
『Reversal(どんでん返し)』
あらすじ
メジャーデビューを夢見て、バンドでベースを弾いてきた轟震は、オーディション当日の朝、突然リーダーから『クビ』を言い渡される。激しい性格の震は、自分の態度と言葉が仲間を傷つけ、皆から反感をかっていたことを、この日まで知らなかった。だが、大きな喪失と挫折の中で、初めて震は自分の魂の声を聴く。 導かれるようにして入った『喫茶・道草』で震を待っていたのは、新たな出会いと大きな気づきだった。引き寄せ合って繋がった新たな仲間達と共に作った曲、『reversal』で震は、〝どんでん返し〟を図る。音楽を通じ、互いに調和、成長しながら人生を紡ぎ始める青年達の姿を描く。
・序章
〝神様はいる。
そしてそいつは
俺の中に住んでいる〟
バンドでベースを弾く、轟震がそう思う様になったのは、ある年のクリスマスイブだった。
イブの夜7時、インディーズバンド・ホロスコープは、メジャーデビューを懸けて、大手芸能事務所の最終オーディションのステージに立っていた。
だがその中に、ベース・轟震の姿はなかった。
その頃震は、寂れた商店街の外れで、潰れた店のシャッターに凭れて泣いていた。
夜の入り口で、震はもう酔い潰れていた。
錆びついて、二度と開くことのないへこんだシャッターと、ペシャンコになったビールの空き缶に塗れ、二度と立ち上がる事のなさそうな惨めな自分が、そっくりでワラエタ。
「お前はメンバーから外した」
オーディション当日の朝6時、突然呼び出された近所の公園で、リーダー成城勝から突きつけられた通告は、小6の頃からこの日を夢見てきた震にとって、あまりに酷いものだった。
「えっ?! お前、何言ってんの? 冗談きついぜ?!」
震の言葉を遮るように、勝は言った。
「お前はベースなのに、出過ぎた。俺たちはバンドなんだ、解る? ヴォーカルの優矢を立たせての俺らだろうが」
「優矢はクソだ!」
『違う!』と、説明出来ずに、震は毒づいた。
「何だと?!」
勝の顔が真っ白になり、怒っているのが分かった。
「アイツはもっと歌えるのにわざと抑える。それがイケてると勘違いしてヤガるんだ」
「ならちゃんとそう言ってやればよかった! 文句ばかりで、いつもお前が鳴らすのは不協和音ばかりだ!〝音も言葉も〟な!」
「で、でも、どうしてそれを言うのが、選りに選って今日なんだ?! お前、それでも親友か?!」
震は、勝の胸ぐらをつかんで、激しく揺さぶった。
「俺は言った! 何回も、何回も! 壊れる前にな!」
今度は勝が、震の腕を激しく振り解く番だった。
「気づかなかったろ? 俺はずっと責められてたんだ!『皆を揺さぶるお前を、早く切れ!』ってな! でも俺はお前を信じてた。きっと変わってくれる日が来る、って。だが、もう限界だ! 今度のは遊びじゃねぇ! 二度と来ねえビッグチャンスなんだ! 今日で俺らのこれからが決まる。こんなところで転んでなんかいられねぇんだよ!!」
滅多に声を荒げない勝の激しい態度に、震は呆然として返す言葉も出なかった。勝は深呼吸を一つして気を沈めると、言った。
「昨日の夜、皆で土手に集まった。ベースは優矢のツテの友太で決まったよ。お前はもう、俺らを揺らすな」
「〝土手〟に? 俺抜きで……⁈」
震は、縋り付くようにブランコの鎖を握ると、崩れ落ちるように座った。ブランコが、大きく揺れた。
大前川に沿って続く〝土手〟は、震とバンド仲間が、泣いて笑って、絆を深めあった、大事な場所だった。そして今其処には、震ではなく、友太が居るというのだ。
友太は、その鮮やかなテクニックと懐の深さで、どんな相手も立ち所に天辺に引き上げる、『ベースの神』、と噂の男だった。
放心状態の震に、勝は少し切なそうに、だが、すぐ断ち切るように言った。
「悪く思うな。皆のためなんだ……。じゃっ」
クリスマスイブのまだ薄暗い朝の公園で、背を向けて帰っていく勝の背中には、まるで選ばれた者だけに射すスポットライトのように、温かな陽が射していた。
そこからは地獄だった。
刻々とオーディションの時間が近づくにつれて、震はどうしていいか分からない焦りに襲われた。何度も、練習場所になっている勝の家に駆けつけて、『俺が悪かった!』と土下座をして、皆に赦しを乞いたい、という思いが込み上げてきたが、その度に友太の顔がチラついて、『お前にはもう出る幕がない』と嗤った。
夕刻、師走ともなると、寂れた商店街でも賑やかさを取り戻すらしく、買い出しに来た近隣の住人達で、小さな人波が出来ていた。
今迄は、バンドの練習終わりに夜遅く、閉まった商店街の中を通り抜けて帰るだけだった震は、今、審査員にではなくて、行き交う客の冷たい視線に晒されていた。
「くそっ! 何をジロジロ見てやがる! お前ら全員死んじまえ! こんな世の中、ぶっ潰れればいいんだ!」
そう怒鳴って、震は、潰れたビールの空き缶を通る人に投げつけた。皆は、眉を顰めて足早に去っていった。
「ぜんぶ、全部アイツらのせいだ! アイツらのぉ〜!」
そうわめいた後、震は激しい自己嫌悪に襲われて、息が出来なくなった。そして、喘ぐように言葉が漏れた。
「ダメだ……。俺はもう……お終いだ」
あの声が聞こえたのは、その時だった。
〝そうなのか? ほんとうに?〟
その途端、激しい痛みと共に、頭の中で、〝グィーン!〟と唸る音がした。
ベースの音だった。
それを引き金に、内側から静かな声が聴こえてきた。
〝まだ道はある。立て。立って歩くんだ!〟
声に従って震は立ち上がり、ふらふらと歩き出した。喉が渇いて焼けつくように痛かった。カラカラの喉をなんとか潤そうと、引っ張られるようにして入ったのが、古びた喫茶店『道草』だった。
倒れ込むようにしてカウンターの席に着いた震に、店のママ、ミナコは、冷たいおしぼりとグラス、レモンを浮かべた水差しを出しながら、
「ご注文は?」
と、微笑んだ。
震は浴びるように水を飲み、冷たいおしぼりで火照った顔を覆った途端に、まるで許されたかのように、恥ずかし気もなく声を上げて泣いた。それは、今迄聞いたことのない、子供のような自分の声だった。
有難いことに『喫茶・道草』には、華やいだイブの夜が不似合いな、一人客が数人いるだけで、皆思い思いに、自分のやり方で其処にいた。
震は、酔に任せて、泣きながら思いをぶちまけた。
「なんで……なんで解らない!……こんなもんじゃない! お前なら、もっと、もっとやれる! って、そう言いたかっただけなんだぁ!」
そしてそのままカウンターに突っ伏して、寝てしまった。
「閉店よ」
と、軽くミナコに肩を叩かれたのは、もう真夜中の二時だった。
・第1章・『ショウ』
高杉生は、『道草』の常連で、作家になる夢を捨てきれずにバイトで食い繋いでいる、という男だったが、丸めた背中が〝スミマセン〟と言っているような、目立たぬように生きてきた人間そのものだった。
それは幼くして父を亡くし、再婚した母や新しい家族に、迷惑をかけないように、どこか気遣いながら生きてきたせいかもしれなかった。
母も家族も優しかったが、それでも生は、甘えることが出来なかった。
そんな生が自由になれるのは、物語を書いている時だけだった。
一度キーを叩き始めると、生の内側には、壮大で美しい、胸踊る世界が広がり、大地の息遣いまで、はっきりと聞くことが出来た。生は、その世界で、時に子供に、時に齢を重ねた賢者になって、大胆で猛々しく、まるで翼を貰った者の様に自由に生き生きと動き回って、自ら物語を描いた。自ずと生の夢は、小説家になることになったが、誰にも言わずに、ひたすら書き続けていた。
大学入学を機に、家を出る形になった時、生は、寂しさと共に、やっと自由になれる、という裏腹の安堵感を持った。〝もう帰る場所はないんだ〟、敢えて自分にそう言い聞かせることで、生の中に、〝夢を追い続けるしか道はない〟という覚悟が生まれていた。そんな生の心の拠り所となっていたのが、たまたまふらりと入った『喫茶・道草』だった。
店のママ、ミナコは、多くを語らず、唯、其処に居た。だからこそ客もまた、自由に其処にいることが出来た。そして生も、その一人だった。
「お前、歌、書いてみねぇか?」
世界が又日常を取り戻し始めた年明けの1月9日、誕生日を迎えた震は、大前商店街の外れにある『喫茶・道草』の奥のテーブル席で、暮れにこの店で出会ったばかりの生に、声をかけていた。
生は、イブの夜、酔った震がカウンターで泣きじゃくっているのを、隅で見ていた。そして震もまた、大晦日の夜、賞レースに落ちて、カウンターでシクシク泣いている生を見ていたのだ。
その後、年が変わるまで、巣穴に帰るように毎日『道草』に通い続けていた二人は、どちらからともなく言葉を交わすようになっていた。
「僕に書けるかな?」
生は、カップを両手で包むように握ると、細い肩を更に窄めるようにして言った。
「陽の当たる場所になんか立てたことも無い僕に。しかもロックなんて……」
「上手くてイケてる歌を書ける奴なら、いくらでもいる。だからそんなのはそいつらに任せておけばいい。俺はお前に書いて欲しいんだ。生きるのが下手くそで、転んでばかりいる俺ら、そして、それでも諦められない俺らにしか歌えない、熱い歌を。賭けてもいい。お前なら絶対に書ける。直感なんだ」
震は生の目を真っ直ぐに見つめながら言った。
もう、言葉は要らなかった。
「出来たよ」
三日後、生は同じ席で震にノートを差し出した。
「夢中で書いた」
それが『Reversal(どんでん返し)』だった。
『Reversal』
Merry Christmas!
Merry, Merry Christmas!
Merry, Merry Christmas to me!
クリスマスの朝に
落ちてきた悲劇は
新しい俺へと
生まれ変わるための gift
Prelude!
もしも誰かに 『要らない』 と言われたなら
一人で立つ チャンス!
ハートに耳を澄ませ
追い込まれた時に 目覚める声もあるのさ
潰れてないで
新たに生ける道を探せ!
Oh! reversal! reversal!
どんでん返しを見せてやる!
Oh! reversal! Oh! reversal!
今がチャンスさ!
打ち鳴らせ! 打ち鳴らせ! 打ち鳴らせ!
魂の鼓動を!
掻き鳴らせ! 掻き鳴らせ! 掻き鳴らせ!
魂の叫びを!
泣くのは 未だ早い
諦めるには 未だ早い
ましてこのまま
終わるには 俺
100年早い!
Oh! reversal! reversal!
どんでん返しを見せてやる!
Oh! reversal! Oh! reversal!
今がチャンスさ!
Oh! yeah!
クリスマスの朝に
落ちてきた悲劇は
新しい俺へと
歩き出すための gift
Prelude!
もしもお前は 『駄目だ』 と言われたとしても
気にすることないさ ハートが 違うと知ってる
追い込まれた時に 生まれる能力も あるのさ
挫けてないで
闇夜に光を灯せ!
Oh! reversal! reversal!
どんでん返しを見せてやる!
Oh! reversal! Oh! reversal!
今がチャンスさ!
打ち鳴らせ! 打ち鳴らせ! 打ち鳴らせ!
魂の鼓動を!
掻き鳴らせ! 掻き鳴らせ! 掻き鳴らせ!
魂の叫びを!
泣くのは 未だ早い
諦めるには 未だ早い
ましてこのまま
消えるには 俺
100年早い!
Oh! reversal! reversal!
どんでん返しを見せてやる!
Oh! reversal! Oh! reversal!
今がチャンスさ!
打ち鳴らせ! 打ち鳴らせ! 打ち鳴らせ!
魂の鼓動を!
掻き鳴らせ! 掻き鳴らせ! 掻き鳴らせ!
魂の叫びを!
泣くのは 未だ早い
諦めるには 未だ早い
ましてこのまま
死ぬには 俺たち
100年早い!
Oh! reversal! reversal!
どんでん返しを見せてやれ!
Oh! reversal! Oh! reversal!
今がその時!
読み終えた震は、黙って右手を差し出した。
生も、応えるようにその手を握り返した。
バンド『Quiet Thunder(静かな雷)』が生まれた瞬間だった。
そこからは早かった。 同じ匂いを嗅ぎつけたかのように、誰かの陰に隠れて本当の自分を出せずにいた面々が、『喫茶・道草』に集まって来た。
・第2章・『トキト』
小野寺時人が、抜群のリズム感を持つようになったきっかけは、元々、苦しみの種だった吃音を治すために、〝リズムを刻むように話す〟、という技を思いついたからだった。一音一音だと引っかかるが、何故か小節のように区切って音にすると、スムーズに話せるのが、時人は自分でも不思議だった。
時々、〝吃音の人も歌を歌うときには吃らない〟と聞くが、もしかしたらそれも、同じ道理だったのかもしれない。
男ばかり4人兄弟の3番目、何事にもスローテンポの時人は、急かされるのが大の苦手だった。兄弟が多い、しかも男ばかり、となると、食べる物から欲しい物まで、家の中でも生存競争が激しかった。自己主張の激しい兄や弟に囲まれ、大人しい時人は、常に出遅れていたし、家族の中でも忘れられがちで目立たない存在だった。だが、そんな立場を、時人は寂しいと思ったことがなかった。寧ろ、急かされるよりずっと気楽で、自由に思えた。実際、その環境は、時人を一人遊びが得意で想像力の豊かな人間にしたし、兄弟の顔色を伺ううちに観察眼も育って、人物の本質を見るのが上手くなっていった。
そんな時人に、ドラムを叩くきっかけをくれたのは、1番態度のでかい、2番目の兄、剛だった。
或る日の夕食前、珍しく一番のりで食卓についた時人は、迂闊にも、鼻歌を歌いながら、箸で机を叩いているのを、剛に見つかってしまったのだ。
「おい、時人!」
と、突然背中を叩かれた時、時人はびっくりして息が止まりそうになった。剛に怒られたと思ったからだ。ところが剛はその後、いつもの様に偉そうに、ガハハと笑うと、言ったのだった。
「喜べ! お前をウチのバンドのドラムに任命してやる!」
とは言っても、結局それは、練習をサボりがちの本メンバーが、得意のドタキャンをした時用の〝サブ〟としての、嬉しくもない任命だったけれど。それでも時人は、この兄に感謝していた。たとえ表舞台に出る数は知れていても、ドラムに触れるチャンスを貰ったことで、時人は初めて、〝自分にはリズム感があり、スティックを握ると、血が沸き踊る熱いヤツになる〟と気づいたからだ。
その日も時人は、いつものように電車に揺られながら、出番のないであろう兄のバンドの練習場所に向かっていた。違っていたのは、途中の駅でふらりと降りたことだけだ。〝何故か?〟と聞かれても解らない。唯、〝そうしたくなった〟だけだった。
駅前の『大前商店街』をぶらついていると、電柱に貼られた1枚のチラシが目についた。それを読んで、時人は思わず吹き出した。そして何だか、一気に肩の力が抜けたのだった。
チラシには、下手くそな字で『来たれ! メンバー大募集! 君も出来立てほやほやのバンドで、0から天辺を目指そう! 求むパートは、ドラム、キーボード。今なら君も、即戦力!〝喫茶・道草〟で待っている!』という文言が、問い合わせ先の〝バンド・Quiet Thunder 轟震〟という名前と電話番号と共に書かれていた。そして同じく下手くそな絵で、腰蓑を履いた上半身裸のムキムキの男性が、弓を射るようなポーズで立っている様子が描かれていた。頭には矢が刺さったリンゴが乗せてあり、絵の下には、踊るような字で、『苦しむな! 気づけ! お前はすでに〝成功〟を持っている!』と書いてあった。
いつも忠実な弟である自分が、練習に来なかったことを、兄はきっと怒るだろう、と時人は思った。だが同時に、それで良い、と思った。
そろそろ、自分の口を持ってもいい〝時〟が来ていた。時人はその足で、そのまま『喫茶・道草』に向かった。
・第3章・『ガク』
園田楽は、和菓子屋の跡取り息子として育ったが、本人には、全くその気はなかった。幼い頃から落ち着きがなく多動気味で、きっちりと手順通り何かをするのが苦手だった楽に、三代続く『らくや』の味を、そつなく次へ繋げろ、というのは、元々無茶な話しだった。ましてや〝店の中で、じっと客が来るのを待つなんて、とんでもない!〟、そう楽は思っていた。
そんな楽が、不思議と続けられたのが、キーボードだった。
姉のピアノを買うために、母親と一緒に楽器店について行ったのが、キーボードとの初めての出会いだった。展示品のキーボードは、誰でも試していいように店先に置かれていた。色々な楽器の絵が描かれたキーを押すと、その音がして、楽は、オモチャを与えられた子供そのものになって、メチャクチャに音を鳴らして遊び始めた。その途端、騒がしかった店内は静まり、皆が楽の弾く音に聞き耳を立てていた。何故なら、その音達は、まるで〝1〟からそうあったかのように調和して、一つの曲になっていたからだ。
楽の姉と母親に接客中だった店員は、言った。
「あ、お客様、息子さんにも、是非ピアノを習わせてあげてください。絶対伸びますよ!」
母親は当然喜んだ。店を継がせられないとしても、〝もしかしたら息子は、生まれながらのピアニストなのかもしれない!〟と。
だが、母親のそんな期待は、すぐにへし折られてしまった。教わった事をきちんとこなす姉と違って、枠に嵌められるのが苦手な楽に、ピアニストを望むのは無理だと、ピアノ教室の先生が一早く気づいたからだ。先生は言った。
「お母さん、申し訳ありませんが、楽君は好きなようにやらせてあげてください。それでも音楽は、きっと楽君の支えになります」
そして楽がキーボードを続けられたのも、柔軟な教え方の出来る、この先生のお陰だった。先生は元プロで、キーボードも教えていたのだ。
肩を落とす母親とは裏腹に、楽は、教則本通りではない自由なやり方で、文字通り、音を楽しんで育った。だが、そんな楽も、友達に誘われて入ったバンドでは、演奏に夢中になって思わずやってしまうアレンジを、『勝手』と呼ばれて顰蹙を買い、仲間の中で浮いた存在になっていた。
楽が、バンド『Quiet Thunder』のメンバー募集チラシを見たのは、家を抜け出すために進んでやっている配達の手伝いで、〝大前商店街〟にある支店に、商品を届けに行った時だった。壁に貼られているチラシに釘付けになっている楽に、店を任されている店長は言った。
「ヒドイチラシでしょ? 坊ちゃん。でも『道草』のママさんは良い人だし、頼みに来た子も良さそうな子だったから、断れなくて。親父さんには内緒でお願いしますね」
だがその声も、楽の耳には聞こえていなかった。その〝下手を下手とも思わない、堂々とした文字と絵〟に感動し、やっと自分の居場所を見つけた、そう思ったからだ。楽は、迷わず『喫茶・道草』へと足を向けたのだった。
・第4章・『スタート』
抜群のリズム感で音を刻むドラムの時人、遊ぶように音を操るキーボードの楽。
集まったメンバーを見て、震の胸は高鳴った。今迄、ずっと胸の奥に秘めてきた、どの楽器も魅せる曲作りへの、熱い思いが溢れ出していた。
〝下手くそだって構わねぇ。どうせ〝0〟から始めるんだ!〟、心が、そう叫んでいた。
念願だった曲が出来、メンバーが集まったものの、最後まで決まらなかったのがヴォーカルだった。
「歌詞を書いたのは生なんだ。一度歌ってみたら? 歌ってないのはお前だけだぞ」
そう言い出したのは楽だった。
「いや、無理だって! 僕、あがり症だから、迷惑かけるに決まってるし……」
引っ込もうとする生に、楽は言った。
「ほら、まただ。みんな初めましてなんだ。迷惑かけるのはお互い様だろ? それが出来ずにいたから俺ら、此処に来たんじゃないか! 楽しもうぜ、生!」
時人も言った。
「そうだよ、生。震が、お前の歌詞をイメージして作った曲なんだ。きっとお前なら歌えるよ。それにお前、気付いてないだろうけど、歌うの、好きだろ? よく鼻歌、歌ってんぞ」
「えっ?!」
生は、真っ赤になって息を飲み、拳を作って自分の口を塞いだ。楽が可笑しそうに笑って言った。
「おい、おい! コイツほんとの天然だな。自分で気付いてないのかよ」
震も笑って頷いた。
「俺もほんとは、生に歌ってほしかったんだ。でも、生が自分で言い出すのを待っていた。今まで、それが出来ずに潰してきたから……でも……」
震は改めて生に向き直ると、笑顔で楽譜を差し出した。
「頼む」
生は真っ赤になりながら、思わず楽譜を受け取っていた。そして一つ、深呼吸をすると、観念したように、『Reversal』を歌い出した。
まだ、か細い声だったが、〝何故この歌詞でこの曲なのか〟、それが解る歌だった。
「ほらな! 決まりじゃん!」
そう言って、時人は嬉しそうにドラムを叩き出し、それに合わせて楽も楽しそうにキーボードを弾き始めた。
やがて生の頬の赤みは、恥ずかしさからくるものではなくて、喜びに高揚したそれに、変わっていった。中学の頃、合唱部の人数合わせで、自信無さ気に皆の歌をそっと支えたソプラノボイスは、時人と楽の演奏に乗って突き抜け、今、閃光のように響いていた。まるで、その時を待っていたかのように。
三人の様子を見ていた震は、目頭を熱くしながらベースで仲間に加わった。子供の頃、父に連れられて行った、バンドライブの感動を思い出していた。
・第5章・『シン』 初めて震えた日
〝何故ベースなんだ?〟、地味なベースを選んだ理由を聞かれる度に、震は戸惑い、上手く言葉に出来ない自分が歯痒くて堪らなかった。だが、転んでみてやっと、その理由が解ったような気がした。今ならきっと、こう答えるだろう。〝ベースはバンドの心臓。ベースの鼓動を聴く度に、俺は自分が生きてる事を思い出す。だからベースが好きなんだ〟、と。
あの幼い日、初めて生バンドのステージを見ながら、震は言った。
「お父さん、あの人、カッコいいね!」
震がそう言って指さしたのは、ベースだった。すると、震の父は嬉しそうに頷き、震の頭に手を置いて、言った。
「よく気づいたな、震! ベースはバンドの心臓なんだ。どんなに周りが暴れても、道に外れて迷っていても、テンポを乱さず揺るがない。ほら、まるでドックン、ドックン動き続ける心臓みたいだろ? 音を刻んで、バンドの命を支えているんだ。だから、他の楽器が思いきり遊べるし、暴れられる。でもな、ほんとはバンドの中で、一番熱い、マグマみたいなものなんだぞ」
そしてそのベースが、父の親友で、バンドのリーダーだった。ギターだった震の父は、腕を痛めて、バンドを辞めていた。
「震、好きなように生きろよ」
ステージの上のメンバーを、眩しそうに見つめながら、震の父は言ったのだった。
〝 いつかあのベースのように、自分のグルーブで、仲間の魂を震わせて、輝かせたい!〟そう思い描いていた夢が、今、震の目の前で、繰り広げられていた。
〝0〟から始めた震のバンドは、今、無限大、〝 ∞ 〟インフィニティへと変わり始めていた。
その年の暮れ、震は、バンド『 “Quiet Thunder” 』を率いて、芸能事務所の最終オーディションに臨んでいた。
舞台袖で震は、前の晩に突然かかってきた勝からの電話を、思い出していた。
「お前の曲、俺にもやらせてくれないか?」
ドラムの勝は、震のバンドが、最終選考に残ったことを知っていた。
一年前、震を外して挑んだ勝のバンド『ホロスコープ』の星読みは外れ、最終オーディションで、〝綺麗にまとまりすぎて、今一つ物足りない〟という理由で落とされていた。
『ふざけんな!』と、怒鳴ることも出来たが、震はそれを選ばなかった。もう、あの頃の震ではなかった。
「すまんな、勝。悪いけどメンバーは揃ってるんだ。けど、お前には本当に感謝してる。これは嫌味でもなんでもなくて、お前は俺に、大事なことに気づくチャンスをくれた。俺、お前の言うように前に出たかったんだ。でもそれは、一人で、じゃなくて、皆でだ。俺は知ってた。皆もっとやれる奴らだって。けど伝えられなかった。手も足も頭も心臓も、それだけでは何にも出来ねぇ。皆が繋がって、一つの身体になるから動ける。ソレを、温っけぇ血の流し方を、新しいメンバーが教えてくれたんだ。その事が、自分の本当の生かし方に気づかせてくれた気がする。だから今度は俺、堂々と前に出る! 皆と一緒に! 笑われて上等。たった一度の人生だ、思いっきりいく! もう不協和音で揺らすんじゃなくて、情熱で人の心を震わせてぇ。勝、お前は俺らじゃなくても、きっと誰かを引っ張っていける奴になるよ」
勝は黙って聴いていたが、泣いているのが解った。
「分かったよ、震。俺、今すごく恥ずかしくて悔しいわ。バンドで落ちた時よりも痛い」
解りすぎて、震は言葉に詰まった。
暫くすると、さっぱりとした勝の声が聞こえてきた。
「また会おう、震! 俺、もっとでっかくなるからさ!」
〝おう!〟と震が応えると、 〝じゃっ〟と言って勝の電話は切れた。
「それでは次のバンド、7番、『Quiet Thunder』!」
今、オーディションのステージ上で、司会者の声が響いた。
震は、いつものように、舞台の袖でメンバーに声をかけた。
「いくぞ! どんでん返しを見せてやれ!」
・第6章・壁
「何だよアレ? どうしちまったんだよ、生! 歌になってなかったじゃねえかよ!」
最終オーディションを終えて、逃げ込むように控え室に戻った生に、楽は怒りをぶつけた。
「ご、ごめん! ほ、……ほんとに……すまない!」
生は、部屋の隅の席でうなだれ、自分の身体を抱きしめるようにして、言った。まだ、身体が小刻みに震えていた。
「ごめんじゃ済まないだろ! ここまであんなに上手くやってきたのに……何でだよ⁈ 全て水の泡じゃねえか!」
「ヤメロって」
二人の後を追って駆け込んで来た時人は、慌てて楽の肩に手をかけて止めた。
「……」
生は俯いたまま、膝の上で拳を握って黙っていた。楽は益々苛ついて、時人の手を振り払い、『ああっ‼︎』と大きく叫ぶと、屑籠を蹴飛ばし、不貞腐れた顔でドスンと椅子に座った。
時人は、言葉が見つからず、溜息を吐くと、静かに椅子に腰を下ろした。
部屋の外で、壁に凭れて皆んなのやりとりを聞いていた震は、部屋に入ると、黙ったまま奥の席まで歩いて行って座った。席に着くと、震は腕を組んで、言った。
「話してもらおうか、生、何があった?」
時人も楽も、生を見た。
「だ、だから、僕は……やれないって、歌えないって、言ったんだ」
生は悔しそうにそう言ったが、身体は、まだ震えていた。
「何があったんだ?」
震は、腕を組んだまま、重ねて聞いた。
「こ、怖いんだよ……また失敗するんじゃないかって。皆に笑われてるような気がするんだ……。ぼ、僕にはトラウマがある。今日、それが出た」
震、楽、時人は、険しい顔をして、黙ったまま生を見ていた。生は深呼吸を一つすると、苦しそうに話し始めた。
「中1の時だ。学校恒例の合唱コンクールで、大恥をかいたんだ。マンモス校だったから、1学年で800人以上いた。コンクールには独唱の部があって、クラスの代表になった者が独唱で競うんだ。ぼ、僕、気がつけば、決勝の3人に残ってしまっていたんだよ」
「すごい人数だな。代表って、自分で名乗り出たの?」
時人が、聞いた。
「違うよ! だって僕その時にはもう……自分が『あがり症』だって知ってたもの。市のイベントであった歌番組に、友達と遊び半分で応募した時、分かったんだよ。声が……、声が全く出なくなるんだ。大勢の前で歌うのが、あんなに怖いものだなんて知らなかった。独唱は、クラスメイトの推薦だったんだ。小学校の時、僕、合唱部だったから」
「じゃぁ、独唱も辞退すればよかったじゃないか」
楽が怒った顔で言った。
「僕だってそうしたかったさ! でも、出来なかったんだよ。母が……、母さんが、逃げるなって……」
それを聞くと、楽は顔を歪め、言った。
「母ちゃんか……。母親は確かに厄介だな。クラスの皆んなには? 責められたのか?」
「いや……。クラスの皆は、寧ろ、腫れ物に触らないように何も言わなかったよ。唯……」
そこまで話すと、生は、一呼吸おいて、辛そうにそう言った。
「他のクラスの奴に肩を叩かれて、言われたんだ。『お前が1番下手くそだった』って。笑ってた」
楽は怒って怒鳴った。
「なんだ、ソイツ! ぶん殴ってやればよかった!」
神妙な顔をして聞いていた時人は、青ざめた生を見ながら、『それはしんどいな』と言ったが、奥の席で、一人腕を組んで黙っている震に向かって、聞いた。
「どうする? 震。このままじゃ、生、歌えないよ?」
震は、顎をあげて生を見ると、
「いや、ヴォーカルはこのまま、生にやってもらう」
と、言った。
「エェッ⁉︎」
生も楽も時人も、驚いて声を上げた。生はその後、半泣きになると、自分の身体を抱きしめるようにしながら、大きく被りを振った。
「無理だって⁉︎ もう、勘弁してくれよ!」
「そうだよ! 本人がこんなに嫌がってるのに! 可哀想だろうが!」
楽が言った。
「俺も無理強いはしない方がいいと思う」
時人が言った。
「無理強いじゃねえよ。生は歌える。だが……」
震は険しい顔で言った。
「歌えないなら、生、お前はクビだ」
「えっ⁈」
驚きで、楽と時人は言葉を失い、生は怒りに顔を歪ませると、部屋を飛び出して行った。
慌てて後を追おうとした時人を、震が、
「追うな!」
と、止めた。
「何で⁈ どうしてなんだ、震!」
時人の言葉に、楽も言った。
「酷いぞ! 震。あそこまでいうことないじゃないか」
震は言った。
「アイツは必ず帰ってくる。このバンドのヴォーカルは生しか居ねえ。解ってるだろ?」
楽と時人は顔を見合わせた。
「確かに、生みたいには、皆歌えないけどさ、でも、この場合仕方ないんじゃ……」
時人の言葉を遮るように震が言った。
「生は歌える。歌えるんだ。時人、お前、ヴォーカル決める時になんて言った?」
「えっ?」
時人は一瞬戸惑ったが、思い出したように言った。
「あぁ……、この曲は、生の歌詞をイメージして震が作った曲だから、生が歌った方がいい……」
震は頷いたが、人差し指を立てて、
「後、もう一つ。生は、根っから歌うのが好きなんだ。いつも鼻歌を歌ってる、って、お前だって、そう言ったろ?」
「あっ⁈」
時人、楽は顔を見合わせた。
「アイツの歌は最高だ。それに二人とも、聞いたろ? 生が、自分は『あがり症』だと気づいたきっかけを。遊び半分でも、アイツ、イベントで、歌ってみようと思ったんだぜ? 大勢の前で。その段階で、アイツは歌が好きだった。いや、〝大好き〟だったんだ。どこかで自信が持てるほどに」
「確かに……」
楽が、フッと笑って呟いた。
「そして生の自信は、過信じゃなくて、事実に基づいたものだった。早い話が、生はきっと、子供の頃から、歌が上手かったんだよ。本人に自覚がなくても。じゃなきゃ、合唱部にも入れてないし、推薦もしてもらえねぇ。それどころか、独唱で決勝まで行ける筈がねぇんだ。生のおふくろさんは、それを分かってたんじゃないのかな? まぁ、言葉は〝逃げるな!〟だったかもしれないけど、うちの子は歌が上手い、って、ほんとにそう思ってたと俺は思う。必ずやれるって」
「そうか……⁉︎ そうかもな」
時人が、目を潤ませて、頷いた。
「実際、決勝にくるまで、アイツは歌えてたんだ」
「……そうだよ! だから俺、余計に腹が立ったんだ」
楽はハッとしてそう言った後、フッと小さく笑った。
「今が、生の正念場だ。アイツはこのまま、〝被害者の可哀想な奴〟でいてはいけない。ここでトラウマを卒業しなきゃならないんだ」
震の言葉に、楽が言った。
「震……。そこまで生のことを……。信じてるんだな」
「あぁ。信じてる。でも、その前に、生自身が、もっと自分のことを信じてやらなきゃならないんだ。そして俺は生だけじゃない、このバンドを信じてる。これは、アイツにとっても、俺たちにとっても、チャンスに変えるために来たピンチだ。皆んなで『reversal』を、本物にするんだ。生が書いたように」
震の言葉に、楽と時人はハッとして、大きく頷いた。
「あ、それと」
震は、ふっ、と表情を崩すと、
「楽、お前には礼を言わせてくれ」
と、言った。
楽は驚いて、『は?』と言った。
震は笑顔に戻って言った。
「お前が最初にキレてなかったら、俺がキレてた。サンキュ」
「えぇっ⁈」
楽は顔を顰め、時人は呆気にとられた顔をした。震は、可笑しそうに笑いながら、楽に言った。
「イヤ〜、楽、お前は前の俺にそっくりだわ。ほんと、ありがとう! お陰で、目が覚めた。自分がどんなんだったか、分かったよ」
「何だよそれ〜! お礼じゃなくて悪口じゃねえかよ!」
震の言葉に、楽は口を尖らせ、時人は、腕で口を隠して、笑った。
震は両手を合わせて、〝スマン、スマン!〟と笑ったが、真面目な顔に戻って、言った。
「でも、これは本気で言ってるんだ。楽のお陰で、今回俺は冷静になれた。正直、前の俺なら、絶対無理だった。怒りで、全部見えなくなってたと思う。でも今日は、客観的に見ることが出来て、分かったんだよ。楽がそんだけ腹が立つのは、そのくらい真剣に練習してきたからだって。熱い思いがそうさせるって。唯、正直すぎる、真っ直ぐすぎるだけなんだ。そう思うと、俺はとても楽になった。何だか、自分のことも許せたような気がしてさ。だから礼を言いたいんだ。ありがとう」
「震……」
楽は、嬉しそうに目を潤ませた。その瞬間、震は掌を突き出し、
「唯、楽、これからは暴れるのは禁止だ。その熱い思いは、もう演奏の方に回してくれ。まぁ、これは自分にも言っている」
そう言って、笑った。
震の言葉に、楽は
「何だよ、ソレ! 折角感動しかけてたのにぃ!」
と言ったが、仕方ねぇな、という顔をして、『OK』と言った。
「でも……、生、帰って来るかな?」
ふと、時人が、躊躇いがちに口にした。
「うむ。生はずっと夢を諦めずに来た芯のある奴だから、敢えてあんな風に言ってみたけど、ナイーブだからな、少しきつかったかもしれない。自信を取り戻して、戻ってきて欲しい……時間がかかるかもな」
震が、そう言って溜息を吐くと、楽が震の肩に手を置いて、元気づけるように言った。
「大丈夫だよ、リーダー! どうせまた1から始めるんだろ? 時間はいくらでもあるさ、待とうよ!」
「だな……」
と、一度頷いた後、震は、
「って、キレたお前が言うのかよ」
と笑って、楽の手を振り払った。
「え〜、まだそれを言う?」
震と楽が和やかに冗談を言い合う傍らで、時人は、部屋の隅の席を見つめて、そっと一人呟いた。
「本人にしか分からない痛みって、あるからな……」
さっきまで生の座っていたその席は、心細そうに、ポツンとそこに在った。
第7章・挑戦状
『ピンポン〜パンポン〜』
終業のチャイムが鳴ると、〝それじゃあ、またあした〜!〟と言う声と共に、子ども達が一斉に塾の建物の中から駆け出してきた。時人は、腕を組んで、壁に凭れ、生が出て来るのを待っていた。
教材の入ったカンバス地のバッグを肩にかけて、出てきた生は、時人を見て、顔を曇らせた。
「なんで此処にいるんだよ」
「そりゃバイト先に来るしかないだろ。一週間音沙汰なしで、『道草』にも顔出さないんだから」
「クビになった人間に何の用だ」
生は険しい顔でそう言うと、時人を無視して歩き出した。時人はそれに追いつき、生の肩に手をかけて止めると、言った。
「挑戦状を持ってきた」
生は、立ち止まり、
「は?」
と言った。時人は、丸めて持っていたファイルを、生に差し出した。
「ほい。読んでみてくれ。俺、お前の居ない間に曲の歌詞を書いてみた」
生は、ハッと顔色を変えたが、険しい顔に戻って、
「それはおめでとう。それなら、早速震に曲をつけて貰えばいい」
と、言って、歩き出した。時人は生に遅れないように並んで歩くと、
「震には言ってない。先に生に見て欲しかったんだ」
と言った。
「何だよ、それ! 嫌味か?」
立ち止まった生の顔は赤くなって、腹を立てているのが分かった。
「違う! もし気に入ってくれたなら、俺はこの歌を生に歌って欲しいんだ」
「は?」
生は、未だ険しい顔をしていたが、少し落ち着きを取り戻したようだった。
「俺だけじゃない。震も楽も、生に歌って欲しいんだよ。俺たちのバンドのヴォーカルは、生しか居ない。戻ってこいよ」
時人の言葉に、生は、
「何を今更」
と、再び歩き出そうとしたが、時人はそれを引き止めて、言った。
「俺にはお前の痛みなんか、正直解らない。けど、それは皆一緒だろ? 皆、何かしら抱えながら生きてるんじゃないの? 人の痛みなんて、家族だろうが、どんなに仲がいい友達だろうが、解りっこないんだよ。上手く言えないけどそれは、いい奴だとか、悪い奴だからとかでもなくて、別の人間だからなんだと思う。悲しいけど、俺はそう思った。だから自分を信じることに決めたんだ。でも今回は、初めて、皆で一緒に乗り越えたいって思った」
生は、立ち止まり、時人の顔を見つめた。
「だって、生、今、お前の前にある壁は、もうお前だけの物じゃないんだよ。バンドの未来がかかってるんだ。震は、お前が戻って来なかったら、きっと解散する。そのくらいの覚悟で、あの日、お前にああ言ったんだよ。生の歌は最高だって、そう言ってた。俺だって、楽だってそう思ってる。それだけじゃ駄目か? 他の奴らがどう思うかが、そんなに大事?」
時人の言葉に、生は唇を噛み締めた。
「明後日だ。明後日にしよう。午後8時、練習場所に来いよ。震と楽にも話しておく。お前が来るのを待ってる。じゃ」
そう言って、時人は歩き出したが、ふっ、と振り向くと、少し照れくさそうに、付け加えた。
「その歌詞は、俺がお前のために書いた。挑戦状でもあり、ラブレターだ。もし答えが『YES』なら、3番の歌詞は、お前に書き加えて欲しい。待ってる」
そう言い残して、小さくなっていく時人の背中を見つめて、生はしばらく、其処に立ち続けていた。
第8章・アルケミスト
『アルケミスト』
走れ、走れ、走れ!
出るぞ、出るぞ、船が!
次の夢へ向かう 月の船が
星の波を蹴って 今宵
もう待てない 先に行く!
出航の汽笛がほら!
鳴り響いて 俺を呼ぶから
悪いけど置いてく 友よグッバイ! (グッバイ!)
幸せは(幸せは)
誰かがくれる(他の誰かが)
ものだなんて(ものなんて)
まさかまだ信じちゃいないよね?
それじゃ マリオネット
さぁ! 目を醒ませ! 立ち上がれ!
窓を開けろ! 風を受けろ!
扉を開ける呪文なら
アブラカタブラ 君の中にある!
急げ、急げ、急げ!
共に行こう 友よ!
次の夢に向かう 月の船で
星の波を蹴って 行こう
もう迷わずに 先に行こう!
出航の汽笛がほら!
鳴り響いて 俺ら呼ぶから
言い訳も憂いも 捨ててグッバイ! (グッバイ!)
躓いた(躓いた)
その石は(その石は)
宝石に(宝石に)
変えるために落ちている
それが アルケミスト
さぁ! 帆を上げろ! オールを握れ!
地図は要らない 解ってる
風向きは味方につけた
アブラカタブラ 俺、アルケミスト
時人の書いた歌詞を読んで、生は唇を噛んだ。悔しくて嬉しかった。
生は直ぐに3番の歌詞を書き足した。その歌詞は、まるで自分の中に用意されていたかのように、するすると出てきた。
『アルケミスト』3番
行こう、行こう、行こう!
逸る想い 胸に!
次の夢に向かう 月の船で
星の波を蹴って 進め!
もう真っ直ぐに 先に行こう!
出航の汽笛がほら!
鳴り響いて 明日を呼ぶから
疑いも不安も 捨ててグッバイ!(グッバイ!)
痛かった(痛かった)
その傷は(その傷は)
祝福の(祝福の)
Kissをして豊かな糧にしよう!
それが アルケミスト!
さぁ! 胸を張れ! 翼を広げ!
嵐は合図 高く飛べ!
君だけのマジカルスペル
アブラカタブラ それで飛べばいい
君だけのマジカルスペル
アブラカタブラ 君の中にある
そうさ、俺たちゃ、
皆、アルケミスト!
書きながら、生は涙が止まらなかった。
第9章・『新たな出航』
約束の日、『アルケミスト』の3番の歌詞を持って現れた生に、楽は嬉しそうに駆け寄り、
「お帰り!」
とハグをした。
楽の言葉に、生の緊張はほぐれ、目を潤ませながら、素直に
「ただいま!」
と答えていた。
「ありがとう! 来てくれて、嬉しいよ」
笑顔で言った時人に、生は頷き、
「僕の方こそ、いい歌をありがとう! 感謝で、胸がいっぱいだ!」
と、返した。それから生は、壁に凭れて微笑みながら皆の様子を見ていた震に目をやると、涙ぐみながら、
「ただいま」
と言った。
震は頷くと、
「待ってたぞ。戻ってくると思ってた」
と、静かに言った。
「時人に聞いたよ。上手く言えないけど、僕のこと……信じてくれてありがとう」
そう言った生の声はもう、涙声になっていた。そんな生に、震は言った。
「当たり前だろ? 出会った時からずっとそうさ。歌詞を書いてくれ、って、頼んだ時にも言った筈だ。『直感』だって」
震の言葉に、生は何度も頷いて、涙を拭った。
「見せてくれよ、生の『アルケミスト』、3番を。時人のは、昨日見せてもらった。その時に、俺、感じたんだよ。俺たちは、互いに〝呼び合って此処に来たんだ〟って」
震がそう言うと、生は、頷き、時人を見た。
時人は、生に頷き返すと、顎で震の方を差し、『歌詞』を見てもらえよ、という風に合図した。
生から3番の歌詞を受け取った震は、感慨深げに、〝いい歌詞だな〟というと、スタジオに設置されている古いピアノで、簡単なメロディを弾いてみせて、
「今、思いついてるのはこんな感じ」
と言った。
「いいじゃん、いいじゃん!」
と、声をあげて駆け寄ったのは、楽だった。
震はその時、楽が、小さな声で、『みんないいな……』と呟いたのも、聞き逃していなかった。そして、
「楽、お前も作りたかったら作っていいんだぞ、曲」
と言った。楽は、珍しく口ごもり、
「俺はいいよ。だって、曲の担当は震だもの」
と言った。震は、笑って、
「らしくないなぁ、楽。ほんとはずっと作りたかったくせに」
と言った。楽は真っ赤になり、生と時人は可笑しそうに笑った。
「何だよ、皆んなして」
照れ隠しに、わざと怒ってみせる楽に、震は言った。
「お前、ちょいちょい変えそうになってるだろ?」
楽は、思わず、
「え⁈ 何で⁈ バレてたの?」
と言って、余計に皆の笑いをかった。そんな楽に、震は言った。
「叩かれるのを怖がって、出ない杭になる必要はない、と言ってるんだ。それに楽、ここにはお前の頭を叩く奴はいないよ」
楽が、驚いたように、そして少し涙ぐんで震を見た。
「震……」
震は、笑顔で頷いたが、すぐ、
「けど、誤解すんなよ、楽。俺はまだ、お前に全部譲るとは言ってない。互いに作ったやつを持ち寄って、良い方をやろう」
と言った。その後に、ニヤリと笑って言った。
「俺はお前に負ける気は一切無いからな。それに、やるなら、これからは突然アレンジャーになるんじゃなくて、最初っから、しっかりアレンジを考えてくれ。〝二度と同じ事は出来ません〟、ってのは困るぞ」
時人が、楽の肩に自分の肩をぶつけて笑った。楽は苦笑いをした。
震は、皆を見回して付け加えた。
「皆で色々出し合って、そん中でいいのをやろう。俺たちは、全員が『出る杭』になるんだ」
「おー!」
と、拳を挙げて応えたのが、楽だったので、皆は又、大いに笑った。
「さぁ、皆!」
震が手を叩きながら言った。
「こっからは又、新たな『どんでん返し』のスタートだ! 気合いを入れていこうぜ!」
今度は、全員が、拳を突き上げて、
「おー!」
と叫んだ。
次のオーディションを目指して、再び動き出した『Quiet Thunder』のオリジナル曲は、その後も増え続け、その中には、楽の書いたユニークな曲が加わった。曲と歌詞は、また、次の機会に。
完。