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癒しの桜島、母ずの最期の二幎間、魂に刻たれた黄金の蚘憶

    レむ

    人の子䟛ず共に生きおきおやっず萜ち着いたころ、奄矎倧島にいる母の具合が悪いず連絡がありたした。心が痛みたした。母にはお䞖話になるだけで恩返しをしおなかったのです。居おもたっおもおられず母に䌚いたい䞀心で奄矎倧島に垰りたした。

     さかのがれば嚘が歳、次男が歳、長男が歳のずきに離婚をしたした。自分の収入だけでは足らず母からの仕送りが生掻の支えになっおいたした。段ボヌルを開けるず、スパゲッテむヌ、ラヌメン、也燥うどん、わかめや昆垃、干ししいたけや高野豆腐、魚の日干し、猶詰、調味料、旬の野菜や果物、子䟛たちぞのお菓子、そしお手玙の䞭に入れられおいたお金、母の痛いほどの気持ちが䌝わっおくるのです。この仕送りは幎続いたのです。

     ただ小さい子䟛たち、離婚した時に子䟛たちの為に生きようず心を決めたのです。わき目もふらず仕事ず家の埀埩の日々を重ねたした。嚘が短倧を卒業した埌、私は燃え尜き症候矀に眹ったのです。嚘が二十歳になるたで芪の責任を果たさなければずの思いで必死に生きおきたので、ホッしたず同時に、心の䞭にぜっかり穎が開いおしたったのです。匵り詰めおいた心の糧が倖れ軞を芋倱いフワフワずした状態が続きたした。
     そんな私を心配しおくれた友達が自分の所においでず誘っおくれたした。私は友達の所に匕っ越しをしたした。このたたここにいたら病状が悪化するず思ったからです。子䟛たちは自立をしおいたすので倧䞈倫だったのです。
     友達の家は桜島で広倧な土地を所有し、桜島倧根を䜜っおいる蟲家です。桜島倧根の皮たきは月から始たり、収穫は月の埌半から月たでです。蟲䜜業をするこずで少しづ぀病状が良くなっおいきたした。皮をたき倧根の芜がでるたでの䞀週間の思い出が匷烈に残っおいたす。

     䞀人ず぀畑を割り圓おられ朝から倕方たで鳩の番をしたす。雚の日は傘をさしお鳩の番をしたす。朝の時ごろにお匁圓を持ち畑に行きたす。ただ真っ暗で足元さえ芋えたせん。懐䞭電灯の光だけが頌りです。鳩もただ来おいないシヌンずした静けさの䞭に時折、山から唞るように聞こえおくる颚の音だけがぶきみに響いおいたす。時間の経過ず共に朝焌けの幕が開き、壮倧な色のパフォヌマンスが始たりたした。蒌を背景に赀色、オレンゞ色、金色、優しいピンク色、、空のキャンバス床の隅々たで色、色、色のオンパレヌド、瞬きを忘れるぐらい䞀瞬䞀瞬の茝き、舞台をたった䞀人で借りきり、莅沢の極みを味わい尜くしおいる倢のようなひずずき、我を忘れお魅入っおしたいたす。時間は容赊なく過ぎお行っおしたいたす。い぀のたにかカラフルな色のショヌは終わっおいたした。だんだんず明るくなっおきたした。山の皜線がはっきり芋えたす。呚囲の緑が生き生きず光っおいたす。今日から自然いっぱいのこの堎所で鳩ずの戊いが始たりたす。ファンファヌレは高らかに響き枡りたす。折角、苊劎しお撒いた皮を鳩がくちばしで掘り起こし食べるのです。ここぞずばかりにこの堎所を目指しお食べにくるのです。毎幎の月に倧根の皮が食べられるずいう鳩の頭にはむンプットされおいるようです。鳩が来たらあらん限りの倧声を出しお鳩を远っ払いたす。それでも逃げない鳩に倪錓を鳎らしたり、远いかけたりしたす。原始的な鳩ずの戊いです。呚囲には誰も居たせん。たった䞀人です。倧きな声を出したり、倪錓を鳎らしおも誰にも聞こえないのです。その攻防が䞀日䞭続くのです。

     長い䞀日の終わりに䜓も心も癒しおくれる時間が始たりたした。倕焌けです。朝焌けずは違い、空の碧が少し物悲しく、倪陜の茝きも少しオブラヌトにくるたれ、控えめなオレンゞ色が呚りを包み、優しく母に抱かれおいるような郷愁を感じさせおくれる懐かしい時間。空が少しず぀暗くなり、黄金の光が䞀瞬茝きたす。マゞックアワヌです。䞀人の人間が生きおきた蚌の最埌を食るような祝犏の光。人は自然ず共にあり、心を自然に寄り添わせたら、たくさんの気づきを頂けるのです。マゞックアワヌが終わったら畑に迎えの車が到着したす。その時間には鳩は自分の寝床に垰るのです。

     桜島の優しい人達に甘え、䞀緒に蟲䜜業をしお、䞀緒に食事をしお、い぀の間にか心も身䜓も元気になっおいきたした。桜島ずいう雄倧な自然の懐で奇跡のような時間を過ごした日々はかけがえのない人生の宝物になっおいたす。

     桜島から戻り、元の職堎に埩垰し順調に仕事をしおいたある日、奄矎の兄から母の具合が悪く病院に入院したず連絡がきたした。私は母を最期たで看る気持ちで奄矎倧島に垰りたした。これでやっず芪孝行ができるチャンスを頂けたこずに感謝したした。病院の家族が泊たれる郚屋に寝泊たりをしお母に付き添いたした。母の退院ず共に䞀緒に家に戻りたした。

     野菜が苊手な母に新鮮な野菜を食べお欲しくお荒れおいた畑を敎備し、完党無蟲薬の野菜䜜りに取り組みたした。蚭蚈図を曞き、むノシシが入っおこないように畑の回りを朚の柵で囲み、颚の方向を考え畝を立お、畑の瞁の䞀぀にハヌブを怍え、もう䞀方に花を怍えたした。奄矎倧島では日ず日に必ず墓参りをする習わしがありたす。そのためにはどの畑にも花が怍えられおいるのです。完党無蟲薬の野菜を䜜るためにはコンパニオンプランツの方匏が最適です。コンパニオンプランツずは虫が奜む野菜ず嫌いな野菜を亀互に怍えおいくやり方です。倧根ず人参、キャベツずレタス、いちごの根元にはネギを怍えたす。畝の䞭心には虫が嫌いなマリヌゎヌルドを怍えおいきたす。集萜の人達が怍えたこずがないルッコラやバゞル、珍しい野菜をたくさん怍えたので私の畑は集萜の人たちの散歩コヌスの䞀぀ずなりたした。母の介護をしながらですので限られた時間ではありたしたが芋ごたえのある畑になりたした。呜あるものは心を蟌めお育おたら確実に通じたす。きゅうりの苗本から本以䞊のきゅうりが取れたした。ミニトマトの本の苗はゞャングル化しお食べおも食べおも远い぀かないぐらいに実りたした。このミニトマトをケチャップにしたり、トマトオむルを䜜ったり、ドラむトマトにしたり、䞻人公のミニトマトは倧掻躍です。田舎ではおすそ分けの文化がありたす。倕食を少し倚めに䜜り近所に配ったり、珍しいおや぀も䜜っお配ったりしたした。そんな毎日をおくりながら母の䜓調に心を配り、調子の良い時は車むスで散歩がおらに畑を芋おもらったり、家の正面にある海に連れおいったり、母の笑顔が介護する喜びでした。

     母は倧正生たれの優しい人でした。集萜に保育園が無かったので圹堎ず掛け合い保育園を立ち䞊げ先生になりたした。集萜の子䟛たちの将来を考えおいたからです。
     そんな母に育おおもらったのに私は飜き性で仕事が長続きしたせんでした。母に盞談したらあなたは仕事に恵たれおいるのね、次から次ぞず仕事に出䌚っおいるからず、おっきり文句を蚀われるず思っおいたので反察の蚀葉を蚀われたのでびっくりしたした。ざわざわしおいた心が開攟され掻力が生たれたした。私も母のような人の心に届く蚀葉を䜿おうず意識したした。そしお倩性の仕事に出䌚いたした。飜き性だった私が幎も同じ仕事を続けおこれたのです。

    母の宝物のような蚀葉はたくさんありたす。印象的な蚀葉を曞かせお頂きたす。蟛い時は胞を抱きしめなさい、心臓の音が聞こえおくるでしょう、人はね、前に向かうようにしか生きられないのよ。その蟛さにも飜きがくるからねず。同じ状態は続かないからず、励たしおいるのです。
     誰かがしおくれる、その誰かはあなたなの、あなたがやるのよ、少しの勇気はいるけど母の蚀葉を実践しおいたら人を助ける堎面に出䌚ったり、勇気をだしお蚀わなければならない状況に出䌚ったりしたした。
     そしおもっず印象的なこずは母は盞手を尊重したのです。たずえ子䟛でも。質問をしたら答えを最期たで蚀わないのです。埌は自分で考えなさいず、魂は成長するためにあるので、党郚答えを蚀っおしたったら盞手の魂に倱瀌になるからず、決しお䟝存させなかったのです。

     病院から戻り、幎間はずおも元気で安心しおいたしたが、幎目を過ぎたころから、だんだん食欲が無くなり、䜓をふく床にやせ现っおいく姿に涙をこらえるこずができたせんでした。䞀幎目は私の冗談に倧いに笑い、あんたは毒舌だが楜しかった、ありがずうねず蚀っおくれたりしたのです。
     母は病院が嫌いで口癖のように家で最期を迎えたいず蚀っおいたしたので、母の願い通り延呜措眮なしで家で最埌たで介護をさせお頂きたした。週に回来おくださる先生や看護垫さんのサポヌトを頂き安心しお介護が続けられたのです。母の笑顔が倧奜きでしたので家䞭にお花を食りたした。母は花が奜きでした。瞁偎で居䜏たいを正し花を掻けおいる姿は矎しく、花に察する優しい気持ちがその姿から䌝わっおきおいたのです。

     時間の経過ず共に母の意識がもうろうずしおきたした。
     ある日、私はしゃべれない母の声がはっきり聞こえたのです。名前を呌ばれたした。䞀緒に面倒みおいた兄の郚屋でベルの音が鳎りたした。母は兄を呌ぶずきはい぀もベルを鳎らしおいたのです。兄ず私は今日が母の最埌の日だず解りたした。母が兄ず私にありがずうね、さようならず別れを蚀っおいるのだず思いたした。その倜、午前時に母は息を匕きずりたした。末期の氎をさせおもらいたした。安らかな矎しい死に顔でした。私には母がどの女優よりも矎しく芋えたのです。歳の倧埀生でした。

     最期を共に過ごさせおくれた母に心から感謝したした。頂いた恩を返すにはずおも少ない時間でしたが、心は晎れやかな透明な青色が広がっおいたす。人ずしおどう生きたらいいかを自分の生きる姿勢で教えおくれたした。ただただ母の足元にも及ばないですけど、しっかり心に刻み生きおいきたいず思いたす。おかあさんありがずうございたした。
                                 倩海 瀌花

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門   



     
     
     
    私はれロからの物぀くりが倧奜きです。粘土造圢をしおアクリル絵の具で色付けしたす。䜙った絵の具で玙をなぞったら、明るい雰囲気の堎が出珟したのです。歳の時です。それから絵を描き始めたした。色を間違えたら違和感が起こり、それから心に聞きながら色塗りをしおいたす。

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