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百三、時代小説 義賊 千変万化の三太(せんぺんばんか の さんた)

    第八話 無頼 風を待つ

    六章 義賊と遊び人

    その夜も、黒羽一家の賭場には、三五郎の壺の音が響いていた。  から、から、から――。 「丁!」 「半!」 「五両だ!」 「十両!」  そんなところへ――。  いきなり、奥の襖が足で蹴り開けられた。  ばたん! 「おい、胴元!」  声と一緒に入ってきたのは、伊達辰だった。  太刀を肩に担ぎ、まるで自分の家へ帰ってきたような顔をしている。 「俺と差しで勝負しろ!」  賭場がしんと静まった。  胴元が眉をひそめる。 「いったい何ですかい。ほかのお客人に迷惑ですぜ」 「そんなことはどうでもいい」  伊達辰はずかずかと盆の前まで歩いてきた。 「ここに、お前たちが欲しがっている深川屋の権利証がある」  懐から一通の証文を取り出す。 「これを賭ける」  どよめきが起こった。 「深川屋の権利証だと?」 「小平さんは承知なんですかい?」 「承知だ」  伊達辰は平然と言った。 「ああ、どうせお前たちに取られるくらいなら、一か八かだってよ」  小平の名を聞いて、店内の何人かが顔を見合わせた。  胴元が証文を睨む。 「……いくらだ?」 「二百両」 「二百両?」 「五十両じゃ安すぎやしねえか」  胴元はしばらく考えた。  黒羽一家にとっても、深川の米屋の権利は魅力がある。 「……いいでしょう」 「勝負は?」 「一回勝負」 「望むところだ」  伊達辰は笑った。 「先に二百両、持ってこい」  子分が慌てて奥へ走っていく。  ほどなくして、二百両の包みが盆の上へ置かれた。  その横に、深川屋の権利証。  金と証文。  賭場にいる全員が、息を詰めて見つめている。 「では――」  胴元が三五郎を見る。 頼むぜ、三五郎というように 軽く頷きながら 三五郎は壺を持ち上げた。  伊達辰が腕を組む。 「一発勝負だ」 「へい」  三五郎の手が動く。  から、から、から――。  壺が盆の上を滑る。 「入ります」  ころころ……。  ぱた。  三五郎が壺を伏せた。 「さあ――丁か、半か?」  伊達辰が言った。 「俺は丁」 「俺は半だ」  胴元が答えた。  丁半の駒が揃った。  誰もしゃべらない。  三五郎がゆっくり壺へ手を伸ばした。  壺が上がる。  二つの賽が、盆の上に転がっていた。  二。  六。  ――二と六。  合計、八。 「…………」  賭場が凍りついた。  伊達辰が三五郎を見る。 「おい、壺振り」 「……へい」 「何なんだ?」  三五郎の顔が引きつった。 「な、なにって……」  額に汗が浮かぶ。 「に……二、六の……」 「二、六の?」 「ち……ち……ちょう!」  声が震えた。  顔がみるみる青くなる。  胴元と子分たちの目が、一斉に三五郎へ向いた。  伊達辰は、にやりと笑った。 「俺の勝ちだな」  だが、周りの客たちは妙な顔をしている。 「……おい」 「どうした?」 「壺振りの様子がおかしくねえか?」  伊達辰は三五郎に近づいた。 「おめえ……」  三五郎の顎を刀の鞘で、ちょいとしゃくる。 「どっかで見た顔だと思ったが――」  三五郎がぎくりとする。 「壺振りの三五郎だな?」 「……」 「よく化けたつもりらしいが、俺の目は誤魔化せねえぞ」  伊達辰が三五郎の右手を鞘で、ぴしりと叩いた。  ころころ……。  三五郎の袖から賽が二つ転がり出た。 「!」  賭場がどっと騒がしくなった。 「イカサマだ!」 「やっぱり!」  三五郎は賽を拾う暇もなく立ち上がった。 「へへへ……こいつは参った!」 「貴様!」  伊達辰が太刀を抜いた。 「ひえっ!」  三五郎は飛び上がるように逃げ出した。 「待て!」  伊達辰が追う。  襖が開き、二人の姿が廊下の向こうへ消える。 「捕まえろ!」  子分たちが立ち上がる。  だが――。  しばらくすると、伊達辰だけが戻ってきた。 「逃げられた」 「何ですと?」 「足の速い野郎だ」  伊達辰は何食わぬ顔で座り直した。 「だが、あいつは壺振りの三五郎というイカサマ師だ」  そう言って、先ほど転がり出た賽を拾い上げる。 「知らねえとは言わせねえぞ」  二つの賽を盆へ置いた。 「この賽の目を見ろ」  胴元が覗き込む。 「……?」 「どう転がしても半しか出ねえ」 「そんな馬鹿な……」 「だからイカサマだ」  伊達辰は笑った。 「しくじって、証拠まで残して逃げたんじゃねえのか?」  胴元は顔を引きつらせた。 「いや、あいつは二日前に雇ってくれと来たんです。まさか、そんな奴だとは……」 「ほう」 「少し前に、えらく勝って帰った客がいたんでさあ。たぶん、そいつとグルだったんでしょう」 「なるほど」 「必ず捕まえて、お詫びします!」  胴元の声には必死さがあった。  賭場の評判を落とすわけにはいかない。  ここがイカサマ賭場だと噂になれば、客が寄りつかなくなる。 「まあいい」  伊達辰は二百両を眺めた。 「じゃあ、この二百両は俺がもらう」 「へ?」 「それから小平さんの借用書を持ってこい」 「借用書?」 「烏のといちってやつだ」  伊達辰は、わざと賭場中に聞こえるように言った。 「二十五両借りて、十日で五十両。さらに十日で七十五両。最後には店の身代までいただく――そういう証文だろう?」  客たちの間から、ざわざわと声が上がる。 「ひでえな……」 「それが本当なら、えげつねえ話だ」 「最近、米が高いのも……」  伊達辰は聞こえないふりをした。 「早く持ってこい」  子分が慌てて証文を持ってくる。  伊達辰はそれを開いて眺めた。 「よし」  二百両の中から百両を取り出す。 「この証文、百両で買う」 「百両?」 「残りは俺がもらう」 「しかし――」 「文句があるのか?」 「……ございません」  伊達辰は笑った。 「そうだろう」  そして、証文を二つに裂いた。  びりっ。  もう一度。  びりびりっ。  小さくなった紙片を盆へ落とす。 「これで小平さんは自由だ」  百両を懐へ入れる。 「じゃあな」  伊達辰は百両を受け取ると、悠々と賭場を出ていった。  しばらく歩く。  深川の夜道は静かだった。  人通りも少ない。  伊達辰が角を曲がった、そのとき――。 「おいでなすってな」  前から一人。  後ろから二人。  左右からも男が出てきた。  五、六人の浪人風の男たちだった。 「伊達辰さんよ」 「その命、もらい受ける」  伊達辰は立ち止まった。  少し離れた物陰から、その様子を見ていた三五郎が顔をしかめる。 「……まずい」  懐へ手を入れ、呼子を取り出そうとした。  そのときだった。 「おい」  伊達辰が道端の枝を一本拾った。 「そんなものに手を掛ける必要はねえ」  男たちが刀の柄へ手をかける。 「何だと?」  伊達辰は笑った。 「刀なんぞ抜く必要はねえ」  枝を軽く構える。 「刀は弱い者を守るためにある」  そして―― 「前と違うか?」 「何を――」  びしっ!  枝が男の手首を打った。 「ぐっ!」  ばしっ!  別の男の膝を払う。 「うわっ!」  さらに一人。  肩。  肘。  足。  まるで舞でも舞っているように、伊達辰の枝が動く。  ほんの一瞬だった。  五人が地面に転がっている。 「……」  物陰から見ていた三五郎が、思わず目を丸くした。 「すげえ……」  伊達辰が振り返る。 「誰だ?」  三五郎がひょいと姿を現した。 「いやあ、大した腕ですなあ」 「おめえ……」  伊達辰は笑った。 「大した芝居だったぜ」 「お互い様で」  三五郎も笑う。 「おめえ、ただの芸人じゃねえな」 「ばれましたか」  三五郎は頭を掻いた。 「俺は――風の三太っていう盗っ人だ」 「盗っ人?」 「ああ」 「なるほどな」  三太は笑った。 「おまえさんは?」  伊達辰は胸を張った。 「俺は遊び人の辰だ」 「辰?」 「四代目扇屋のお勝の男妾だ」  三太の目が丸くなった。 「なに? 四代目お勝つといや――」 「初春だ」 「……」  三太はしばらく伊達辰を見た。 「ただもんじゃねえな」 「おめえに言われたかねえ」  二人は顔を見合わせ、同時に笑った。  伊達辰は懐から五十両を取り出した。 「おい、盗っ人」 「へい?」 「これがおめえの取り分だ」 「こんなにいいんですか?」 「残りは小平さんのだ」  三太は五十両を受け取った。 「へえ……」  重みを確かめる。 「ありがたく頂戴します」 「じゃあな、盗っ人」  伊達辰は背を向けた。 「また稼がせてもらうぞ!」 「へい!」  三太は笑って見送った。  深川の夜風が、二人の間を吹き抜けていった。
                                                      つづく


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