【エッセイ】水面
「もう死にます。今までありがとう」
急に美弥からそんなメールが来た。
私はどうしたら良いかわからずに一旦メールを閉じた。
美弥は大学時代の友人で、いつも周りをよく見ていて、冗談を言っては場の雰囲気を和ませるような人だった。
学生時代に2人でご飯を食べることはなかったが、友人たちが地元に就職が決まり、散り散りになる中、私と美弥は住まいが近いこともあり、卒業してからよく2人で出かけるようになった。
「咲希、お待たせ」
人懐っこい美弥はいつもと変わりない笑顔でやってきた。
「全然待ってないよ。美弥の方こそ大丈夫?仕事忙しかったんじゃない?」
「ううん。請求業務も今月はそんなに立て込んでなかったから大丈夫だよ。」
この日は仕事終わりに予定を合わせてご飯を食べる約束をしていた。
事務職として働いている美弥は月末になると残業続きで疲れていることが多いはずだが、そんな顔をひとつ見せずにいつも明るく待ち合わせにやってきた。
傲慢な上司の話、言うことが矛盾して人間関係をかき回している同僚の話などお互いの仕事の話を一通りした。美弥は言葉の端々に冗談を挟んでただの悪口のような雰囲気でなく笑顔が絶えない雰囲気で時間があっという間に過ぎていった。
「私さ、時々思うの。学生時代は怖いものなんてないって思っていて、明日もなぜか明るくて楽しいと思って過ごしていたの。今じゃ全然そんなこと思えなくてさ。時間に合わせて自分が動いている気がしていつか振り落とされちゃうんじゃないかって。咲希はそう思うことない?」
食後のコーヒーの水面を見つめながら美弥はそう言った。
「時間に振り落とされる感覚かぁ。確かにあるけど、そう思う暇さえないかな。なんか毎日、人の介護をしていると自分はどう生きていったら良いのかって思わされる方が多いかな。」
私は卒業して高齢者介護の仕事に就いた。シフト制で体力仕事なので体のしんどさはあったが、色んな人の価値観や生活に触れて得られるものが大きい気がしてそれなりにやりがいを持って働いていた。
「そっか。そうだよね。咲希は人の命も預かっている仕事だからそんなこと考えてる暇ないよね。」
口角を上げて笑っているが目がどこか笑っていないような顔で美弥は私を見た。
深く聞いたほうが良いのか明日の仕事の事も考えると億劫に感じてしまい、美弥の様子を知らないふりをして私は曖昧に返事をした。
そこから程なくして美弥からメールが来た。
内容は「もう死にます。今までありがとう」というものだった。仕事の休憩中に開いてしまったので内容はショッキングであったが、この間会ったばかりだし大丈夫だろうと思い、仕事終わりにまた連絡しようと思った。
仕事終わりに連絡し、近いうちにまた会って話そうと送ったが、そこに既読がつくことはなかった。
美弥の訃報を聞いたのはその2日後だった。
学生時代に美弥の家族とも親交のあった友人が連絡を受け私にも連絡をくれた。
メールを送った当日に美弥は急遽会社の有給をとって一人旅に出かけていたという。
両親にも友人にも連絡はなかったとのことだった。
美弥は私にだけ連絡をして人気のない森で命を絶った。
私は、介護の仕事をしているが、命を尊ぶべきものだという考えを持っていない。正確にはその概念が好きではない。形のないものに対して思いを馳せて崇めることに、どうしても私の中では実感が持てない。
日々をどんな状況でも生きながらえることが現実でその日々をなんとなくでも過ごしていくことにこそ大切なものがある気がしている。
もっと美弥に寄り添うべきだったのか、他人に対してもっと敏感であるべきなのか、いろんな思いが頭の中をよぎっていく。
自分で淹れたコーヒーの水面を見つめながら思いを巡らせていた。
これから一人で出かける人が「今から出かけます」と人に伝えるだろうか。その一文を含んで相手に伝えるときは一緒に行ってほしいという含みを持たせているような気もする。
美弥は最後に私に寄り添ってほしかったのか。他人はきっとそうだと言うだろう。
ただ、その意見でさえ他人の自我と傲慢さで思っていることなのだ。
美弥にはきっと美弥の思いがあった。今はそれは誰にもわからない。
私はまだ死にたくない。理由はないが、死にたくない。
美弥はどうしたかったのか私にはわからない。
ただ、美弥と過ごした時間と美弥がこの世界にいたということを忘れてはいけないと思った。
わたしは名前のつかない感情を抱えて葬儀に向かうため玄関のドアを開けた。
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