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OBSERVER(オブザーバー)|EPILOGUE 春

    EPILOGUE 春


    春だった。監査局前の並木道。
    花壇には白いマーガレットが咲き、その隣では青い小さなネモフィラが不規則な風に揺れていた。

    七海は足を止め、空を見上げた。
    世界は少しだけ騒がしくなった。事故も起きるし、予測は頻繁に外れる。完璧からは程遠い。だけど、ひどく人間らしい街並みだった。

    古い職員名簿の、ある一箇所。
    《久瀬透》というその三文字だけが、まるでインクを溢したように薄く滲んで読めなくなっている。それでも、七海の脳裏には、あの灰色の瞳がくっきりと残っていた。

    監査局の入口を通り抜ける。
    新しい職員証が、七海の胸元で静かに揺れた。

    【観測誤差対策課 課長:相馬七海】

    御影が最後に遺した提言から生まれた、新しい部署。かつて最適化の数値を掲げていた上層部たちは、もうここにはいない。彼らが座っていた冷たい席には今、予測の狂いという人間の揺らぎに泥臭く向き合う職員たちが座っている。

    「相馬課長、すみません!」
    後ろから足音が響く。配属されたばかりの新人職員が、息を切らせて端末を差し出してきた。
    七海は振り返る。
    「どうしました?」
    「予測モデルの誤差が、また、感知できないレベルで増大しています。これでは予定が……」
    おろおろと慌てる新人の顔を見て、七海はふっと悪戯っぽく笑った。
    「いいことですよ」
    「え?」
    新人は困惑する。

    七海は制服のポケットから小さなキャットフードの袋を取り出した。監査局の敷地内にいつの間にか住み着いた、一匹の野良猫にそっと差し出す。
    新人がさらに目を丸くした。
    「課長、敷地内での給餌は規則違反です!」

    「そうですね」
    七海は全く悪びれずに笑う。個人の体型に合わせて最適化された制服。その袖口を指先で少しだけつまみながら、窓の外を見つめた。

    交差点で、誰かが笑っている。
    その向こうで、誰かが派手につまずいて転んだ。
    一匹の猫が気ままに道路を横切る。
    歩行者信号が、本来の予定よりも二秒ほど遅れて、ゆっくりと青に変わった。

    新人が慌てて端末を叩いている。
    それを見つめながら、七海だけが、静かに笑った。

    「今日も、誤差ですね」

    春の風が、優しく吹いた。




    #創作大賞2026
    #ミステリー小説部門


     
     
     
    社会と感情の境界を書いています。 ミステリー小説/エッセイ 『OBSERVER』完結(2026年7月8日改稿済み)

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