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中途半端と生きる

    norico☺︎

    私は中途半端が嫌いだ。

    白黒思考の傾向が強いのは否めない。
    それ故、仕事も友人関係も異性関係も、
    混沌とし出すと、スパッとやめてきた。

    中途半端は身体に毒。
    中途と半端をわざわざ合わせて四字熟語
    にするなんて。
    改めてネガティブな心情、状態に使うことが
    多い言葉だなと思う。

     
      


    ここまで言い切るくせに、
    自分の事は、あらゆる面で中途半端な奴
    だという自己認知が昔からある。

    頭も顔も性格も家柄も。
    飛び抜けてるものはない。

    それが大半と分かってはいるが、
    なんだか納得いかず、そんな自分に
    モヤモヤしていた。

    ディズニー映画に出てくるプリンセスや、
    かわいいお人形を見ると、
    長くて柔らかそうな綺麗な色の髪の毛と、
    自分の真っ黒でコシの強い短めの髪の毛の
    違いに胸を痛ませながら、2階の窓から
    遠くを眺めて、物思いに耽っていたし、

    お勉強もでき、性格もよく、男女共に
    好かれる同級生には憧れる一方、
    自分の哀しみ、もどかしさを縁取り、
    はっきりさせる存在だから、近づくことが
    できなかった。


    自分には足りない、欠けてるが多いと
    感じ始めた自我の芽生えの時期。

    何者かになりたがっていた思春期。

    少しずつ現実を見ながらも、まだその思い
    を引きずり続けて拗れがちだった20代。

    それでも結婚する相手と出会い、共に
    生活を送る中で、自分を好きになろうと
    色々試みた。

    だけど、なかなかしっくりこないし、
    逆に苦しくなる日も多かった。

    ありのままの自分がそもそもよく
    わからないし、わからないのに努力して
    好きになろうとするから、今何を目指して
    いるのか、頭が混乱していた。


    そんな自分が、結局、いつも嫌いだった。




    それでも今振り返ると、これまでの
    時間で経験、努力したことは、決して
    無意味ではなかった気も確かにするのだ。






    子どもが産まれてからは、常に子どもが
    中心にいる。

    その環境は、私に諦め、妥協の大切さを
    教えてくれる。

    考えること、行動することを完全に止める
    ことではなく、理想通りにいかない中で、
    どこまでだったら許せるのか。
    ある意味での、"中途半端な状態"というものへの耐性がついてきたのかもしれない。

    私にとってそれは、かなり大きな進歩だと
    思う。

    何より、中途半端な自分でも受け入れて
    いこうと、無理なく思えるようになったのは、他ならぬ息子の存在があってこそだと
    思う。

    息子から向けられる濁りのない信頼感は、
    このままの自分でもいいんだ、と、人生で
    初めて思わせてくれた。

    大好きだと言葉にして言ってくれるのだ。
    外出先から帰ってきたら、お母さんだ!と
    叫びながら飛び込んできてくれるのだ。

    それがあるから、自分は自分でも、いい
    のかな、と思えるまでになれたのだ。




    中途半端でも、まぁいいのかな。

    そんな余白を大事にしたい。

     
     
     
    地方在住、30代シングルマザーです。 気持ちを言葉にして整理することが、自分の傷を癒すことに繋がっていることに気がついたので、形あるものにして残してみようと思い始めてみました。

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