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「私を完成させて」が聞こえなくなるまで

若い若い頃
まだ、何者でもなくって、
まだ何者にでもなれる
可能性を秘めていた、
あの時の私は、

将来に思いを馳せながら、
こう思っていました。

今は何者でもないけれど、
〇〇すれば、私は完成する。

その〇〇に入るものは、たくさんありました。

才能が認められたら、

仕事で大成功したら、

大金持ちになったら、

好きな人と結婚ができたら、

いい大学に入れたら、

田舎からみる、
広くて高い空にすっぽりと
入るくらいの大きな夢と、
そこに届かない絶望と苦しみの現実。

でも、現実は苦しみだけなんかじゃなくって、
きっとそこそこ、
人から見たら上手く行ってるように、
見えていただろうし、

こうだったらいいのに。
と思ったことが、
次々と叶った時も、
トントン拍子に
上手く行ったこともありました。

でも、いつまでも、
心の奥底に、

「私を完成させて。」
という、あの空を見た時と
同じ幼い頃の、
弱くて脆い乾きが確かにあった。

そして、その心の叫びは、
何をしても静かになることはありませんでした。

そうすると、

学歴も、
友人も、
憧れの仕事も、
人脈も、
立派な住む家も、
お金も、

手に入れれば入れるほど、
おかしなことに、
欠乏感が生まれることがありました。

手に入れたら、
また、別の違うもので、
「私を完成させて」もらおうと、
していたんです。

そこで、
そのことに途中で気づいた私は、

私は、最初から完成している。

だから、完成したと思い込んで、
何かを手にしたように生きてみたらいい。

そう、頭でっかちに考えながら、
生きてみたこともありました。

それでも、しばらくすると、
またしっくりと来なくなったんです。

今の私は、完成はしていません。

でも、
「私を何かで完成させよう」とは、
もうしていない。

何かが得られるのは、
自分が手を伸ばして、
それを取りに行ったから。

だから、ラッキーをいつまでも待って
勝手に完成させてくれるのを待ちません。

そして、
完成されてない自分のことを、
何かで完成させる意識すら、
もう湧きません。

それすら、不可能であり、
もはや不必要なことを、
もう知ってるから。

あの時に見た、高くて広い空は、
海に光を映しながら、
太陽も、
月も、
毎日違う表情を見せていました。

本当はそれだけで、
思わず立ち止まって、
綺麗だなと思えるような景色だった。

REFRACTAのダイヤは、
あなたが完成された日に
届くダイヤじゃない。

自分で自分に贈るもの。

これからも、天気みたいに、
泣いたり怒ったりすることが、
あるかもしれない。

でも、私はそれすら怖くない。

でもそれは、
無鉄砲な、怖さを省みない
強靭な心だからではなく、

天気が変わるのは当たり前だと知っているから。

そして、それこそが、
ダイヤモンドのような美しさだと知っているから。

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