
君と生きた毎日
嵐がわたしの全てだった。
まごうことなく、全てだった。
2000年生まれのミレニアムベビーである私は、嵐がデビューした後に生まれた。
1999年、ハワイ沖でクルーザーに乗ったデビュー時の映像を見る度に、もっと早く生まれてもっと早く嵐に出会いたかったと、神様に願ったとて叶わない願いを切に願っていた。
前置き
個人的な記録用かつ心情ダダ洩れNoteなので書きたいように書こうと思う。日記みたいなもの。にっきっき。
わたしと嵐の歩みを記録───(壮大なテーマ)
文体、文末に一貫性がないかもだけど許して☆彡
嵐
出会い
出会いは~2009ごろ。バラエティ番組に出ている嵐だった。
(明確な月日は分からないけど、2009年にヤッターマンの映画が公開される頃にはレギュラー番組を見漁っていたからそのころだと思う)
当時は現代ほど目の前の小さな画面に人生を縛られておらず、家にあるTVを家族で見て、翌日学校で「昨日のテレビでさ~」という話題になることが常だった。
クラスでは嵐とAKB48が一世を風靡し、「誰派?」という問いに対してみんなで真剣に議論していた。
その延長で、チャンネルを変えて嵐が映っていたら「おもしろくてカッコいいお兄さんたちだな~」と思いながら見ていた。
普通に生きて普通に過ごして普通に帰って普通に眠っていたら(どこかで聴いたことある歌詞)、毎日TVで嵐を目にする時代だったからかもしれない。
バラエティ番組で、ドラマで、CMで、スーパーのポスターで。
日本に住む全員が全員、5人の顔を毎日見ていた。
そんな時代だった。
2009年は特に、嵐10周年をTVをあげてお祝いしていた異常事態。嵐がTV局をジャックしていたようなものだったと朧気ながら記憶している。
”なんとなく好き”がグラデーション的に”好き”に変わっていった。
2011年12月31日
”好き”が"大好き”になった瞬間は今でも鮮明に覚えている。
紅白とガキ使を行ったり来たりする大晦日。
あの日目に飛び込んできたのは、白いスーツに身を包み神妙な面持ちでピアノを弾く櫻井くんの姿。
東日本大震災で被災した、傷跡の多く残るグランドピアノを弾くアイドルの姿に、ピアノを習っていた私はどうしようもなく目を奪われた。
理由なんてわからない。
ピアノを弾ける共通点に驚いたからなのか、顔がとにかくかっこよかったからなのか、ピアノの優しい音色に惹かれたのか、はたまたおもしろイケメンお兄さんがピアノを弾くギャップにやられたのか、今となっては定かじゃないがとにかく大好きになってしまった。
理由なんてない。平熱以上なつ♡あい未満どころの騒ぎじゃない。
高熱もいいところで沸点に達した。
私の初恋は櫻井翔に奪われてしまった。
初恋の人が櫻井翔になってしまった。
さすが”国民の初恋”という異名を持つアイドル。
”なってしまった”なのである。しまった。やってしまった。出会っちゃった。しまった。
盲信、盲目
2012年から実質2019年ごろまで、嵐に盲目的だった。
その名の通り、無批判に無条件に妄信して盲従して手放しで信じ切って過ごした。
リビングのTVでは常に嵐の出演番組が流れ、ひとたび歌番組に出ればその日中に30回は繰り返し見て父に呆れられ、自分の部屋一面にポスターを貼り(ポスターに穴を開けたくないからゼムクリップを間にかませて工夫していた)、15秒~30秒のCMを録画で地道に集めて【嵐 CM ※絶対消さないで!】という30分ほどのCM集を作っていた。
今考えると、あの情熱を勉強に向ければまあまあな秀才になっていたと思う。
スマホもなく情報収集がし辛かったため、新聞やTVの番組表に目を凝らし必死に出演情報を集めた。
WSの出演情報は番組表に載らないため、新CMや番宣の映像を見逃さないようにZIP!を毎朝録画していた。気が狂っている。
録画残量と格闘していた毎日が懐かしい。
電気屋でお小遣いをはたいて、まっさらなBlu-rayを買って番組を焼いていたあの頃が懐かしく思える。
2014年以降の嵐にしやがれは全てBlu-rayに残してある。
アイドルという名の偶像
現代において「推し活」は「承認欲求」だとか「推してる自分が好き」だとか好き勝手いわれているが、そんな生半可な気持ちじゃない。
ジャニーズ界隈じゃ「推し」じゃなく「担当」と呼ぶ。
弱冠11歳の女の子が本気で恋していた。
録画を忘れてしまった日には烈火のごとく泣き叫んだ。
ママあのときはごめんね。
余談だけど高校のSSH活動で「アイドルという名の偶像」について研究したりもした。
アイドルは本来「偶像」だとか「崇拝の対象」を意味する。
日本では古来より芸能と神仏への信仰が結びついているため、巫女や歌舞伎などのルーツを辿ると、行きつく先は宗教的な儀礼や偶像的なものなのである。
アイドルとは宗教だと思う。
その人(たち)に対しての強い憧れ、執着、信仰。
信仰に合理的もなにもない。
全ての時間、全てのお小遣い、
持つもの全てをつぎ込んだ。
話を戻して学生時代
小学6年生のとき、初めてCDを買った。
月のお小遣いが1,500円でお金が全然足りなかったから、地域のお祭りに参加して5,000円稼いだ。
そのお金で買ったのは「Popcorn」の初回限定盤アルバム。
2012年10月発売。
なんで初回限定盤の存在を知ってたんだろう。あの頃は予約の段階で初回盤が売り切れたりしてたから、わざわざ予約したんだろうな。
てか初回盤の予約すらできないってどんだけなの。
私の熱量が伝わったのか、お父さんが会社の人から嵐のCDやDVDをたくさん借りてきてくれた。
はじめて嵐のコンサートを見た。「嵐フェス ’12」だった。
今なお公式YouTubeに載っている名作ライブ。
衝撃だった。
空に舞う大量の風船。
はじける水しぶき。
立ち上る炎。
広すぎる国立を走り回る5人。
truth~5×10の美しすぎるオーケストラの繋ぎ。
(ここだけ具体的すぎるけどかなりの衝撃だった。
今までにも音楽ライブにはかなり行っているけど、この美しさを上回ったライブは無い。個人の見解だけど。)
おもしろお兄さんじゃなく、国民的アイドルがいた。
更に夢中になった。
中学生になった。
1年生のおわりで転校することになった。
学年1、2を争う嵐好きだった私のために、クラスのお別れ会で嵐のイントロクイズを友達が主催してくれた。
圧勝した。そらそう。
ワイルド・アット・ハート冒頭のラジオが途切れるような音で正解し、みんなにドン引かれた。たのしかったな~。
転校した。
生まれ育った田舎から、中核市に引っ越した。
学年を超えて誰がどこに住んでいるか知っていて、買いものに行けば誰かしらの親子と会う広い広い町から、
小さくて狭い教室が私の世界になった。
息が詰まるような毎日になった。
けど、その時に世界を広げてくれたのは、嵐と小説だった。
たくさんたくさん救われた。
消えない 色のない 虹はない
いらない 必要のない 人はいない
振り返ると激病み中学生すぎたけど、
学校が世界のすべてだった中学生には、
嵐の存在が、嵐の歌が、希望の光だった。
更にのめり込んだ。
日常
TVは全てチェックし、
CD、DVD、雑誌を買い漁り、
頭の中は嵐で埋め尽くされた。
誕生日を祝い、デビュー記念日に思いを馳せ、CDフラゲ日を舞い踊るような気持ちで待ち構えた。
誕生日にiPod nanoを買ってもらった。
耳も常に嵐で溢れた。
嬉しいときも、悲しいときも、
いつも嵐がすぐそばにいた。
ピアノの練習をサボって怒られたときも、
水泳で進級できなくて落ち込んだときも、
友達と喧嘩して絶交したときも、
土手で派手にすっ転んで血まみれになったときも。
人間の脳は不思議だ。
マイナスな感情はいつまでも心に残っているのに、
プラスな感情はよっぽど特別じゃ無い限りあまり記憶に残らない。
でもとにかく、
人が生きていくうちに感じる感情全てのとなりに、
嵐がいた。
国民的アイドルのはずなのに、近所のお兄ちゃんみたいな親しみやすさがあった。
親との攻防
家が嵐で溢れた。
TV画面は常に嵐。車の中でも嵐。部屋の壁も嵐。
親がとうとう痺れを切らした。
TVの制限時間を設けられたのだ。
1週間に4時間まで。どんだけ~。
①嵐にしやがれ
②VS嵐
③ひみつの嵐ちゃん→櫻井有吉アブナイ夜会
④シーズン毎のドラマ
この4本しか見られなくなった。
他にも特番があるし、音楽番組もある。
1シーズンにドラマが2本あったら絶望である。
実際櫻井くん主演の「家族ゲーム」は見られなかった。
荒野先生をリアルタイムで見たかった…。悔。
最終奥義、倍速視聴。
本数制限ではなく時間制限だったため、可能な限り倍速で見て、ニノさんや相葉マナブも見た。
それでも嵐が足りなかった。
色々な習い事をしてかなり多忙だった私は、全てのTV番組を録画で見ていた。
4時間を超えて録画できたとしても、未視聴の録画には【未】というマークが出るため、見たらバレる。
……マークが消えない方法を見つけた。
録画番組を編集できる画面を開き、夜中に最小音量で見た。
編集画面を閉じても、【未】マークはついたままだった。
勝ったと思った。
なのになぜかバレた。親は怖い。
リモコンを隠された。
お小遣いでリモコンを買った。
リモコンを買ったこともバレて、没収された。
親はリモコンを抱えて寝るようになった。
これはもう戦いである。
2つ目のリモコンを買った。
計3台目のリモコンである。
たぶんそれもバレていたが、諦められた。
高校生になった。
スマホを買ってもらった。
一番はじめにしたことは、ロック画面を嵐の写真にすることだった。
織田信成ゲスト回の嵐にしやがれ内で、シェリーメイを抱いた5人が映った。
それを初めてのロック画面にした。
(その画像を貼ろうと思ったけど恥ずかしすぎるからやめることにする。
可愛すぎるからみんな見てみて。)
ファンクラブにも入った。
そして無事第一志望の自称進学校に入学する。
家から自転車で10分。
一番近いから、という理由で選んだ。
進学した高校はジャニオタが異様に多かった。
1クラスに6~7人はいた。
それが8クラス。
嵐、関ジャニ、NEWS、Hey! Say! JUMP、ジャニーズWEST、ジャニーズJr.
ありとあらゆるオタクがいた。
クラスも文理も部活も関係なく、全員友達だった。
休み時間のたびに廊下に集まった。
少クラやJr.チャンネル新設の話、ライブDVDの貸し合い。
(貸し借りではなく、貸し合いである。
「貸して」じゃなく、「貸したい、見てほしい、」だった。)
King&Princeのデビュー発表は、授業中にみんなでパソコンを見て知った。
休みの日には大人数で集まり、カラオケでライブDVDを1日中見た。
嵐以外にも好きなグループができた。
嵐のバックダンサーも務めるグループ。
嵐は、ジャニーズは、生活の一部になっていた。
心身共に健康に生きていくうえで必要な人たちだった。
2019年1月27日
センター試験も終わり、少し気の抜けた毎日を過ごしていた。
まだ続くかもしれない大学受験に向けて自分の部屋で勉強した後、
夜ごはんのために1階に降りるとニュースが飛び込んできた。
活動休止発表。
文字の如く泣き暮れた。
絶望だった。
ごはんも食べられなくなった。
「大丈夫?」とだけ書かれたLINE通知がたくさんたくさん来た。
大丈夫じゃない。
これからどう生きていったらいいか分からなくなった。
嵐は、生きるために必要な人たちだった。
逃避
とにかく現実から目を背けた。
嵐がいるうちに、嵐がいない世界に慣れたほうがいいと思ったから。
Netflixで限定配信されるドキュメンタリーを見たくてNetflixに加入したけど、
嵐が終わってしまう事実と向き合いたくない気持ちや
悲しいムードに飲み込まれたくない気持ちがあって、
今もまだ見ることができていない。
嵐以外にも好きなグループがいたから、そっちに逃げた。
けど、嵐がいない世界なんて、
そんなの無理だった。
大学生になった。
ファンクラブ300万人全員が当選する大規模なドームツアーがあると発表があった。
ドーム50公演。
今考えるとありえないスケジュール。
行けたらどこでもいいと第4希望を「どこでも良い」に設定した。
札幌が当選しちゃった。
しちゃった、のである。
人生初の1人旅が札幌に決定した。
ドキがムネムネ~である。
おばあちゃんからの入学祝20万を即刻崩してほぼ全額使った。
おばあちゃん、あのときはありがとう。(存命)
2019年5月18日
札幌のライブに向かった。
ドーム近くのイトーヨーカドーの入り口には、
夥しい量の嵐がいた。

これだけの、これ以上の企業がスポンサーになる嵐。
毎日が嵐で溢れかえっちゃうのにも頷ける。
初めて嵐をこの目で見た。
ドームなのに肉眼で見える距離だった。
嬉しさ、悲しさ、愛おしさ、
全部の感情がカンストして3時間ずっと泣きっぱなしだった。
歌い踊る5人は、世界でいちばん輝いて見えた。
そこに存在するだけで、ドーム5万人を照らす太陽だった。
輝いたのは 鏡でも 太陽でもなくて
君だと 気づいたときから
いや、太陽より輝いて見えた。
やっぱり好きで好きでたまらない、そう思えた。
2019年6月23日
友達と京セラドームに行った。
「嵐のワクワク学校2019 ~時空をJUMP!すべてが愛おしくなる修学旅行~」に当選したからだ。
席はかなり上のほう。歌うのは1曲のみ。それでも楽しかった。
このときの記憶があまりない。なんでだろう。
普通にバラエティ番組見てるくらいおもしろかったからかな。
2020年12月31日
コロナ禍になり、活動休止前最後のライブは無観客生配信だった。
ママと家で見た。
最後までずっとかっこよくて、キラキラした笑顔の5人だった。
相変わらず涙は止まらなかったが、また次がある、そう信じることができる5人だった。
また…
いつか笑ってまた再開 そう絶対
2021年~
嵐がいなくなった。
嵐のバックダンサーをしていたJr.に尚更夢中になった。
なにかに夢中にならないと、嵐がいない日常に耐えられる気がしなかった。
二度と逢えぬこの日を
身勝手になって 胸に仕舞ってみたって
現在(いま)も光って
未だ光ってしまって
耐えられる気がしなかったはずなのに、いつの間にか嵐がいない日常に慣れていた。
あんなに毎日毎日一緒にいたのに、時の流れは残酷だった。
ファンクラブに入ったままでいいのかな、
好きって言える資格はまだあるのかな、
そんなことを考えてしまっていた。
考えたくなくて、思考をやめて、ひたすら5年間ファンクラブを更新し続けた。
嵐の個人番組も、いつの間にか追いかけなくなってしまっていた。
5人でいるときの5人が好きだったんだな、そう気付けた。
5人の再会だけを、ただひたすら待ち続けた。
待つことが日常になっていった。
嵐と過ごす最後の1年間
2025年に入り、
徐々に活動を再開すること、
ラストドームツアーをすること、
2026年5月31日をもって活動終了すること、
たくさんの情報解禁があった。
嬉しさもあれば、あの時ほどの熱量で喜べない自分もいて悲しくなったりもした。
あれだけ大好きでたまらなかった嵐がいた心の隙間には今、
別のグループや別界隈の推しがいた。
嵐がいない日常をなんだかんだ過ごせていた。
嬉しくて、悲しくて、
悲しくて、嬉しかった。
嵐がいなくなり、
いつの間にか親を頼らず生きていけるようになったと同時に、
いつの間にか嵐に頼らず生きていけている自分がいた。
嬉しくて、悲しくて、
悲しくて、嬉しかった。
(他の推しには頼りきって生きているけど汗)
2026年4月8日
最後のツアーに当選した。
最後の嵐を見に行った。
ママと見に行った。
あれだけ嵐を目の敵にしていたママは、
いつの間にか、嵐のファンクラブに入っていた。
嵐が登場した瞬間、静かに涙が流れた。
また再会してくれてありがとう。
隣を見るとママも泣いていた。
あの光景をわたしは生涯忘れないと思う。
曲の歌詞を噛み締めて感動しながら聴くと思っていたけど、
曲の耳なじみが良すぎて噛み締める暇なんてなかった。
10年以上聴きまくった、懐かしい曲たちばかりだった。
とにかく楽しかった。
C&Rの声でドームが埋め尽くされていた。
活動を休止してから5年以上も経っているのに
5人で顔を見合わせて笑いあう5人はなにも変わっていなかった。
変わったのは私だけだった。
好きになってから15年以上経って、
小学校の校庭で遊んでいた女の子は、
社会に出て働く大人になった。
身を取り巻く環境もライフステージも目くるめく変わった。
たまらなく大好きだった気持ちも、いつのまにかあやふやなものになってしまっていた。
変わらないことは1つだけ。
私の人生の2/3は嵐とともにあったという事実。
その不変の事実だけを胸に、あと4日で2026年5月31日を迎える。
本当に最後の日だ。
生配信を1人で見られる気がしなくて、
20年来の友達のスケジュールをこじ開け、付き添ってもらうことにした。
このNOTE 約7,000文字すべてが過去形であることに気付いた人はいるだろうか。
残された未来は、あとたった4日間しかない。
2026年6月1日の私は、何を思うのだろう。
今の気持ちをなぞらえてくれている歌詞を最後に記録しておく。
「今までも そうこれからも どこまでも ずっと」
いつもありがとう
確かなことがあれば
君がいるからここに僕はいるよ
誰よりも 君を
色褪せないよ 過去と未来をつないでここにいる
耳をすませば聞こえてくるよ あの日の stay gold
君と生きた毎日 ただ君だけを愛した日
たぶん僕のすべてが 君のそばにあった
当たり前の毎日 二度と逢えぬこの日を
どんなときも忘れないように こうやって時を止めたい