
夏休みのように終わる人生 #11「1年後『去年と別人になる人』の思考法」
一年という時間は不思議だ。
長いようで短い。
短いようで長い。
しかし、
ある人にとっての一年と、
別の人にとっての一年は、
同じではない。
もちろん時間は同じだ。
365日。
誰にも平等に与えられている。
けれど、人生は平等ではない。
振り返った時の景色が違う。
私はそれを、
これまでたくさん見てきた。
一年前と何も変わらない人。
そして、
まるで別人のようになっている人。
その違いは何なのだろう。
以前の私は、
能力の差だと思っていた。
才能。
知識。
環境。
行動力。
もちろんそれらも関係はある。
しかし今は、
もっと本質的な違いがあると思っている。
それは、
人生を「消費」しているか、
人生を「体験」しているかだ。
同じ休日。
同じ一日。
同じ一年。
それでも差が生まれる。
なぜなら、
体験する人は、
人生に山を作り続けるからだ。
新しい場所へ行く。
新しい人と会う。
新しいことを始める。
新しい感情を味わう。
すると記憶が増える。
景色が増える。
人生が長くなる。
逆に、
安全な場所だけを行き来していると、
人生は少しずつ平坦になる。
もちろん安心はある。
しかし、
振り返った時に景色が少ない。
私はようやく理解した。
別人になる人は、
何か特別なことをしているわけではない。
人生の中に、
小さな風を入れ続けているだけなのだ。
それは週に一度かもしれない。
月に一度かもしれない。
けれど、
その小さな違いが、
一年後には大きな差になる。
ヨットも同じだ。
ほんの少し舵を切る。
それだけだ。
しかし、
何時間も進めば、
到着する場所はまったく違う。
人生もまた、
同じなのだと思う。
そして私は、
あることに気づいた。
人生を変える人は、
未来を変えようとしていない。
今日を変えている。
未来は今日の集まりだからだ。
その事実は、
驚くほどシンプルだった。
一年後の自分は、
今日の積み重ねでしかない。
しかし私たちは、
つい一年後ばかりを見る。
遠くばかり見る。
だから今を見失う。
けれど本当は逆だった。
今日を味わう人だけが、
一年後に豊かになる。
今日を生きる人だけが、
未来を変える。
そのことを理解した時、
私は再びあの海を思い出した。
夏の光。
白い帆。
波しぶき。
そして風。
あの日の少年は、
一年後のことを考えていなかった。
十年後のことも考えていなかった。
ただ、
今吹いている風を感じていた。
今見えている海を見ていた。
今という時間を生きていた。
だからあの日は、
四十年以上経っても消えなかった。
人生とは、
そういうものなのかもしれない。
忘れられない一日を増やすこと。
忘れられない景色を増やすこと。
忘れられない感情を増やすこと。
それが人生なのかもしれない。
そしてその瞬間、
私の中で、
ひとつの問いが静かに答えへ変わった。
人生の終わりに、
何を覚えていたいだろう。
その答えは、
もう見えていた。
数字ではなかった。
肩書きでもなかった。
評価でもなかった。
風だった。
光だった。
笑顔だった。
誰かと過ごした時間だった。
そして、
海の上で感じた自由だった。
私は静かに目を閉じた。
春の風が頬を撫でた。
遠い夏の海と、
今ここにいる自分が、
不思議なくらい自然に重なった。
あの少年は、
ずっと前から知っていたのかもしれない。
人生で本当に大切なものを。
そして今、
そのロープは私の手の中にある。
いや。
もしかしたら、
この物語を読んでいるあなたの手の中にも。
風は、
昔と変わらず吹いている。
波も、
昔と変わらず揺れている。
変わったのは、
私の見方だった。
そしてその瞬間、
四十年以上前のヨットの少年と、
春の午後の五十代終わりの自分が、
ようやく同じ景色を見始めた気がした。
その景色の先には、
まだ知らない海が広がっている。
まだ知らない風が吹いている。
まだ知らない自分が待っている。
だから私は思う。
人生は、
まだ面白くできる。
まだ航海の途中なのだ。
#12 おわりに「風は、今日も吹いている」へ続く