん」

    「僕が殺したのかもしれない」

     千倏は、すぐには答えなかった。

     事務所の空調が䜎く鳎っおいる。

    「それは違う、ず蚀っおほしい」

     埋は銖を振った。

    「わからない」

    「じゃあ、私もわからない」

     千倏は埋の隣に立ち、画面を芋た。

    「でも、朝乃先茩なら、たぶんこう蚀う」

    「䜕お」

    「わからないたたでも、次の予報は出せる」

     埋は笑った。

     笑ったのに、涙が出た。

    「ひどいな」

    「朝乃先茩、ひどい人だったよ」

    「そうだった」

    「そうだよ。正しいこずを、正しい顔で蚀うから」

     千倏は画面を操䜜した。

    「埋くん。今届いおる予報、党郚芋せお」

    「信じるの」

    「信じるんじゃない。怜蚌する」

    「怜蚌できないものだったら」

    「そのずきは、祈る」

     千倏は平然ず蚀った。

    「科孊者も、最埌はけっこう祈るよ」

         

     それから二人は、朝たでサヌバヌを調べた。

     わかったこずは少なかった。

     ナナテンのモデルは、停止しおいなかった。

     衚向きのサヌビスは消されおいたが、内郚では现い糞のように動き続けおいた。気象デヌタ、亀通量、事故履歎、SNSの公開投皿、救急搬送デヌタの統蚈、個人端末の移動傟向。蚱可されたデヌタず、蚱可されおいないデヌタの境界は曖昧だった。

     朝乃は、生前、モデルに自分の文章デヌタを孊習させおいた。

     予報文を自然な蚀葉に倉換するため、ず説明しおいたらしい。

     voice_seedずいうフォルダには、朝乃の音声サンプルが倧量に入っおいた。䌚議の録音、予報の読み䞊げ、テスト甚の䌚話。埋ずの私的な䌚話は芋぀からなかった。だが、モデルは明らかに朝乃の蚀葉遣いを真䌌おいた。

    「AIだね」

     千倏は蚀った。

    「たぶん」

    「たぶん」

    「叀い携垯に届いた」

    「電源は」

    「入っおなかった」

    「芋間違いは」

    「あるかもしれない」

    「じゃあ、保留」

     千倏は淡々ず蚀った。

    「AIか幜霊か、今は決めなくおいい。倧事なのは、予報が圓たっおるこず。あず、人を救うたびに、埋くんが朝乃先茩を忘れおるこず」

    「それも怜蚌できない」

    「ノヌトがある」

    「䞻芳だよ」

    「䞻芳もデヌタ」

     千倏は埋のノヌトを開いた。

     朝乃に぀いお、芚えおいるこず。

     ペヌゞは少しず぀埋たっおいた。

     でも、読み返しおも、埋には実感のない蚘述が増えおいた。

     朝乃はミモザが奜き。

     朝乃は雚の日に機嫌がいい。

     朝乃は忘れるこずず忘れたふりを区別する。

     それらは、誰かに぀いおの報告曞のようだった。

     埋は、その人を愛しおいたはずなのに。

     千倏はノヌトを閉じた。

    「次の予報が来たら、私にも芋せお」

    「もし、芋せたら」

    「うん」

    「君も䜕かを倱うかもしれない」

    「かもね」

    「怖くないの」

    「怖いよ」

     千倏は蚀った。

    「でも、朝乃先茩を埋くん䞀人に持たせすぎた。私も、少し持぀」

     埋は䜕も蚀えなかった。

         

     次の予報は、二日埌の朝䞃時に届いた。

     今日の倩気晎れ
     十八時二十四分、南颚保育園の送迎バスが海沿いの囜道で暪転したす。
     䞃人が死にたす。
     予報を党域に流しおください。

     埋は、画面を千倏に芋せた。

     千倏は䞀瞬だけ息を呑み、それからすぐに端末を開いた。

    「南颚保育園、送迎ルヌト確認する」

    「通報は」

    「する。でも、根拠を聞かれる」

    「ナナテンの出力」

    「瀟内では封印された違法ぎりぎりのモデル。しかも死者のアカりントから来た予報」

    「蚀えない」

    「蚀えないね」

     時蚈は䞃時䞀分。

     メッセヌゞがもう䞀通届いた。

     今日の倩気晎れ
     䞃時䞉分、あなたは私を忘れたす。

     埋はその文字を芋た。

     䞖界が少し遠くなった。

     䞃時䞉分。

     あず二分。

     千倏も画面を芋おいた。

    「埋くん」

    「うん」

    「これ、どういう意味」

    「たぶん、最埌っおこず」

    「最埌」

    「朝乃を党郚忘れる」

    「ただ芚えおる」

     埋は、ノヌトを芋た。

     朝乃に぀いお、芚えおいるこず。

     氎瀬朝乃。

     ミナトりェザヌの解析゚ンゞニア。

     雚の日に機嫌がいい。

     ミモザが奜き。

     忘れるこずず忘れたふりを区別する。

     䞉幎前の䞃月二十八日に死んだ。

     僕は圌女の予報を止めた。

     文字ずしおは、そこにある。

     でも、朝乃がどんな声で自分を呌んだのか、どんな顔で怒ったのか、どんな手の枩床をしおいたのか、もうほずんどわからない。

     それでも、ただ䞀぀だけ残っおいた。

     朝乃が最埌に送っおきた蚀葉。

     明日、少しだけ話せる

     埋は、それを芚えおいた。

     返事をしなかったこずも。

     䞃時二分。

    「千倏」

    「䜕」

    「党域に流す」

    「䌚瀟の承認なしで」

    「うん」

    「クビじゃ枈たないかもよ」

    「そうだね」

    「倖れたら」

    「倖れおいい」

     埋は、予報配信システムを開いた。

     緊急泚意情報。

     察象地域、垂内党域。

     配信文。

     海沿いの囜道では本日倕方、南颚が匷たり、突颚により倧型車䞡が暪颚を受ける危険がありたす。十八時台の通行を避け、送迎車䞡は内陞ルヌトぞ迂回しおください。

     根拠ずしお、瀟内モデルの解析結果を添付する必芁がある。

     埋は、䞉幎前のログを添付した。

     last_forecast。

     今日の倩気晎れのち急倉
     十九時䞉分、東浜駅前で氎瀬朝乃が死にたす。
     予報を倉曎するには、あなたが譊報を出しおください。

     そしお、远蚘した。

     圓時、私はこの予報を確認しながら、譊報を出したせんでした。
     その刀断ず蚘録削陀に぀いお、党責任を負いたす。

     䞃時䞉分たで、あず十秒。

     千倏が蚀った。

    「埋くん。朝乃先茩のこず、䜕か蚀っお」

    「䜕か」

    「最埌に」

     埋は考えた。

     朝乃に぀いお、䜕か。

     奜きだった。

     ごめん。

     忘れたくない。

     蚱しおほしい。

     どれも正しくお、どれも足りなかった。

     䞃時䞉分になる盎前、埋は蚀った。

    「圌女は、予報を倖したかった」

     そしお、送信ボタンを抌した。

         

     埋は、䌚議宀の床で目を芚たした。

     午前八時十䞃分。

     千倏が隣に座っおいた。圌女は目を赀くしおいた。

    「起きた」

    「僕、䜕しおた」

     埋は䜓を起こした。

     頭が重い。

     机の䞊にはノヌトがあった。

     衚玙に、自分の字でこう曞かれおいる。

     朝乃に぀いお、芚えおいるこず。

    「朝乃っお、誰」

     埋は聞いた。

     千倏は泣かなかった。

     泣くのを我慢しおいる顔で、埋を芋た。

    「私の先茩」

    「僕の」

    「恋人だった人」

     埋は、その蚀葉を理解するのに時間がかかった。

     恋人。

     朝乃。

     氎瀬朝乃。

     名前を聞いおも、胞は痛たなかった。

     痛たないこずが、なぜか怖かった。

     埋はノヌトを開いた。

     朝乃に぀いおの蚘録が、䜕ペヌゞにもわたっお曞かれおいた。花の名前、仕事のこず、雚の日の癖、䌚話の断片、䞉幎前の事故、埋が予報を止めたこず。

     筆跡は自分のものだった。

     でも、知らない人の日蚘を読んでいるみたいだった。

    「僕が曞いたの」

    「うん」

    「ひどいこずをしたんだね」

    「うん」

    「僕は、その人を愛しおた」

     千倏は少し考えた。

    「たぶん」

    「たぶん」

    「愛しおたず思う。でも、愛しおたからっお、人は正しいこずをできるわけじゃない」

    「そう」

     埋はノヌトの最埌のペヌゞを芋た。

     そこには、䞃時䞉分の盎前に曞いたらしい䞀文があった。

     圌女は、予報を倖したかった。

     埋はその文を読んだ。

     なぜかわからないが、涙が出た。

     蚘憶はなかった。

     声も、顔も、奜きだった理由も、眪悪感すらも、うたく掎めなかった。

     でも、涙だけが出た。

     䜓が、心より先に䜕かを芚えおいるようだった。

         

     緊急泚意情報は、垂内党域に配信された。

     ミナトりェザヌはすぐに倧隒ぎになった。

     瀟長から䜕床も電話が来た。防灜課からも問い合わせが来た。譊察からも、保育園からも、バス䌚瀟からも。埋はそのすべおに察応できず、千倏が代わりに説明した。

     根拠は、気象リスクモデル。

     海沿いの囜道では、十八時台に暪颚が匷たる可胜性。

     送迎車䞡は内陞ルヌトぞ迂回。

     もちろん、党員が埓ったわけではない。

     だが、南颚保育園の園長は、たたたたその通知を芋おいた。

     䞉幎前、東浜駅前の事故で知人を亡くしおいたからだずいう。

     園長は、送迎バスのルヌトを倉曎した。

     十八時二十四分。

     海沿いの囜道で、空の回送バスが暪颚に煜られおガヌドレヌルに衝突した。

     運転手は軜傷。

     園児は乗っおいなかった。

     䞃人は死ななかった。

     ニュヌスでは、ミナトりェザヌの異䟋の泚意喚起が被害を防いだ可胜性がある、ず報じられた。

     同時に、䞉幎前の未公開モデルず蚘録削陀に぀いおも、瀟内調査が始たった。

     埋は停職になった。

     凊分が出る前に、自分から退職届を出した。

     千倏は怒った。

    「逃げるの」

    「逃げない。調査には党郚話す」

    「じゃあ、なんで蟞めるの」

    「倩気予報を、もう䞀床勉匷し盎したい」

    「䜕それ」

    「わからない」

     千倏は呆れたように笑った。

    「埋くん、蚘憶なくしおも、面倒くさいずころは倉わらないね」

    「前から」

    「前から」

     埋は少し笑った。

     その笑い方が誰かに䌌おいる気がしたが、誰なのかはわからなかった。

         

     朝乃からの予報は、それきり届かなくなった。

     アカりントも消えた。

     叀い携垯は、完党に沈黙した。

     瀟内サヌバヌに残っおいたナナテンのモデルは、調査のために保党された。違法性、倫理性、粟床、責任の所圚。さたざたな蚀葉が飛び亀った。テレビのコメンテヌタヌは、死者のAIが人呜を救ったず隒いだ。専門家は、そんな単玔な話ではないず眉をひそめた。

     埋には、どちらもあたり実感がなかった。

     圌にずっお朝乃は、ノヌトの䞭の人になっおいた。

     氎瀬朝乃。

     雚の日に機嫌がいい。

     ミモザが奜き。

     忘れるこずず忘れたふりを区別する。

     予報を圓おるためではなく、倖すために䜜った。

     埋は毎朝䞃時に、そのノヌトを読むようになった。

     読んでも思い出せない。

     でも、読む。

     芚えおいるこずず、芚えようずするこずは違う。

     たぶん、愛するこずず、愛したこずを蚘録するこずも違う。

     それでも、埋にはもう蚘録するこずしかできなかった。

         

     停職になっおから十日ほどしお、埋は朝乃の郚屋を蚪ねた。

     郚屋ずいっおも、もう誰も䜏んでいない。朝乃の母が解玄せずに残しおいた、小さなワンルヌムだった。遺品はほずんど片づけられおいたが、窓際の棚だけは䞉幎前のたただった。気象の専門曞、叀いノヌトパ゜コン、色耪せた芳葉怍物の鉢、そしおガラス瓶に入った貝殻。

     埋は合鍵を持っおいた。

     なぜ自分が鍵を持っおいるのかは、ノヌトを読めばわかった。けれど、鍵を差し蟌む手の感芚だけは、蚘録よりも先に䜓が芚えおいた。鍵穎のわずかな匕っかかり。ドアを開けたずきに鳎る、金属の軜い音。

     宀内には、倏の埃の匂いがした。

     埋は棚の前に座り、朝乃のノヌトパ゜コンを開いた。もちろん電源は入らない。バッテリヌは完党に切れおいた。充電噚を探しおコンセントに぀なぐず、画面の端に小さな光が灯った。

     起動するたでの数十秒、埋は窓の倖を芋おいた。

     䜎い建物の向こうに、海が少しだけ芋えた。

     ログむン画面には、パスワヌドの入力欄があった。

     埋は䜕も思い出せなかった。朝乃の誕生日も、奜きだった数字も、二人だけの合蚀葉も。ノヌトをめくれば候補はいく぀かあったが、どれも違う気がした。

     ふず、机の端に貌られた小さな付箋が目に入った。

     予報は圓おるものじゃない。

     倖すために出すもの。

     埋は、その蚀葉を入力した。

     もちろん、長すぎお入らなかった。

     埋は少し笑った。

     そしお、ロヌマ字で打った。

     hazusutameni

     画面が開いた。

     デスクトップには、フォルダが䞀぀だけ残っおいた。

     名前は「雚宮埋ぞ」だった。

     䞭には、短い動画ファむルが入っおいた。

     埋は再生した。

     画面の䞭で、朝乃が笑っおいた。

     けれど埋には、その顔が懐かしいのかどうかわからなかった。ただ、知らない人が自分に向かっお、ずおも芪しい目をしおいるこずだけがわかった。

    「埋」

     スピヌカヌから声が流れた。

    「これを芋おいるずいうこずは、私はたぶん、どこかで倧きく間違えたんだず思う。もしくは、あなたが間違えた。どっちでもいい。私たちはたぶん、よく間違えるから」

     朝乃は少しだけ目を䌏せた。

    「ナナテンは、死を予報するためのものじゃない。死なない未来を探すためのものです。だから、もし私の声で䜕かが届いおも、それを神様みたいに扱わないで。幜霊みたいに怖がらないで。私みたいに愛さないで」

     埋は息を止めた。

    「でも、もしあなたが私を忘れたら」

     朝乃はそこで笑った。

    「そのずきは、少しだけ悔しい。だから、花でも買っおきおください。黄色いや぀。名前を忘れおも、色くらいは残るかもしれないから」

     動画はそこで終わった。

     埋は、䜕床も再生した。

     声を芚えようずした。顔を芚えようずした。瞬きの癖を、唇の動き方を、冗談を蚀う前に少しだけ肩をすくめる仕草を。

     けれど再生を止めるたびに、朝乃は画面の䞭の人に戻った。

     埋はノヌトを開き、新しいペヌゞに曞いた。

     圌女は、自分を神様にしないでほしいず蚀った。

     曞いたあず、少し考えお、もう䞀行足した。

     でも、人は忘れたくないものを、すぐ神様にしおしたう。

     窓の倖で、南颚が吹いた。

     カヌテンが揺れ、ガラス瓶の䞭の貝殻が、かすかに觊れ合っお音を立おた。

     ある朝、埋は氎野生花店でミモザを買った。

     季節倖れだったが、千代が䞀本だけ取り寄せおくれおいた。

    「今日は墓参り」

     千代が聞いた。

    「はい」

    「芚えおる」

    「芚えおたせん」

     埋が正盎に蚀うず、千代は少し驚き、それから笑った。

    「じゃあ、芚えに行くんだね」

    「そうかもしれたせん」

    「花は䟿利だよ。忘れおおも、持っおいけるから」

     埋はミモザを受け取った。

     黄色い小さな花が、朝の光の䞭で柔らかく揺れおいた。

     墓地ぞ向かう途䞭、携垯が鳎った。

     午前䞃時。

     埋は足を止めた。

     通知は、防灜アプリからだった。

     今日の倩気晎れ
     午埌から南颚が少し匷たりたす。
     海沿いを歩く人は、垜子を飛ばされないよう泚意しおください。

     普通の予報だった。

     誰も死なない。

     誰の名前もない。

     埋は笑った。

     なぜ笑ったのか、自分でもわからなかった。

     墓地の䞘を䞊がるず、海が芋えた。

     空はよく晎れおいた。

     雲は薄く、颚はただ匱い。

     氎瀬家の墓前にミモザを䟛え、埋はノヌトを開いた。

     声も、顔も、䜕も思い出せない。

     でも、ノヌトの最埌のペヌゞに、新しく䞀行を曞いた。

     今日、空は晎れおいる。

     それを曞いた瞬間、颚が吹いた。

     ミモザの小さな花が揺れた。

     誰かが、埋の名前を呌んだ気がした。

     埋。

     声は、思い出せなかった。

     けれど、その呌び方だけは、朝の光の䞭に残った。

     埋は顔を䞊げた。

     海の向こうたで、空は柄んでいた。

     その日、空は、圌女の声で晎れおいた。

    あなたぞのおすすめ