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内なる召命とともに生きること

わたくしは現在54歳です。かつて、わたくしの人生には大きな二つの危機がございました。(というか、そのひとつは2020年の秋から今に至るまで延々続いております「人生で2番目の底」です) そのひとつは今から22年前、32歳の頃のことです。

当時、わたくしは随分と体調が悪く、大層人生に悲観的になっておりました。先の見えない恋にくるしみ、なんとか自身の人生をよくしたいと願いつつ、日々を生きるだけで精一杯、それに輪をかけて、なかなかお仕事が見つからない状態が長く続き、心身ともに本当に疲弊しきっておりました。そんなとき、わたくしは藁にもすがる思いで飛びついた、あるお仕事がありました。

しかし、そのお仕事は、当時のわたくしにとって、自らの霊的信念とは真逆をゆくものでした。今ならそれなりに世の中が綺麗ごとだけでは成り立ってゆかないことも充分わかっておりますし、「そうした産業」にすがらざるを得ないことも、人生にはままあることも、よく存じ上げてはおります。なので、「そうした産業」を決して否定したりはいたしません。実際、自身もそうした社会的なインフラに助けられたこともございましたし。しかし、当時のわたくしにとって、どうしても「その、ある特定の産業」――というよりも、そこに集まってくる、いわば、人々の想念が恐ろしく、くるしくて仕方がなかったのでした。

けれど、実際、なかなかお仕事が見つからない状態があまりにも長く続くと、四の五の言っていられません。それで、わたくしは自らの、当時の霊的信念には反する、そのお仕事に、思い切って就くことにしたのでした。

そうしてその後暫く、なんとか日々を必死に送ってはいたものの、結局ある日、遂に精神的にわたくしはもうだめだ、と観念いたしました。当時、そのお仕事を突然辞めるのは本当に勇気の要ることでしたし、何よりも、そのお仕事に就くためにお世話になった方々や、職場の上司の方々、同僚の皆さま、ありとあらゆる全てのご関係者さまにご迷惑をおかけしてしまうことになるのは言わずもがな、でした。でも、当時のわたくしにはどうしてもそのお仕事を続けることが出来なかった。なので、ある日、思い切って、「大変申し訳ございません、わたくしにはもうこのお仕事は続けられません」、そう上司の方に申し出ました。ものの見事に即、その場でわたくしはそのお仕事をクビになりました。まぁ、「クビになった」というのは違いますね、自分から退職を申し出たのですから。しかし、今すぐそのお仕事に関するありとあらゆる資料などを全部置いて、ここを退去しなさい、と告げられ、わたくしはそのオフィスを後にいたしました。

最後、そのオフィスの入っていた建物を出たとき、わたくしは、一旦立ち止まり、振り返って、その建物に向かってきっと深々と頭を下げたはずだったと記憶いたしております。それは当然のことでございました。本当に申し訳ないことをした、申し訳ございません、その思いでいっぱいでした。そして、同時に、自らの霊的信念に反し、お金のためとはいえ、そのお仕事に飛びついたことを深く反省いたしました。それから涙が止まらなくなり、とりあえず近くのカフェに逃げ込んだのです。

今でもあの日、あのカフェでぼんやりと外を見つつ、泣きながら何かを飲み、何かを食べていたことを思い出します。前述のとおり、当時のわたくしはもう充分いい年をした大人でしたが、とにかくずっと涙が止まりませんでした。何も先のことは考えられませんでした。

そのまま、まるで魂が抜けたかのように、身体の中のエネルギーがすっからかんになったわたくしは、埴輪のように中身が空っぽになったまま、なんとか電車に乗り、そのまま自宅まで帰りました。電車の中でも、電車を降りてからも、ずっと延々涙が止まらず、やっと家に着いたら、昼間なのに突然帰宅したわたくしに驚く母に何も言わず、2階の部屋へと逃げ込みました。

丁度その日は妹が間もなく3歳になる甥っ子を連れて実家に帰省していた日でございました。母のみならず、妹にも甥っ子にも、わたくしの尋常ならざる気配はすぐに伝わりました。階下から心配して小さな甥っ子が「ねぇね、だいじょうぶぅー?」と大きな声で何度も呼びかけてくれていたことを今でもよく覚えております。そのままわたくしは夕食を食べられず、ただずっと部屋にこもって更に泣き続けました。(後にも先にも、あんなに続けて泣き通したあの日だけです)

その夜、だいぶ遅くなってから、やっとわたくしは部屋を出て階下におり、母に、生まれて初めて「お母さん、わたし、もう死にたいんよ」と泣きながら打ち明けました。何を大げさなことを、と思われるようでしょうが、当時はそのくらい非常に追い込まれていたのです。人生がまるで思うようにいかない、ずっと内なる声を信じて生きてきたはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろう?、何がいけなかったのだろう?、内なる声は神の声ではなかったのか?、わたしはどこで道を誤ってしまったのだろう? そんなことを延々考え、とにかく、それ以上生きてゆく自信をすっかりなくしてしまっておりました。今振り返ると、当時はまだ若かったし、何よりも、わたくしの内面がまだまだ幼かったのだと思います。とにかく、あのときのわたくしは本当に何もかもをなくしてしまい、すっからかん、でございました。

その後、大変ありがたいことに、すぐ単発の派遣のお仕事が見つかり、わたくしは中身が空っぽのまま、なんとかなんとかお仕事に行き始めました。それから、ほどなくして、今度は全く思いがけないことに、自分の理想にぴったりの新しいお仕事に就くことが出来ました。母の前で「死にたい」と打ち明けてから、2年くらいの間はしょっちゅう泣いてばかりおりましたが、それでもなんとかなんとか、日々のいそがしさに追われて、わたくしは少しずつ少しずつ元気を取り戻してゆきました。そして、その新しく就かせていただいた職場で、わたくしにとって、生まれて初めて本当におひととしてのあたたかさ、深い愛情を感じさせてくださった、素晴らしい上司の方とご一緒することが出来、20代後半からずっと、心のどこかで「いつか死んでやる」と恨めしく思い続けていたわたくしが、初めて、「今回の人生をちゃんと最後まで生き切ろう」、そう思えるようになりました。

今、この記事を書いていて、実は今もよく似た状況に追い込まれている自分を改めて振り返ることとなり、正直なところ苦笑するよりほかございません。あれから20年以上経った今もなお、わたくしは同じようなことを繰り返しております。勿論、この22年間で、あのときとは違う、沢山の素晴らしい経験をさせていただいてもまいりましたし、当時のわたくしとは違うということだけは断言出来ます。しかし、客観的に見たなら、全く同じところをぐるぐる回っているかのようなありさまなのです。

ですが、確実にこれだけは言えます。それは、今のわたくしには、ここまで必死に積み重ねてまいった霊的信仰があるということです。スピリチュアリティを、直観を、そして、何よりも、この16年間、必死に学び続けてきたキリスト教の御教えがございます。今のわたくしも、おひとがご覧になられたら、全く望みがないような状態ですが、しかし、今のわたくしは死にたいとは思いません。確かに状況は非常に厳しいし、正直なところ、こんな記事を悠長に綴っている場合ではないのかもしれません。しかし、今のわたくしには神への信仰、自らこれまで血を吐くような思いで積み重ねてまいった霊的な歩みがございます。それらを信頼することしか、今のわたくしには出来ません。

2007年に35歳で突然サイキックに目覚めて以後、直観とリーダーシップという生涯最大のテーマを追いかけ、夢を叶えようと、わたくしはここまで必死に努力してまいりました。勿論、これまた客観的に見たなら、なんの実績もなく、もう充分いい年をした中年のおばさんが壮大すぎる夢を未だに思い描いているだなんて、頭がおかしいと言われても致し方ないことは重々承知いたしております。また、どれだけ頑張っても悉くあらゆることがうまくいかず(いえ、確かに、ところどころ小さな達成感を感じたこともございましたが)、わたくしは自分自身の生き方にすっかり自信をなくし、悉くコンプレックスの塊になっておりました。

しかし、今、ここでこういう記事を書くこと自体、わたくしが夢をあきらめていない証拠です。そして、内なる神、聖なる声が導いてくださったと信じて止まない、身の程知らずな、誠に壮大過ぎる夢をあきらめていない証拠です。そう、わたくしは目の前の現実を冷静に受け止めつつも、己の霊的使命を、直観を、今も心から信じているのです。だからこそ、今もこうしてこの記事を綴っているのです。

内なる声を信じて生きることは決して簡単なことではございません。実際、今のわたくしも正直なところ、ものすごい恐怖と不安に苛まれており、身体は固くなり、呼吸は浅くなり、必死で毎日祈りを捧げているところです。(勿論、現実的な行動もし続けてはおります) それでも、わたくしはやはりこの、自分自身の夢=神への信仰の証、なのであり、わたくしの人生まるごとが、神に与えられた聖なる夢そのものでもあるのですから、何があっても、この夢をあきらめることは絶対に出来ません。

おひとからご覧になられたら、きっと愚かなこととさぞお笑いになられることかと存じます。しかし、今日もまたこうして記事を綴ってゆくことで、わたくしはやはりどうしてもこの夢を実現したいのです。そして、それは内なる召命に応える、ということに相違ないのです。

どうかわたくしの夢が、神の聖なるご計画の一翼を担うものでありますように。そして、自らの存在を通して、皆さまにこれからも内なる声とともに生きてゆくことの大切さをお伝えしてゆけたら、と心から願います。

敬愛なる、世界的にも著名な牧師先生、ジョエル・オースティン師は、わたくしたちが自分たちのなすべきことをするなら、神は神がなすべき部分を担ってくださると、いつもおっしゃいます。まさに、本当に、そうなのです……! それこそが今のわたくしにとって最も信ずべきこと、なのです。そして、大いに勇気を奮い起こし、これからもここに記事を書いてゆくことで、自らの信仰の証としたいです。

どうぞ皆さまにも神の祝福がありますように。皆さまが内なる神を信じられますように。愛と祈りをこめて。God bless you!!