
【硝子のショコラ】6|通訳【長編恋愛小説】
私は相変わらずマイペースで仕事を続けていた。
時々彼をメディアで見かけるようになった。
どんどん有名になっていく彼が、私の世界にはいない人として認識されつつあった。
あれだけ才能があって、しかも人間としても素敵な人なら、納得だ。
自分の仕事をこなして生きて行くだけで精一杯の私とは、住む世界が違う。
私は結婚もしないし、親にもなりたくない。
一人で生きて、一人で死んでいく。
理想の生き方。
淡々と日々を過ごせるだけありがたい。
そんなある日、彼から仕事の依頼が入った。
——急で申し訳ないのですが、来週三時間ほど来ていただけますか?
本当に急な話ではあったけれど、奇跡的にその日だけは空けられそうだった。
——可能です。よろしくお願いします。
簡単に通訳の内容をヒアリングして、特に問題なさそうだったので契約書を作成して送付する。
当日。
店へ出向くと、奥のアトリエから彼が出てきた。
白衣がチョコレートだらけだ。
「少々お待ちいただいても構いませんか」
私は頷いて、店内をゆっくり見せてもらう。
彼がパリで修行していたショコラトリーの海外第一号店として、
世界中から注目を浴びている店舗だ。
最近の流行もあってか、まるでジュエリーショップのようだ。
私にはあまり、というかほとんど縁がない世界だけれど。
派手好きだった母親を思い出して、少し苦い気持ちになる。
そこへ彼が戻ってきた。
他のスタッフに声をかけて、私を促して外へ出る。
フランスからショコラトリーのオーナーが視察も兼ねて来日中で、
そのミーティングの通訳として私は呼ばれた。
本当は通訳など必要ないくらい、彼はフランス語ができる。
それでも、念には念をとのことで私にオファーがきた。
何より、収入が少しでもあるのはありがたい。
オーナーが泊まっているのは店舗の上にあるホテルだ。
彼と二人、エレベーターで三十八階のホテルのラウンジまで上がる。
「今日はよろしくお願いします」
彼が改まって私に頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
彼は、そこまで大した話にはならないと思うけれど、と念押しした上で、
オーナーがちょっとクセのある人でね、とイタズラっぽく笑った。
いずれにせよ、彼は優秀なショコラティエだ。
深刻な話があって来ているとは私も思えなかった。